第二章:影の存在
あらすじ
能力者がひしめく名門・蒼城学園。
そこに入学した綾瀬陽太には致命的な問題があった。
——能力が、何もない。
特別な力を持たない「無能力者」である陽太は、なぜかこの学園に「記録係」として入学を許される。
役割は、天才的な能力を持つ美少女たちの戦いを観察し、記録すること。
それだけ。
誰からも期待されず、ただ見ているだけの存在。
そんな彼が記録することになったのは、学園最強と名高い二人の少女だった。
倉田美咲—— 空間を支配する「絶対領域」の使い手
若林香織—— 万物を創造する「千変万化」の能力者
圧倒的な才能を持つ彼女たちの戦いを、陽太はただ見守り、記録していく。
しかし、学園を狙う謎の組織「虚無」の脅威が迫る中、
「最弱」であるはずの陽太の観察眼が、思わぬ力を発揮し始める。
見ることしかできない。
記録することしかできない。
でも——それこそが、誰にも真似できない彼だけの「才能」だった。
作品紹介
本作は「無能力者」の主人公が、圧倒的な才能を持つ美少女たちと共に成長していく学園異能バトル作品です。
- 能力を持たない主人公ならではの視点で描かれる異能バトル
- 最初は「ただの記録係」だった主人公が、徐々に重要な存在になっていく成長物語
- 二人のヒロインとの心温まる交流と、少しずつ深まっていく絆
- 「観察」と「記録」という地味な行為が、やがて戦局を左右する鍵となる展開
- 能力がなくても、誰かの役に立てることを証明していく主人公の奮闘
「見ること」の大切さ、「記録すること」の価値。
そして何より、能力がなくても誰かの力になれるということ。
最弱の少年と最強の少女たちが織りなす、新感覚の学園異能バトルストーリーをお楽しみください。
入学から二週間が過ぎた。
陽太は教室の窓際の席で、美咲と香織の能力訓練を記録していた。中庭での実技訓練では、二人は今日も圧倒的な能力を発揮していた。
「ほら、見て!今日も綾瀬くん、すごい集中してる」
ささやき声が聞こえてきた。陽太は気づかないふりをして、記録を続ける。
「無能力者のくせに、何あんなに必死になってるんだろ」 「お荷物のくせにね」 「でも倉田と若林は何故か気に入ってるみたいだよ」
陽太は表情を変えず、ペンを走らせる。この二週間で、そういった声にも慣れてきた。気にしないように努めているが、時々胸が締め付けられる感覚に襲われる。
「今日は効率が上がっているな」
突然、背後から声がした。驚いて振り返ると、藤堂先生が立っていた。
「あ、先生…」
「その記録、後で見せてもらうわ」
藤堂先生はそう言うと、他の学生たちのところへ移動していった。陽太は少し緊張しながらもノートに向き直った。
中庭では、美咲が「絶対領域」を展開していた。青い光の輪が、先週より明らかに大きくなっている。その中で香織が具現化した鳥が飛んでいるが、今回は重力の影響をほとんど受けていないように見える。
「二人の能力の相互適応が進んでいる…」
陽太は小さく呟きながら記録した。美咲の領域が香織の具現物に与える影響が、日に日に変化している。最初は単純に動きが鈍っていたものが、今では領域内でも特定の条件下では自由に動けるようになっている。まるで二つの能力が「学習」しているかのようだ。
訓練が終わると、学生たちは教室に戻り始めた。陽太も記録ノートを閉じようとしたとき、ノートが微かに光った。最近、こういった現象が増えていた。記録ノートが何かに反応しているようだが、理由はわからない。
「綾瀬くん、お疲れ様!」
香織が陽太の席に近づいてきた。汗ばんだ顔で笑っている。
「お疲れ様です」陽太は微笑み返した。「今日も素晴らしかったですよ」
「本当?」香織は嬉しそうに言った。「美咲の領域の中で、鳥を自由に動かせるようになってきたんだ!」
「はい、記録してました」陽太はノートを開いて見せた。「最初の日と比べると、明らかに適応性が上がっています」
美咲も近づいてきて、ノートを覗き込んだ。
「この図、わかりやすいわね」彼女は感心した様子で言った。「私たちの能力の相互作用が可視化されている」
「あの…これ、コピーしてもいいですか?」陽太は恐る恐る尋ねた。「二人の能力発展の記録として保管しておきたくて」
「もちろん」美咲は頷いた。「むしろ、私たちにとっても貴重な資料になるわ」
「やった!」香織が嬉しそうに声を上げた。「綾瀬くんの記録、本当に役立つよ!」
陽太は少し照れながらも、嬉しさを感じた。この二週間、美咲と香織は変わらず彼に親切だった。教室での孤立感を和らげてくれる存在だった。
「そうだ、綾瀬くん」香織が突然思い出したように言った。「今週末、能力者実践大会があるの知ってる?」
「能力者実践大会?」
「年に四回行われる校内大会よ」美咲が説明した。「学年ごとの能力実践試合と、総合評価が行われるわ」
「へえ…」
「もちろん、綾瀬くんも記録係として参加するんだよね?」香織が尋ねた。
「いえ、まだ何も聞いてないです」
「きっとそうなるわ」美咲は確信を持って言った。「特に私たちの試合は、記録価値が高いと評価されているから」
陽太は複雑な気持ちになった。大会に参加すること自体は嬉しいが、やはり自分は「記録係」でしかない。能力者として参加するわけではない。
「楽しみにしてるね!」香織は陽太の肩をポンと叩いた。「私たち、すごいところ見せるから!」
「頑張ってください」
陽太は笑顔で返したが、内心では寂しさを覚えた。彼らは輝く舞台で戦い、自分はただそれを記録するだけ。そんな役割の違いを、改めて突きつけられた気がした。
2
放課後、陽太は藤堂先生に呼び出された。
「綾瀬」
教務室で、藤堂先生は陽太の記録ノートに目を通していた。
「はい」
「この二週間の記録を見たわ」藤堂先生は静かに言った。「なかなかやるじゃない」
「え?」
予想外の言葉に、陽太は驚いた。
「特に倉田と若林の能力の相互作用に関する分析が秀逸ね」藤堂先生は続けた。「彼女たちの能力が互いに適応し、進化している過程を詳細に捉えている」
「ありがとうございます」陽太は恐る恐る言った。「でも、まだまだ不十分だと思います」
「謙虚なのはいいことだけど」藤堂先生は少し表情を緩めた。「自信を持っていいのよ。この記録は学園の研究資料として非常に価値があるわ」
陽太は言葉に詰まった。自分の記録が役立っているなんて、想像もしていなかった。
「それで」藤堂先生は話題を変えた。「今週末の能力者実践大会だけど、君も参加してもらうわ」
「やはり…」
「倉田と若林の試合を中心に記録してほしいの」藤堂先生は続けた。「二人は一年生ながら、上級生と対戦する特別枠に選ばれたわ」
「上級生と?」陽太は驚いた。「それは…危険ではないですか?」
藤堂先生は少し笑った。「心配する気持ちはわかるけど、彼女たちの能力は本物よ。むしろ、上級生の方が苦戦するかもしれないわね」
「そんなに…」
「綾瀬」藤堂先生は真剣な表情になった。「週末の大会は重要よ。君の記録も、将来的に二人の能力開発に大きく貢献する可能性がある。最善を尽くしてほしい」
「わかりました」陽太は頷いた。「全力で記録します」
「それともう一つ」藤堂先生は小さな装置を取り出した。「これは能力波動測定器。君の記録ノートと連動して、より客観的なデータを記録するものよ」
陽太はその小型装置を受け取った。腕時計のように装着できるようだ。
「これを使えば、肉眼では捉えられない能力の波動や変化も記録できるわ」藤堂先生は説明した。「使い方は単純。ボタンを押すだけで起動するから」
「ありがとうございます」
「明日から練習試合が始まるから、そこで使ってみるといいわ」
藤堂先生はそう言うと、陽太のノートを返した。
「それじゃあ、頑張りなさい」
「はい」
教務室を出た陽太は、手首に装着した測定器を見つめた。学園が自分の役割を重視してくれていることを示す証拠のようで、少し誇らしく感じた。でも同時に、より大きな責任も感じた。
夕暮れの校舎を歩きながら、陽太は考えていた。美咲と香織が上級生と戦うとはどういうことなのか。彼女たちの能力は確かに特別だけど、経験の差は大きいはずだ。
「危なくないのかな…」
心配しながらも、陽太には何もできない。ただ記録するだけ。その無力感が、再び彼の心に重くのしかかった。
3
「うわ、すごい装置だね!」
翌日の午後、訓練場で香織が陽太の腕の測定器を興味深そうに眺めていた。
「能力波動測定器です」陽太は説明した。「二人の能力をより詳しく記録するためのものみたいです」
「へえ」美咲も興味を示した。「それって、私たちの能力の何を測るの?」
「まだよくわかりません」陽太は首を振った。「でも、これから練習試合で試してみます」
今日は大会前の練習試合日。美咲と香織も参加することになっていた。訓練場には多くの学生が集まり、それぞれの試合準備をしている。
「綾瀬くん」藤堂先生が近づいてきた。「倉田と若林の第一試合は第三アリーナよ。観察台から記録をとりなさい」
「はい」
陽太は指示された場所へと向かった。第三アリーナは学園の中でも大きな施設の一つで、観客席と観察台が設置されている。陽太が観察台に到着すると、すでに何人かの教員や研究員らしき人々が集まっていた。
「あなたが綾瀬くんね」中年の女性研究員が声をかけた。「藤堂先生から聞いています。倉田・若林組の記録担当ですよね」
「はい」陽太は少し緊張して答えた。
「楽しみにしてるわ」女性は微笑んだ。「あなたの記録、評判いいのよ」
「え?」陽太は驚いた。「僕の記録が評判に?」
「ええ」女性は頷いた。「特に能力の相互作用に関する分析は、研究部でも話題になっているわ」
陽太は言葉を失った。自分の記録がそんなに注目されているとは思ってもみなかった。
「あ、始まるわよ」
女性の言葉に、陽太はアリーナに注目した。美咲と香織が入場してきた。対戦相手は三年生の男女ペア。男子は大柄で、女子はスラリとした体格をしている。
「三年A組の志村・鈴木ペアよ」女性が説明した。「志村君は『地形変動』、鈴木さんは『光線操作』の能力者。なかなかの強豪ペアね」
陽太は緊張して見守った。美咲と香織にとって、おそらく最も強力な対戦相手になるだろう。
「試合開始!」
審判の声と共に、アリーナに緊張感が走った。
すぐに三年生ペアが攻撃を仕掛ける。男子学生—志村が両手を地面に付けると、アリーナの床が波打ち始めた。地面が隆起し、波のように美咲と香織に向かって押し寄せる。
「地形変動—起伏波!」
同時に女子学生—鈴木が手をかざすと、眩しい光線が放たれた。
「光線操作—閃光矢!」
まるで流星のような光線が、美咲と香織に向かって飛んでいく。
「さすが上級生…」陽太は思わず呟いた。速度も威力も一年生とは明らかに違う。
しかし、美咲はすぐに反応した。
「絶対領域—境界展開!」
青い領域が広がり、光線が領域に入った瞬間、その速度が極端に落ちた。まるでスローモーションのように、光線が空中で停滞する。
同時に香織が動いた。
「千変万化—具現『盾』!」
大きな盾が具現化され、隆起してくる地面の波を受け止める。しかし、志村の能力は強力で、盾にひびが入り始めた。
「まずいわ!」美咲が叫んだ。
「大丈夫!」香織は笑みを浮かべた。「私たちには、あの作戦があるから!」
「そうね」美咲も微笑んだ。「それじゃあ…」
「合わせ技、いくよ!」
二人が声を合わせると、不思議な現象が起きた。美咲の青い領域が香織の具現化した盾に融合し始めたのだ。盾の表面に青い光が広がり、それはまるで生きているように変形し始めた。
「あれは…!」陽太は思わず立ち上がった。記録ノートが強く光り始め、腕の測定器も激しく反応している。
「絶対千変—融合障壁!」
二人の声が重なり、盾が突然巨大化した。それはドーム状に広がり、二人を覆い尽くす。志村の地形変動も鈴木の光線も、すべてその障壁に吸収されていく。
観客席から歓声があがった。教員たちも驚いた表情で見守っている。
「すごい…」陽太は夢中で記録した。「能力の完全融合…こんなことが…」
障壁の中から、美咲と香織が同時に動いた。美咲が領域を広げ、アリーナ全体を青い光で包み込む。その中で、香織が次々と武器を具現化していく。
「千変万化—具現『槍』!」
十数本の槍が空中に現れ、美咲の領域の影響を受けることなく、志村と鈴木に向かって飛んでいった。普通なら美咲の領域内では動きが鈍るはずなのに、今は完全に同調している。
志村と鈴木は防戦一方になった。志村は地形を隆起させて壁を作り、鈴木は光線で槍を弾こうとするが、美咲の領域内では彼らの能力も制限されている。
「絶対領域—重力増強!」
美咲の声と共に、志村と鈴木の周りの重力が急激に増した。二人は膝をつき、動きが鈍くなる。
「千変万化—具現『網』!」
香織が具現化した巨大な網が、二人を捕らえた。
「勝負あり!」
審判の声と共に、会場から大きな拍手が起こった。美咲と香織は、三年生ペアに完勝したのだ。
陽太は興奮冷めやらぬまま、記録を続けた。能力融合の詳細、領域内での具現物の挙動の変化、相互効果の増幅…すべてを細かく書き留める。
「素晴らしい試合だったわね」隣の研究員が感嘆の声を上げた。「一年生でこのレベルは異例よ」
「はい…」陽太も同意した。「二人は本当に特別です」
アリーナでは、美咲と香織が握手を交わしていた。二人の表情は明るく、充実感に満ちている。陽太はそんな彼女たちを見て、複雑な気持ちになった。喜びと誇りと、そして少しの羨望が入り混じっていた。
自分には決して手に入らない世界。でも、その世界の記録者としては、誰よりも詳細に捉えることができる。その矛盾した立場に、陽太はまだ戸惑いを覚えていた。
4
「すごかったね!」
試合後、美咲と香織は興奮した様子で陽太のもとにやってきた。
「本当にすごかったです」陽太は心から言った。「特にあの能力融合は驚きました。練習してたんですか?」
「ううん、今日が初めて!」香織は嬉しそうに言った。「でも、綾瀬くんの記録のおかげで、できるかもって思ったんだ」
「僕の記録?」
「そう」美咲が頷いた。「あなたが指摘してくれた能力の相互作用の特性を参考にしたの。私たちの能力が共鳴するという理論」
陽太は驚いた。自分の記録が実際の戦術に役立てられるとは思っていなかった。
「でも、まだ完全じゃないの」美咲は続けた。「融合状態をもっと長く維持したいし、効果も安定させたい。綾瀬くん、今日の記録をしっかり分析してくれる?」
「もちろんです」陽太は頷いた。「できる限り詳細に記録しました。あと、これも使いました」
彼は腕の測定器を示した。
「それのデータも見せてほしい!」香織が食いついてきた。「私たちの能力、どんな風に出てるの?」
「ちょっと見てみましょうか」
三人は観察台の端末に測定器を接続した。画面には美咲と香織の能力波動が波形やグラフとして表示されている。
「これが…」陽太は驚きながら説明した。「青い線が美咲さんの能力波動、赤い線が香織さんの能力波動です。そして…」
「この紫の線は?」美咲が尋ねた。
「二つの能力が融合したときの波動です」陽太は画面を指さした。「通常なら二つの波は干渉して弱まるはずなのに、このケースでは増幅されています。これは非常に稀な現象らしいです」
「へえ、私たちの能力って相性いいんだね!」香織が嬉しそうに言った。
「単なる相性の良さを超えています」陽太は真剣に言った。「これは能力の共鳴と呼ばれる特殊な現象で、歴史的にも数例しか記録されていないそうです」
美咲は感心した表情で画面を見つめていた。「だから研究員たちがあんなに興奮していたのね」
「明日の本戦が楽しみだね!」香織が声を弾ませた。「もっとすごいこと、できるかも!」
三人が話している間、訓練場の他の学生たちは好奇の目で彼らを見ていた。特に目立ったのは、志村と鈴木を含む上級生たちだ。負けたことによる悔しさと、一年生に敗れた驚きが混ざった複雑な視線だった。
「あいつら、一年のくせに…」 「でも、記録係の無能力者と仲良くしてるのは謎だよな」 「単なる道具として使ってるんじゃないの?」
そんなささやきも聞こえてきたが、美咲と香織は気にしていない様子だった。陽太も無視するように努めた。
「さて、今日はこれで終わりかな?」香織が伸びをした。「お腹空いたー!」
「そうね」美咲も頷いた。「綾瀬くん、一緒に食堂行かない?」
「あ、僕はもう少しここでデータを整理したいです」陽太は言った。「先に行っていてください」
「そう?」香織は少し残念そうだった。「じゃあ、後で寮で会おうね!」
「はい」
二人が去った後、陽太は測定器のデータを詳しく確認し始めた。能力共鳴の波形は複雑で、まだ完全には理解できない部分が多かった。
彼が画面に集中していると、突然背後から声がした。
「なるほど、これが噂の記録係か」
振り返ると、さっきまで美咲たちと戦っていた志村と鈴木が立っていた。志村の表情には明らかな敵意が見える。
「あの…何か?」
陽太は緊張しながら尋ねた。
「お前のおかげで負けたようなもんだからな」志村は低い声で言った。「倉田と若林に戦術を提供したんだろ?」
「そんなことは…」
「いいから黙ってろ」志村は陽太の襟を掴んだ。「無能力者のくせに、調子に乗るなよ」
「やめなさい、志村」鈴木が制止した。「ここでトラブルを起こしても意味ないわ」
志村は歯を食いしばったが、陽太の襟を放した。
「覚えておけよ」彼は陽太を睨みつけた。「お前みたいな役立たずが、この学園にいる意味なんてないんだ」
二人は去っていった。陽太は動悸が収まらないまま、深呼吸を繰り返した。こういった嫌がらせは予想していたが、実際に直面すると辛かった。特に「役立たず」という言葉が胸に刺さる。
自分の記録が美咲と香織の役に立ったと聞いて嬉しかったのに、このように責められると、自分の立場がより一層曖昧に感じられた。彼は何者なのか?単なる記録係?戦略提供者?それとも、本当に「役立たず」なのか?
陽太は静かに端末の電源を切り、記録ノートを閉じた。夕暮れの訓練場は静寂に包まれていた。
5
翌朝、陽太は早めに起きて記録のまとめをしていた。昨日の測定器のデータを分析し、自分なりの考察を加えている。
「美咲さんと香織さんの能力共鳴は、単なる相性の良さではない。二人の精神的な繋がりも関係しているのではないか…」
そう書き記しながら、陽太は考えていた。昨日の試合での二人の呼吸や動きが完全に同調していたこと。言葉を交わさなくても意図が通じ合っている様子。それらは能力の融合を可能にする重要な要素かもしれない。
「やっぱり、僕じゃ理解できない世界なんだ…」
そう呟きながらも、陽太は記録を続けた。今日は能力者実践大会の本戦。美咲と香織にとって重要な日だ。自分にできることは、最高の記録を残すことだけ。
部屋を出ると、廊下で美咲と香織に出会った。
「おはよう、綾瀬くん!」
香織は相変わらず元気だ。美咲も穏やかに微笑んでいる。
「おはよう…ございます」陽太は少し気まずく挨拶した。
「どうしたの?」美咲が陽太の表情の変化に気づいた。「何かあった?」
「いえ…」陽太は迷ったが、正直に話すことにした。「昨日、志村先輩に絡まれて…」
「え?何されたの?」香織が心配そうに尋ねた。
「大したことじゃないです」陽太は軽く言った。「ただ、僕が二人に戦術を提供したせいで負けたって…」
「バカね」美咲がはっきりと言った。「私たちが勝ったのは、二人の実力の問題よ。綾瀬くんのせいにするなんて、負け惜しみにもほどがある」
「そうだよ!」香織も同意した。「確かに綾瀬くんの記録は参考になったけど、最終的に能力を使うのは私たちだもん。志村先輩のやつ、許せない!」
陽太は二人の言葉に少し救われる思いがした。
「今日も頑張ります」彼は静かに言った。「二人の能力をしっかり記録します」
「うん!」香織は笑顔で応えた。「私たちも頑張るから!」
学園へ向かう道中、三人は今日の大会について話し合った。本戦では、美咲と香織は準決勝から参加することになっていた。対戦相手はまだ決まっていないが、昨日より強敵になることは間違いない。
「綾瀬くん」美咲が真剣な表情で言った。「もし可能なら、対戦相手の能力特性も記録してほしいの。私たちの能力と、どう相互作用するか予測するのに役立つから」
「わかりました」陽太は頷いた。「できる限り詳細に記録します」
学園に到着すると、すでに多くの学生たちが集まっていた。今日は通常授業はなく、全校生徒が大会に参加または観戦する。
「綾瀬」
藤堂先生が近づいてきた。
「おはよう...ございます」
「昨日のデータ、すでに研究部に提出したわ」藤堂先生は静かに言った。「高評価だったわよ」
「ありがとうございます」
「今日も同様に、詳細な記録を期待しているわ」藤堂先生は続けた。「特に能力共鳴の現象は非常に貴重なデータになるわ」
「はい、全力を尽くします」
藤堂先生は美咲と香織にも目をやった。
「二人とも、今日もベストを尽くしなさい。学園の評判にも関わることよ」
「はい!」二人は声を揃えた。
藤堂先生が去った後、三人は大会会場へと向かった。今日は学園の中央にある大アリーナが使用される。普段は封鎖されている特別施設だ。
「わあ、すごい…!」
大アリーナに入ると、陽太は思わず声を上げた。円形の巨大な競技場には、何百人もの観客席があり、すでに多くの学生や教員、さらには外部からの来訪者らしき人々で埋まりつつあった。
「ここが蒼城の本格的な訓練場よ」美咲が説明した。「通常は上級生や特別な訓練でしか使われないわ」
陽太は記録ノートを強く握りしめた。ここで自分は何ができるのか。本当に役に立てるのか。そんな不安が頭をよぎる。
「綾瀬くん」香織が陽太の肩に手を置いた。「緊張してる?」
「え?いえ、その…」
「大丈夫だよ」香織は優しく微笑んだ。「私たちも緊張してるよ。でも、楽しもうね!」
「ありがとう…」
陽太は少し勇気づけられた気がした。二人の近くにいるだけで、自分も少し特別な存在になれたような錯覚を覚える。
「それじゃ、私たち準備するね」美咲が言った。「綾瀬くんは観察台へ行って」
「はい。頑張ってください」
三人は別れ、陽太は指定された観察台へと向かった。そこには昨日よりも多くの研究員や教員が集まっていた。中央には蓮見学園長の姿もある。
「あ、綾瀬くん」昨日の女性研究員が声をかけた。「ここに座りなさい。特等席よ」
「あ、ありがとうございます」
陽太は示された席に着いた。そこからは本当にアリーナ全体が見渡せる絶好の位置だった。彼は記録ノートと測定器の準備を始めた。
「皆さん、お待たせしました」
アナウンスが響き、会場が静まり返る。
「第37回蒼城学園能力者実践大会を開始します」
大きな歓声が上がった。陽太も期待と緊張で胸が高鳴る。これから美咲と香織はどんな戦いを見せてくれるのだろう。
6
大会は順調に進んでいた。各学年の予選、準々決勝と進み、いよいよ準決勝の時間がやってきた。
「次は特別枠試合」アナウンスが響いた。「一年A組、倉田美咲・若林香織ペア対三年S組、神崎竜・神崎綾ペア」
会場がざわついた。
「神崎兄妹だって!」 「双子の能力者か…厳しいな」 「一年生、大丈夫かな」
陽太も緊張した。「神崎兄妹」という名前は知らなかったが、周囲の反応から強豪であることは明らかだった。
「神崎兄妹は蒼城最強の上級生ペアの一つよ」隣の研究員が小声で教えてくれた。「双子で、能力も連動して使える特殊なタイプ。『双星顕現』と呼ばれているわ」
「それは…」陽太は不安になった。
「でも心配しないで」研究員は微笑んだ。「倉田さんと若林さんの能力共鳴も、非常に稀な現象だから。いい勝負になるでしょう」
アリーナの両端から選手たちが入場してきた。美咲と香織は落ち着いた様子で歩いてくる。対する神崎兄妹は、銀髪の双子で、涼しげな表情をしていた。兄の竜は少し背が高く、妹の綾は長い髪を後ろで束ねている。
「両者、中央へ」
審判の声で、両ペアがアリーナ中央に集まった。互いに礼をして、元の位置に戻る。
「では、試合開始!」
鐘が鳴り、緊張感が高まった。
神崎兄妹が先に動いた。二人は手をつなぎ、同時に声を上げる。
「双星顕現—天照!」
二人の間に眩しい光の球体が現れ、それが急速に膨張して巨大な光の柱となった。まるで太陽のような輝きを放っている。
「まぶしっ!」香織が目を細めた。
「気をつけて」美咲が警告した。「これは単なる光じゃないわ」
光の柱から、何本もの光線が放射状に発射された。美咲はすぐに「絶対領域」を展開したが、光線は減速することなく領域を貫通した。
「なに!?」美咲は驚いた。
「わあっ!」
香織が具現化した盾で防御しようとしたが、光線は盾も通過して二人に直撃した。美咲と香織は弾き飛ばされ、地面に倒れた。
「すごい…」陽太は震える手で記録した。「領域を無効化する能力…」
美咲と香織は素早く立ち上がった。怪我はないようだが、二人の表情は真剣さを増している。
「どうやら普通の方法じゃ通用しないね」香織が言った。
「ええ」美咲が頷いた。「でも、まだ始まったばかりよ」
二人は一旦距離を取り、作戦を練っているようだった。対する神崎兄妹は、再び手をつなぎ、新たな詠唱を始めた。
「双星顕現—月読!」
今度は青白い光の球体が現れ、それが水のように流動的な形になった。会場の温度が急激に下がり、美咲と香織の足元から氷が広がっていく。
「足が動かない!」香織が叫んだ。
「冷静に」美咲は集中した様子で言った。「私の領域で温度を上げてみるわ」
美咲が「絶対領域」を展開すると、青い光の中で氷が少しずつ溶け始めた。しかし、神崎兄妹の「月読」は止まらず、より強力に氷を生成し続ける。
陽太は夢中で記録し続けた。測定器は激しく反応している。
「これは…」彼は気づいた。「神崎兄妹の能力は二種類ある。『天照』は領域を貫通する光、『月読』は物質変換…でも、どちらも二人が手をつないでいる時だけ発動できる」
その瞬間、陽太の記録ノートが強く光った。彼が書いた内容が、何か重要な情報を含んでいるのかもしれない。
アリーナでは、美咲と香織が苦戦していた。二人の足は氷に閉じ込められ、神崎兄妹は「天照」の光線で攻撃を続けている。
「このままじゃ…」香織が顔をしかめた。
「香織、聞いて」美咲が静かに言った。「あの二人は手をつないでいる時だけ能力を発動できる。つまり…」
「接触が必要なんだね!」香織が理解した。「なら、私たちにもチャンスがある!」
美咲が香織に何かを耳打ちした。香織は笑顔で頷き、二人は再び構えた。
「いくよ、美咲!」
「ええ、香織!」
二人が声を合わせる。
「絶対千変—融合領域!」
前日よりも強力な共鳴が起こった。美咲の青い領域と香織の具現物が融合し、アリーナ全体に広がる。それは通常の「絶対領域」より濃い青色で、中には無数の光の粒子が舞っていた。
「これは…」神崎竜が驚いた表情を見せた。
「兄さん、気をつけて!」神崎綾が警告した。
融合した領域内で、香織が具現化した無数の小さな鳥形の物体が、雪のように舞い始めた。それらは美咲の領域の特性を帯び、時間の流れを操作しながら飛んでいる。
「天照!」
神崎兄妹が再び光の攻撃を放ったが、今度は小さな鳥形の物体が光を吸収していく。光線が徐々に弱まっていった。
「チャンスよ!」美咲が叫んだ。
香織が大きく手を広げると、鳥形の物体が一斉に神崎兄妹に向かって飛んでいった。それらは兄妹の間に入り込み、二人の手を引き離そうとする。
「離すな、綾!」竜が必死に妹の手を握り締めた。
しかし、鳥形の物体はどんどん増えていき、ついに二人の手が離れてしまった。途端に、「天照」と「月読」の効果が消えた。
「今よ!」
美咲が領域を収縮させ、神崎兄妹を包み込む。領域内では重力が5倍になり、二人の動きが極端に遅くなった。同時に香織が新たな具現物を作り出す。
「千変万化—具現『牢獄』!」
透明な檻が兄妹を囲み、完全に動きを封じた。
「勝負あり!」
審判の声と共に、会場から大きな拍手が沸き起こった。美咲と香織は見事に勝利したのだ。
陽太は興奮して立ち上がっていた。彼の周りの研究員たちも驚きと感動の声を上げている。
「素晴らしい戦略だわ!」女性研究員が言った。「敵の能力の弱点を突いて、見事な勝利ね」
陽太は夢中で記録を続けた。測定器のデータも保存する。今回の能力共鳴は前回よりさらに強力で安定していた。二人の連携も完璧だった。
しかし、彼の頭の中にはある疑問が浮かんでいた。美咲はどうやって神崎兄妹の能力の弱点に気づいたのだろう?自分が記録したことと何か関係があるのだろうか?
アリーナでは、美咲と香織が神崎兄妹と健闘を称え合っていた。敗れた双子も、驚きながらも敬意を持って二人に接しているようだった。
美咲が観察台の方を見上げ、陽太に向かって小さく微笑んだ。その瞬間、陽太は何かを感じた。自分の記録が本当に役立ったのではないかという可能性を。
しかし、それを確かめる間もなく、次の試合のアナウンスが始まった。「決勝戦準備」の声に、会場が再び活気づく。
7
「信じられないわ…」
観察台で、研究員たちが興奮した様子で話し合っている。
「一年生が決勝まで勝ち上がるなんて、学園史上初じゃないかしら」
「能力共鳴の安定性も驚異的よ。まるで何年も一緒に訓練してきたかのようね」
陽太は黙って記録を続けていた。隣では蓮見学園長が静かに微笑んでいる。
「綾瀬くん」学園長が突然声をかけてきた。「素晴らしい記録だ」
「あ、ありがとうございます」陽太は緊張して応えた。
「君の観察眼は非常に鋭い」学園長は続けた。「神崎兄妹の能力の弱点を見抜いたのは見事だった」
「え?」陽太は混乱した。「僕は…何もしていませんが…」
学園長は意味深な笑みを浮かべた。「君が書いた記録は、美咲さんに共有されたのだよ。試合前に」
「記録が…?」
「そうだ」学園長は頷いた。「昨日の記録から、君は『接触が必要な能力』という特性を見抜いていた。『双星顕現』の弱点を正確に記録していたのだ」
陽太は驚いた。自分の分析が実際の戦術に使われたなんて。しかし、いつ美咲に伝わったのだろう?
「藤堂先生が仲介したんだよ」学園長が陽太の疑問を読み取ったように言った。「君の記録は非常に価値のある情報源なんだ。能力者本人が気づかないことも、君の客観的な視点から見えることがある」
陽太は言葉を失った。自分の記録が本当に役立っているなんて、想像もしていなかった。
「さあ、決勝戦を見届けよう」学園長は穏やかに言った。「君の記録が、またどんな結果をもたらすか」
陽太は頷き、再び記録ノートに目を向けた。決勝の相手は二年S組の「霧島・高岡」ペア。霧島は「霧化」、高岡は「振動波」の能力者だという。
美咲と香織がアリーナに現れると、大きな歓声が上がった。一年生ながら決勝まで勝ち上がった彼女たちは、既に学園の注目の的となっていた。
対する霧島・高岡ペアも実力者だ。霧島麻衣は長い黒髪の女性で、高岡健太は精悍な顔立ちの男子学生。二人とも落ち着いた様子で入場してきた。
「決勝戦、開始!」
鐘が鳴り、会場の空気が張り詰めた。
霧島が先に動いた。彼女の体が突然霧のように変化し、アリーナ全体に広がり始める。視界が悪くなる中、高岡が地面に手をついた。
「振動波—激震!」
アリーナの地面が激しく揺れ始めた。まるで地震のような振動が、美咲と香織の足元を不安定にする。
「美咲!」香織が叫んだ。
「大丈夫!」
美咲は「絶対領域」を展開したが、霧は領域を貫通して内部に侵入してくる。香織も具現化した扇で霧を払おうとするが、効果は薄いようだった。
「霧は物理的な実体ではないから、普通の方法では防げないわ」美咲が分析した。
「じゃあ、どうする?」香織が尋ねた。
その時、激しい振動が二人を襲い、バランスを崩した。香織が転びそうになり、美咲が彼女を支える。
陽太は測定器を確認した。霧島の能力は全方位に広がる分散型で、高岡の振動波は地面を伝って攻撃する集中型。二つの能力が絶妙に連携している。
「美咲さんの領域は空間操作だから…」陽太は思いついた。「霧でも、それが存在する『空間そのもの』を操作すれば…?」
そのとき、記録ノートがまた光った。彼の分析には何か重要な点があるようだ。
アリーナでは、美咲と香織が背中合わせになって防戦していた。視界が悪い中、振動波を避けるのが精一杯だ。
「このままじゃ…」美咲が唇を噛んだ。
「美咲、ひとつ試してみない?」香織が突然言った。「あの練習、覚えてる?」
美咲は一瞬考え、頷いた。「やってみましょう」
二人は手を取り合い、目を閉じた。
「絶対千変—融合拡張!」
美咲の青い領域が広がり、香織の具現化した光の粒子が霧の中に入り込んでいく。すると不思議なことに、霧が少しずつ色づき始めた。青い光に包まれた霧が、徐々に形を変えていく。
「何!?」霧島の驚いた声が聞こえた。
霧全体が青い光に包まれ、それが凝縮されていった。美咲が空間そのものを操作し、霧を一箇所に集めているのだ。
「千変万化—具現『封印』!」
香織の声と共に、青く光る霧が巨大な球体に閉じ込められた。球体は透明な壁に覆われ、内部で霧が渦巻いている。
「麻衣!」高岡が叫んだ。
彼が振動波を放とうとした瞬間、美咲が領域を彼の足元に集中させた。
「絶対領域—重力増強!」
高岡の体が急に重くなり、動きが止まる。同時に香織が具現化した鎖が彼を縛り上げた。
「勝負あり!」
再び審判の声が響き、会場は大歓声に包まれた。美咲と香織は、見事に決勝戦も制したのだ。
「やった!」
香織が美咲に飛びついた。二人は嬉しそうに抱き合っている。霧が消え、高岡の拘束も解かれた。対戦相手の二人も、敗北を認め、美咲と香織に敬意を表している。
陽太は興奮冷めやらぬまま、記録を完成させた。二人の能力共鳴はさらに進化し、今回は敵の能力をも取り込むような高度な技を見せた。これは通常の能力では不可能なことだ。
「素晴らしい大会だった」学園長が立ち上がり、陽太の肩に手を置いた。「君の記録は、彼女たちの成長に大きく貢献しているよ」
「いえ、それは…」
「謙遜することはない」学園長は微笑んだ。「君の眼は特別だ。それは立派な『能力』だよ」
陽太は言葉に詰まった。自分の観察眼を「能力」と呼ばれたことに、複雑な気持ちを抱く。確かに役に立っているのかもしれないが、やはり実際に戦うことはできない。傍観者としての立場は変わらないのだ。
「表彰式に行くとしよう」
学園長は陽太を促し、観察台から降りる階段へと向かった。
8
「優勝、本当におめでとう」
表彰式後、陽太は美咲と香織に声をかけた。二人はメダルを首にかけ、誇らしげな表情をしていた。
「ありがとう、綾瀬くん!」香織は嬉しそうに言った。「あなたのおかげよ!」
「僕のおかげなんて…」
「いいえ」美咲がはっきりと言った。「あなたの記録のおかげで、対戦相手の弱点を知ることができたわ。特に神崎兄妹戦では決定的だった」
「藤堂先生から聞きました」陽太は小さく頷いた。「でも、勝ったのは二人の実力です」
「でも、綾瀬くんの分析がなかったら、もっと苦戦してたよ」香織は真剣に言った。「私たち三人のチームワークの勝利だよ!」
「三人…」陽太はその言葉に驚いた。自分を彼女たちのチームの一員と考えてくれているなんて。
その時、周囲から拍手が起こった。多くの学生たちが美咲と香織を囲み、祝福している。教員たちも感心した様子で二人に話しかけていた。
陽太は少し後ろに下がった。あくまで自分は「記録係」。彼女たちの輝かしい瞬間の傍観者でしかない。
「綾瀬くん!」
香織が陽太に手招きした。
「一緒に写真撮ろう!」
「え?でも僕は…」
「遠慮しないで」美咲も穏やかに微笑んだ。「私たちのチームなんだから」
陽太は恐る恐る二人に近づいた。周囲の学生たちは少し不思議そうに彼を見ている。
「無能力者なのに…」 「記録係だから仕方ないか」 「でも、本当に役立ってるの?」
そんなささやきも聞こえたが、美咲と香織は気にしない様子だった。
「はい、チーズ!」
カメラのフラッシュが焚かれ、三人の笑顔が記録された。その瞬間、陽太は少しだけ彼女たちの世界に入れたような気がした。
「これから打ち上げに行くんだけど、一緒に来ない?」香織が誘った。
「あ、僕はまだ記録をまとめないといけないので…」
「そう?」香織は少し残念そうだった。「じゃあ、また後でね!」
美咲も優しく微笑み、「記録、ありがとう」と言って去っていった。二人の周りには常に人だかりができている。やはり彼女たちは特別な存在なのだ。
陽太は静かに記録ノートを閉じた。今日は多くのことを学んだ。自分の記録が役立っているという事実。でも同時に、やはり自分は舞台の上ではなく、舞台裏にいる存在だということも。
彼は人々が去っていく大アリーナを見渡した。もう日が暮れかけている。
「記録係…か」
陽太は小さく呟いた。確かに役立っているという実感は得られた。けれど、やはり充足感には欠ける。自分が本当にやりたいことは何なのだろう?ただ記録することだけでいいのか?
彼はゆっくりと歩き出した。記録ノートが微かに光り、その淡い青い光が彼の道筋を照らしていた。
9
夜、南学生寮の自室で陽太は今日の記録を整理していた。測定器のデータをパソコンに取り込み、分析プログラムにかける。美咲と香織の能力共鳴に関するデータは膨大で、まだ完全に理解できていない部分も多い。
「『絶対千変—融合拡張』は前回の『融合障壁』『融合領域』よりもさらに進化している…」
陽太は記録ノートに書き加えながら考えていた。今日の試合では、美咲と香織の能力がさらに深いレベルで融合していた。特に決勝戦での霧の封印は、通常では考えられない技だった。
「ノック、ノック」
突然、ドアをたたく音がした。
「はい?」
ドアを開けると、美咲と香織が立っていた。二人とも普段着姿だ。
「お邪魔していい?」美咲が尋ねた。
「え?あ、はい…でも、部屋、散らかってて…」
「気にしないよ!」香織が笑いながら中に入ってきた。「打ち上げ終わったから、お土産持ってきたんだ!」
彼女は手に持っていた紙袋を見せた。中には飲み物やお菓子が入っている。
「ありがとう…ございます」
陽太は戸惑いながらも、二人を部屋に招き入れた。狭い部屋に三人も入ると少し窮屈だが、不思議と居心地は悪くない。
「記録、まだやってたの?」美咲が陽太のデスクを見て尋ねた。
「はい、今日のデータが想像以上に複雑で…」
「見せて!」
香織が陽太の横に立ち、画面を覗き込んだ。美咲も近づいてきた。
「これ、私たちの能力波動?」美咲が画面上のグラフを指さした。
「はい」陽太は頷いた。「青い線が美咲さん、赤い線が香織さん、そして紫の線が二人の能力が共鳴したときのものです」
「わあ、きれい…」香織が感心した。「まるで音楽みたいだね」
「音楽…?」
「そう」香織は笑顔で言った。「見て。波形がリズムを持っているでしょ?二つの波が絡み合って、新しいメロディを作るみたいに」
陽太は改めてグラフを見た。確かに、二つの波形が交わるところには一定のリズムがあった。まるで音楽の拍子のように。
「香織の直感は鋭いわね」美咲も同意した。「私たちの能力は、まるで二つの楽器が合奏するように共鳴しているのかも」
「なるほど…」陽太は新たな視点に気づいた。「音楽的調和…それなら、不協和音が発生する条件も分析できるかもしれません」
「不協和音?」美咲が興味を示した。
「はい」陽太は画面の一部を指した。「ここで二人の波形が乱れている箇所があります。これは試合中、神崎兄妹の攻撃を受けたときですね。二人の能力共鳴が一瞬不安定になっています」
「そういえば、あの瞬間、少し集中が切れたかも」香織が思い出したように言った。
「もし音楽理論が応用できるなら」陽太は熱心に説明した。「二人の能力をより安定させる『調和点』を見つけられるかもしれません。逆に、敵の能力との『不協和点』を作り出すことで、相手の能力を乱すことも…」
「それって、すごいアイデアじゃない?」香織が目を輝かせた。
「ええ」美咲も真剣な表情になった。「私たちだけでは気づかなかった視点ね」
陽太は少し照れながらも、二人が自分のアイデアを認めてくれたことに嬉しさを感じた。
「あのさ、綾瀬くん」香織が急に真剣な表情になった。「今日、志村先輩たちが言ってたこと、気にしてない?」
「え?」陽太は驚いた。「どうして…」
「志村先輩のこと、聞いたの」美咲が静かに言った。「あなたに酷いことを言ったって」
「大したことじゃないです」陽太は視線を逸らした。「慣れてますから…」
「慣れるべきことじゃないよ!」香織が強く言った。「綾瀬くんの記録があったから、私たちは勝てたんだよ。それなのに、役立たずなんて…許せない!」
「香織…」美咲が彼女を落ち着かせるように言った。「でも、彼女の言ってることは正しいわ。綾瀬くん、あなたは私たちのチームの重要なメンバーよ」
「本当に…?」
「もちろん!」香織が力強く頷いた。「私たちだけじゃ気づかないことも、綾瀬くんは見つけてくれる。それって、すごい能力だよ」
「能力…か」陽太は苦笑した。「でも、顕現能力はないんですよ」
「能力の形は一つじゃないわ」美咲が真剣に言った。「私たちには見えないものを見る眼。それは立派な能力よ」
陽太は言葉に詰まった。自分の観察眼を「能力」と呼んでくれる人が、学園長に続いて彼女たちまで…。少しずつ、自分の役割に自信が持てそうな気がした。
「ねえ、これ見て!」
香織が別の紙袋から写真を取り出した。今日の表彰式で撮ったものだ。三人が笑顔で写っている。
「いい写真だね」香織が嬉しそうに言った。「三人揃うと、なんだかいいチームみたい」
「ええ」美咲も微笑んだ。「それぞれ役割は違うけど、みんな大切な存在ね」
陽太はその写真を見つめた。自分も彼女たちと同じ写真に写っている。傍観者ではなく、仲間として。
「ありがとう…」彼は小さく呟いた。
「何が?」香織が首を傾げた。
「いえ…二人が僕を仲間と思ってくれて」
「当たり前じゃない」美咲は優しく言った。「これからもよろしくね」
三人は夜遅くまで話し込んだ。能力の理論、今日の試合の感想、そして学園生活のこと。陽太は久しぶりに心から楽しい時間を過ごした。
彼女たちが帰った後、陽太は窓辺に立って夜空を見上げた。星がきらめいている。自分の立場に戸惑いながらも、少しずつ前に進んでいるような気がした。
「まだ傍観者かもしれないけど…」陽太は星空に向かって呟いた。「記録を残すことで、何かを変えられるかもしれない」
彼は再びデスクに戻り、記録ノートに最後の一行を書き加えた。
「能力共鳴は音楽のように美しい。そして私もその旋律の一部になれるかもしれない」
10
翌朝、陽太は少し早めに目を覚ました。昨日の大会の余韻が残っていた。
彼はベッドから起き上がり、窓の外を見た。まだ日も昇りきっていない早朝だが、学園の方角から奇妙な光が見える。陽太は目を凝らした。
「あれは…?」
不思議な光の柱が、学園の中央から立ち上っていた。青白い光は、まるで北極光のように揺らめいている。
「何かあったのかな…」
陽太は急いで服を着替え、外に出た。学生寮の廊下では、他の学生たちも窓から外を見て騒いでいた。
「あれ何だ?」 「学園で何か起きてる?」 「演習か何かかな?」
不安そうな声が飛び交う中、突然非常ベルが鳴り響いた。同時に全学生の携帯端末にアラートが送られてきた。
「全学生は直ちに学生寮の避難所に集合せよ。これは訓練ではない。繰り返す…」
陽太は驚いた。何が起きているのだろう?彼は記録ノートと測定器を手に取り、急いで廊下に出た。そこで美咲と香織に出会った。
「綾瀬くん!」香織が彼に駆け寄ってきた。「あの光見た?」
「ええ、見ました」陽太は頷いた。「何が起きてるんですか?」
「わからないわ」美咲の表情は真剣だった。「でも、ただの事故じゃないみたい。あの光…何かの能力ね」
「能力?でも、あんな大きな…」
「私たちも確認に行くつもりよ」美咲が言った。「藤堂先生から直接連絡があったの」
「え?でも避難命令が…」
「だから他の学生は避難所に行くべきよ」美咲は冷静に言った。「でも、私たちは…」
「そうだよ、私たちだからこそ見に行かなきゃ!」香織が続けた。「綾瀬くんも一緒に来る?危ないかもしれないけど…」
陽太は一瞬迷った。避難命令に従うべきか。でも、彼女たちと行けば何かを記録できるかもしれない。それに…彼女たちのそばにいたいという気持ちもあった。
「行きます」陽太は決意した。「二人の記録係として」
美咲は小さく微笑み、香織は嬉しそうに頷いた。
三人は急いで学園へと向かった。他の学生たちが避難所に向かう中、彼らは逆方向に進む。街の通りは静まり返っており、遠くからはサイレンの音が聞こえてきた。
学園に近づくにつれ、青白い光はより強く、より不気味に感じられた。門に着くと、そこには藤堂先生と何人かの教員が立っていた。
「来たわね」藤堂先生は三人を見ると安堵の表情を見せた。「状況を説明するわ」
彼女の表情は緊迫していた。
「今朝未明、何者かが学園に侵入し、中央研究棟を襲撃したわ。複数の能力者がかかわっているようね」
「敵?」美咲が尋ねた。
「ええ」藤堂先生は頷いた。「自分たちを『虚無』と名乗る集団よ。顕現能力者で構成された危険な組織」
「『虚無』…?」陽太は初めて聞く名前だった。
「彼らの目的はまだわからないけど、研究データの奪取を試みているようね」藤堂先生は続けた。「特に、能力共鳴に関するデータに興味があるらしいわ」
美咲と香織が互いに視線を交わした。
「なぜ私たちを呼んだんですか?」美咲が冷静に尋ねた。
「正直に言うわ」藤堂先生は深刻な表情で言った。「敵の能力が強力すぎて、教員だけでは対処できないの。二人の能力共鳴が必要なのよ」
「一年生を戦わせるなんて…」陽太は思わず抗議した。
「私も反対だった」藤堂先生は苦しそうに言った。「でも、蓮見先生の判断よ。二人の能力共鳴は、あの光を打ち消せる可能性があるって」
「行くよ、美咲」香織がすぐに決意した。「私たちにできることなら」
「ええ」美咲も頷いた。「でも、綾瀬くんは?」
「彼も来るわ」藤堂先生は続けた。「彼の記録が二人の能力共鳴の安定に役立つから。でも、あくまで安全な場所からの観察よ」
陽太は緊張したが、頷いた。「わかりました」
「では行きましょう」藤堂先生が先導し、三人は学園の中へと入っていった。
通常なら学生で賑わう校舎も、今は静まり返っている。中央広場に近づくと、青白い光の柱の正体が見えてきた。それは巨大な氷柱のようなもので、中央研究棟を包み込んでいた。
「あれは…」
「『氷結界』ね」藤堂先生が説明した。「敵の能力者の一人、桐生ケイの能力よ。内部を完全に凍結させ、外部からのアクセスを遮断している」
「中に誰かいるんですか?」陽太が心配そうに尋ねた。
「研究員が数名と…」藤堂先生は言いにくそうにした。「蓮見先生も」
三人は驚いた。
「学園長が?」美咲が声を上げた。
「ええ」藤堂先生は頷いた。「彼は侵入者に最初に気づいたのよ。一人で立ち向かったけど…」
「大丈夫なの?」香織が心配そうに尋ねた。
「わからないわ」藤堂先生は正直に答えた。「だから急いでいるの」
中央広場には、他の教員やいくつかの装置が配置されていた。全員が緊張した表情で氷の柱を見つめている。
「倉田、若林」藤堂先生が二人に向き直った。「作戦は単純よ。二人の能力共鳴で『氷結界』を溶かし、内部にアクセスできるようにする。後は教員たちが侵入者を捕まえるわ」
「わかりました」美咲が頷いた。「でも、この『氷結界』、普通の熱では溶けないんでしょう?」
「ええ」藤堂先生は確認した。「通常の物理法則が通用しない特殊な氷よ。だから二人の能力共鳴が必要なの」
「任せて!」香織が力強く言った。「私たち、やってみせるよ!」
「綾瀬くん」藤堂先生が陽太に向き直った。「君はあそこの観察台から記録を取りなさい。特に二人の能力波動の変化を詳細に」
「はい」
陽太は指定された場所に向かった。そこは中央広場の端にある小さな台で、安全な距離を保ちながらも全体を見渡せる位置にある。
彼は記録ノートを開き、測定器を準備した。いつもの練習や試合とは違う緊張感がある。これは本物の危機だ。美咲と香織の安全が心配だったが、今の自分にできることは記録に徹することだけだった。
「始めるわよ!」藤堂先生が号令をかけた。
美咲と香織は氷の柱から約10メートル離れた場所に立った。二人は互いに目を合わせ、深く息を吸い込む。
「行くよ、美咲」 「ええ、香織」
二人が手を取り合うと、周囲の空気が変わり始めた。美咲の青い領域が広がり、香織の具現化した光の粒子がその中で舞い始める。
「絶対千変—融合『炎』!」
二人の声が重なり、青い領域内に赤い炎のような形が現れた。それは通常の炎とは明らかに違い、青と赤が混ざった不思議な色をしている。
「あれは…領域内で物理法則自体を変えているのか?」陽太は夢中で記録した。「通常の熱ではなく、『存在の揺らぎ』を引き起こしているように見える…」
融合した炎が氷の柱に向かって放たれる。接触した瞬間、氷の表面が揺らめき始めた。普通の氷が溶けるような変化ではなく、まるで存在そのものが希薄になっていくような現象だ。
「続けて!」藤堂先生が叫んだ。「効果が出ている!」
美咲と香織は集中を深め、能力を強化した。二人の周りには、より強い光の渦が形成されている。測定器によれば、能力共鳴の強度は過去最高を記録していた。
「これは…」陽太は気づいた。「音楽理論が正しければ、このままでは不協和が起きる可能性が…」
彼は急いでデータを分析し、二人の能力波動の変化を追った。予想通り、共鳴の強度が高まるにつれ、波形にわずかな乱れが生じ始めていた。
「このままでは…」
陽太は決断した。観察台から離れ、藤堂先生の元へ駆け寄った。
「先生!二人の能力共鳴が不安定になっています!このままでは崩壊する可能性が!」
「何?」藤堂先生は驚いた表情を見せた。「どういうこと?」
陽太は測定器の画面を見せた。
「この波形の乱れ…二人の能力が同調を失いつつあります。強度を上げすぎると危険です」
藤堂先生は画面を見て、顔色を変えた。
「倉田、若林!一度能力を弱めなさい!」
しかし、二人は既に深い集中状態にあり、外部の声が届いていないようだった。氷の柱は確かに変化しているが、それと同時に二人の周りの光の渦も不安定さを増していた。
「このままでは…」
陽太は迷わず美咲と香織に向かって走り出した。
「綾瀬!危険よ!」藤堂先生が制止しようとしたが、陽太は聞かなかった。
二人に近づくと、能力の波動による圧力を感じた。まるで強い風に向かって歩いているようだ。それでも陽太は前進し、ついに二人の近くまで辿り着いた。
「美咲さん!香織さん!」陽太は叫んだ。「能力を調整して!このままでは共鳴が崩壊します!」
二人はわずかに反応したようだったが、完全には聞こえていないようだった。
陽太は思い切って記録ノートを広げ、二人に示した。ノートに書かれた波形のパターンと、「調和点」を示す図。
「この波形を目指して!」
ノートが強く光り始め、その光が美咲と香織を包み込んだ。驚くべきことに、二人の能力波動が変化し始めた。不安定だった渦が、徐々に安定した形に整っていく。
「なぜ…?」陽太は混乱しながらも、事態の好転を感じた。
美咲と香織の表情が変わり、互いに視線を交わした。彼女たちは陽太の存在に気づき、その指示を理解したようだった。
「調和…」美咲が小さく呟いた。
「リズムを合わせる…」香織も頷いた。
二人の能力が新たな形で融合し始めた。より穏やかで、より深い共鳴。測定器によれば、強度は少し下がったものの、安定性は大幅に向上していた。
「絶対千変—調和『解放』!」
二人の声が完全に一致し、新たな波動が氷の柱に向かって放たれた。それは以前の炎とは異なり、より繊細で、より深く浸透するような光だった。
氷の柱が反応した。外側から内側へと、氷が消えていくのではなく、透明になっていく。まるで物質の状態そのものが変化しているようだった。
「成功してる…!」藤堂先生が驚いた声を上げた。
陽太も夢中で記録を続けた。二人の能力共鳴が、かつてない安定状態で持続している。測定器のデータによれば、これは「完全調和」とも呼べる状態らしい。
氷の柱は徐々に透明度を増し、ついには完全に姿を消した。中央研究棟が現れ、そこには数人の人影が見えた。動かない人もいれば、何かに抵抗しているように見える人もいる。
「蓮見先生!」藤堂先生が叫んだ。
学園長らしき人物が、研究棟の入り口付近で立っていた。彼の前には、黒い衣服を着た人影がいる。二人は対峙しているようだった。
「教員隊、突入!」藤堂先生が命令した。
待機していた教員たちが一斉に研究棟に向かって走り出した。同時に、黒い衣服の人影たちも動き始めた。そのうちの一人が手を掲げると、新たな光の柱が現れた。今度は青白い氷ではなく、赤黒い炎のようなものだ。
「撤退!」黒衣の一人が叫んだ。
赤黒い炎が教員たちの行く手を阻み、黒衣の集団は建物の別の出口から逃げようとしていた。
「追わせない!」
美咲が絶対領域を広げ、逃走経路を封鎖しようとした。しかし、長時間の能力使用で既に疲労していたようで、領域は不安定だった。
「美咲、無理しないで!」香織が心配そうに言った。
「でも…」
その時、蓮見学園長が動いた。彼は手を掲げ、何かの能力を発動したようだった。突然、逃げようとしていた黒衣の何人かが動きを止め、その場に倒れた。
「学園長の能力…」藤堂先生が言った。「『精神干渉』…」
しかし、全員を捕らえることはできなかった。黒衣の集団のリーダーらしき人物が何かの装置を起動させると、閃光と共に数人が姿を消した。
「瞬間移動…?」陽太は驚いて記録した。
現場には、倒れた黒衣の人物が数人残されていた。教員たちが急いで彼らを拘束し、学園長のもとへと急いだ。
「蓮見先生、ご無事ですか?」藤堂先生が駆け寄った。
「ああ、なんとか」学園長は疲れた様子だが無事なようだった。「研究データは守れたよ。だが、奴らの目的はわかった。倉田さんと若林さんの能力共鳴の秘密を探っていたようだ」
藤堂先生が驚いた表情を見せる中、学園長は美咲と香織、そして陽太の方を見た。
「三人とも、よくやってくれた」彼は穏やかに微笑んだ。「特に綾瀬くん、君の機転が状況を救ったようだね」
「いえ、僕は…」
「謙遜することはない」学園長は静かに言った。「君の記録と観察が、倉田さんと若林さんの能力を安定させた。それは立派な貢献だよ」
陽太は言葉に詰まった。自分の行動が役に立ったと学園長に認められたことに、複雑な感情を抱いた。嬉しさと、同時に自分の役割への戸惑いも。
「美咲、大丈夫?」香織が疲れた様子の美咲を支えていた。
「ええ…少し疲れただけ」美咲は弱々しく微笑んだ。
「二人とも保健室へ行きなさい」藤堂先生が指示した。「能力を長時間使ったんだから、休息が必要よ」
「綾瀬くんも一緒に」学園長が付け加えた。「君も相当な精神的負荷を受けているはずだ」
陽太は頷いた。確かに、今まで経験したことのない緊張と興奮で、体力を使い果たした感覚があった。
三人は教員たちに導かれ、保健室へと向かった。陽太は一度振り返り、中央研究棟を見た。今日起きたことは、何かの始まりのような気がした。
「虚無」という組織。美咲と香織の能力を狙う者たち。そして自分の記録の意味。多くの疑問が頭の中に渦巻いていた。
しかし一つだけ確かなことがあった。今日、彼は単なる記録係を超えて、何かを変えることができた。まだ「傍観者」かもしれないが、以前より少しだけ前に進んだような気がした。
陽太は記録ノートを強く握りしめた。それは単なる記録ではなく、変化をもたらす力を秘めているのかもしれない。その可能性に、彼は小さな希望を感じていた。




