第6話:首と米と、交渉の限界点
▶前回までのあらすじ
兵と村の子どもとの衝突。義昌(湊)は、理と情の狭間で決断を下す。
村の広場に、ざわつきが戻ってきたのは、翌日の午後だった。
「義昌様、村の者が敵の斥候らしき者を捕らえました」
報告を聞いた俺は、静かに目を伏せた。
(来たか……外との接触は、いずれ起きると思ってた)
戦国の世にあって、山一つ隔てればすぐに別の領地。村人たちのうち一人が、薪を拾いに出た山中で武装した男を見つけ、取り押さえたという。
「怪我は?」
「軽傷とのこと。ただ、村の若者たちがかなり手荒に……」
連れてこられた斥候は、まだ少年と言っていい年齢だった。
肩口に傷を負っているが、目は鋭い。尋問にも口を開かず、膝をついて地面を睨んでいる。
「どういたしますか、義昌様?」
兵庫の問いに、周囲の視線が集中する。
「斥候が見つかったということは、近くに本隊がいる可能性が高い。放てば戻って報告される。殺せば……」
(それも選択肢か。戦国なら……だが)
俺は目の前の少年に歩み寄り、膝をついて顔を合わせた。
「君、名前は?」
少年は黙ったままだった。
「……そうか。なら、“君”として話す」
俺は、やさしく語りかけるように言った。
「君を処分しろという声もある。情報を持ち帰られたくない、とね。だけど俺は、できればそうしたくない。だから提案する」
俺は立ち上がり、兵庫に命じた。
「村の倉に、米がまだ少し残っていたはずだ。二升分、用意してくれ」
「二升……? 捕虜に食糧を?」
「そうだ。そして、傷の手当ても」
ざわつきが広がった。若い兵士が声を上げる。
「敵ですよ!? 村の食糧を割いてまで!」
その声に、何人かの兵がうつむきながら、低くつぶやいた。
「……敵に情けをかけて、どうするんだ」
「……あの少年ひとりに、米二升? 俺たちの分すら足りてねぇってのに……」
「次は村の奴らか? それとも敵将にも振る舞うつもりかよ……」
「……俺たちは、いつまで我慢すりゃいいんだ」
「黙れ」
義昌の声は静かだったが、鋼のように冷えていた。
「俺たちは、“信頼で成り立つ軍”を築こうとしている。ならば、敵にもそれを示す価値がある」
「甘い!」
若い兵の声は怒気を含んでいた。俺はその兵をまっすぐに見た。
「甘さが命を救うこともある。恐怖だけじゃ、人は動かない」
俺は、かつて自分が恐怖に押しつぶされそうになった夜を、ふと思い出していた。
——信じられる誰かがいたら、どれだけ救われただろうか。
米が用意され、少年の前に置かれた。
俺は、その包みに手を添えた。
「これを持って帰っていい。ただし、条件がある。——次に来るときは、必ず“名を名乗れ”」
少年の目がわずかに揺れた。やがて、かすかに唇が動く。
「……久世。久世新吾」
「ありがとう、新吾。君のその名、覚えておく」
(……“久世”とは、また立派な苗字だな。武家の出なのか……?)
(だが、今は詮索する時ではない)
少年は、米を抱えたまま、ゆっくりと村を後にした。
その背を見送りながら、兵庫がぽつりと言った。
「……お許しを、義昌様。今のご決断、兵の一部に不満が残るかと」
「わかってる。だが、だからこそ“見せた”。俺たちは暴力ではなく、信頼を積み重ねるんだと」
「ですが、あの少年が戻って報告すれば、敵に警戒されます」
「いいさ。俺たちのやり方を伝えてもらう。それは脅威ではなく、対話の入り口になるかもしれない」
しばらくして、俺は村の外れに一人で立っていた。
冷たい風が頬をなでる。
(現代なら、契約書も、保証人も、第三者の仲裁もある。だが、ここでは、すべてが“言葉と行動”でしか繋がらない)
そのとき、背後から声がした。
「……どうして、そこまで譲るのです?」
振り返ると、仁兵衛だった。先日の騒動以来、少し距離を取っていた彼が、初めて自ら話しかけてきた。
「敵にまで情けをかける理由が、どうしても理解できません」
俺はしばらく黙った後、静かに言った。
「それでも、俺は“人を信じたい”って気持ちが残ってるからだよ」
「……信じるだけで、この国が変わると?」
「信じることが、“最適解”になる時もある。俺は、そう信じたい」
仁兵衛は何も言わなかった。ただ、その目に、一瞬だけ迷いと……ほんのわずかな光が揺れた。
やがて彼は静かに頭を下げ、背を向けた。
火が小さくはぜ、夜の風が頬をかすめる。
(信じることが、最適解になる時もある——か)
そのとき、再び足音が近づいた。
「義昌様。村の西側で、畑の整地が終わったとのことです」
兵庫が控えめに告げる。
俺は、夜空を見上げ、小さく笑った。
「そうか……一歩ずつ、だな」
最後までお読みいただきありがとうございます!
これから毎日更新予定です。ぜひ、戦国を“最適解”で生き抜く義昌(湊)の物語を見守ってください。
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