第5話:怒声の先、正しき正解はどこにある
▶前回までのあらすじ
義昌(湊)は信頼を得るため、村人たちとの交渉の場に自ら臨む――
「義昌様!」
村の広場で作業をしていた兵士が、息を切らして駆け込んできた。
「村のはずれで揉め事です! 兵が、村の子どもに手を挙げたと……!」
「なにっ」
俺はすぐに立ち上がった。
先ほどまで畑の境界線を確認していた千田兵庫も、険しい表情で後を追う。
駆けつけた先、怒号と泣き声が入り交じる中、状況が明らかになっていく。
若い兵士が一人、村の少年の襟首を掴み、睨みつけていた。
少年の足元には、転がった飯の包みと、割れた水瓶。
その傍らには、食糧を運んでいた荷駄が倒れていた。
周囲には、兵士と村人、それぞれ数人が集まり、緊張が高まっていた。
「このガキが、兵の飯を盗もうとして、荷駄をひっくり返しやがったんだ!」
「違う、つまずいただけだ! おいら、水汲みに行こうとしてて……!」
村の子供が必死に叫ぶも、兵士は聞く耳を持たない。
その目には、疲れと苛立ちと、そして「奪われる側」としての不安が渦巻いていた。
「やめろ」
俺のその一言で、空気が止まった。
兵士が手を離す。少年が地面に崩れ、むせび泣く。
「名前を教えてくれ」
「……庄吉、で、す」
俺はやわらかく首を振った。
「ごめん、君じゃない。兵の君に聞いてる」
ぴたりと間があいた。
「……矢部仁兵衛」
「仁兵衛、君に問う。——子どもに怒鳴り、手を挙げることで、何が守られる?」
「っ……! 盗みは、罰すべき……」
「ならば、君のその剣で、村の信用を断ち切るか?」
俺の声は冷たくも、怒りを押し殺した鋭さを持っていた。
「俺たちの兵糧は、村との信頼の上に成り立っている。その土台を壊したら、次に飢えるのは、俺たちだ」
仁兵衛が唇を噛んだ。
俺は視線を少年に向け、優しく言った。
「庄吉、謝れるか?」
庄吉は小さくうなずき、泣きながら頭を下げた。
俺はそれを見て、うなずき返す。
「仁兵衛、君も謝れ。“誤解があった”とはいえ大人として、兵として、それをできるか?」
「……はい」
小さな手と、大きな手が、ぎこちなくも互いに頭を下げ合う。
その場にいた者たちが、一瞬、息を止めるようにして見守っていた。
俺はゆっくりと周囲を見渡し、言った。
「兵も村人も、今は皆、“飢え”を恐れている。だからこそ、言葉と行動で互いを試す前に、“信頼”という資源を育てたい」
誰も反論しなかった。
沈黙の中で、村の空気が少しずつほどけていくのがわかった。
その夜、俺は焚き火の前で、ひとり酒をすすっていた。
千田がそっと近づいてくる。
「今日の対応、お見事でした。ですが……飲みすぎにはご注意を。今は酒も貴重ですから」
「……ん、ああ、すまん」
俺は苦笑いしながら、ぐらりと身体を揺らした。
「……わかってる。わかってるんだけどな。……たまには、こうして……逃げたくもなるさ」
ぽつり、ぽつりと、呂律の甘い声で続けた。
「……綺麗事かもしれない。でもな——感情まで切り捨てちまったら、俺は……人間じゃなくなっちまう気がしてな」
ふらりと傾いだ手元から、酒が少しこぼれた。
それでも、盃をぎゅっと握りしめたまま、俺は火の揺らめきを見つめた。
「……前の職場でもさ、上司ってのは……バカばっかで……」
ぼそりと、酔った勢いでそう呟いたあと、俺は小さく笑った。
「……ああ、悪い。城崎ってのは、俺の……いや、なんでもない」
千田は黙っていた。
ただ、焚き火の炎が彼の瞳に、わずかな哀しみを映していた。
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これから毎日更新予定です。ぜひ、戦国を“最適解”で生き抜く義昌(湊)の物語を見守ってください。
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