第34話:商人の目、信長の影
真里との再会が、義昌の心を揺らす。
そして彼は決めた――支えるべきは、城ではなくあの村だと。
木曽城を奪還してから三日。
城内の混乱もひとまず収まり、兵庫への使者を見送った後、義昌たちも村へと向かった。
「戻られましたか」
館の前に現れたのは、館に滞在していた異邦の商人――宇乃吉だった。
肩をすくめたその笑みには、皮肉とも安堵ともつかない色が混じっていた。
「……“病床の王”とやらは、どうでしたか」
義昌は短く答える。
「ご存命ではありましたが、人の手の及ぶ状態ではありませんでした」
「……そうですか」
宇乃吉はそれ以上、何も言わなかった。
すでに全てを察しているような沈黙だった。
* * *
その日の午後。
義昌は宇乃吉を一室に招いた。宗次郎は席を外し、供も下げて、二人きりの場。
宇乃吉は静かに畳に座り、懐から茶壺を取り出して湯を注ぐ。
「……改まって“話をしたい”とは、何だか恐ろしいですな。
いつもは様子を伺うだけだったのに」
「今までは、こちらが伺われる側でしたから」
「なるほど。確かに、値踏みしていたかもしれませんな」
茶を湯呑に注ぎながら、義昌はゆっくりと視線を向けた。
「……あなたは“信長公の使い”だと自ら名乗りましたね。
ですが私は、ずっと迷っていました。
あなたは信長の目なのか、それとも――この村を見に来たのか」
宇乃吉は、茶をすすりながら静かに笑った。
「ほう、見抜かれていましたか。
半分はその通り。ですが、残りの半分は……まあ、私の気まぐれというやつですな」
「……裏切りには厳しいと聞く信長公が、よくあなたを殺しませんでしたね?」
「ええ。殺されていても不思議ではなかった。
ですが――信長公は私を“殺さなかった”。いや、“殺せなかった”と言うべきでしょうか」
「理由は……商会の力、ですか?」
「それもあるかもしれません。ですが本当のところは、私の“目”を信じていたからです」
宇乃吉はゆるく背を預ける。
「私が誰に仕えるか、誰を見込むか――それが、信長公にとっては“判断材料”になる。
ですから、私が“義昌様に仕える”と決めた時点で、信長公はあなたに興味を抱いたのですよ」
「……信長公が、私に?」
「ええ。信長公はこう考えるのです。
“私が見込んだ者なら、一見の価値がある”と」
宇乃吉の目が細くなった。
「もちろん、私は信長公にとって“使えるが、制御できない”存在でもあります。
鉄砲の取引に口を出し、誰と結ぶべきかにまで踏み込む。
その私が目障りだったのは確かでしょう。
だからこそ、“戦から遠ざける”という意味も込めて、木曽へ出立させられたのです」
義昌は、静かに頷いた。
「つまり、私を試すためでもあった……と」
「あるいは、“投資と監視”の両方でしょう。
私を通じて義昌様を値踏みし、仲間に引き込めるならそれでよし。
もし敵に回るようなら――その時は私もろとも、始末すればよい。
信長公は、そう考えていたかもしれません」
そして、ふっと口元をゆるめる。
「……そう考えれば、この木曽に“信長公の目”が潜んでいても、何ら不思議はありませぬな」
義昌は目を細めて問い返した。
「……そのような者がいると、お思いで?」
「さて。商人というものは、常に疑って生きるものです。
でなければ、すぐに喰われてしまいますからな」
夕暮れが障子越しに差し、茶の色を朱に染める。
宇乃吉は湯呑を置き、膝をそろえて、ひと呼吸おいた。
「……では、私からもひとつ。心よりの申し出を、させていただきとうございます」
そう言って、宇乃吉は、深く頭を下げた。
沈黙のまま数拍置き、やがて語り出すその声には、これまでにない誠実さがにじんでいた。
先ほどまでの軽妙な口ぶりとは違い、その声はまっすぐで、静かな覚悟を帯びていた。
「義昌様。あなたに仕えさせてはもらえませぬか?」
「……よいのか? 私はただの、田舎の一領主。
信長に比べたら、金払いも悪いぞ?」
「ええ。それでも、私は“信長公”以上に――自分の目を信じておりますから」
「ふむ……なぜそう思う?
私と会ったのは、まだ二度。なぜそこまで私を買う?」
「宗次郎殿が仕えている――というのもありますが。
それだけではありません」
宇乃吉は、ふと障子の向こうに目をやる。
「私は商人。商いのため、各地を巡ってきました。
都も、城下も、山間の村々も。
……その多くで、目にしたのは“死んだような目”ばかりでした」
「富める者はより富み、貧しき者は生きるだけで精一杯。
口元は笑っていても、目は笑っていない。
そんな人々ばかりでした」
少し笑って、続ける。
「ですが――この村は、違ったのです」
「裕福とは言えぬかもしれません。
けれど、皆が“誰かのために”働き、“誰かと共に”生きている。
目には光が宿り、心には温かさがある」
「それは、偶然ではありません。
私は見ました。村人たちが、皆、義昌様を“信じている”ということを。
そして、義昌様が彼らを、誰よりも“信じている”ということを」
深く頭を下げる。
「……私も、その輪に加わりたい。
この村を、この国を、“商人”として支えさせていただきたいのです」
「其方の気持ち、確かに受け取った。……力を貸してくれ、宇乃吉」
「はっ! ありがたき幸せ」
この村に賭ける。
それが、信長公ではなく、自分の“目”が選んだ未来――
宇乃吉は、静かに背を起こし、顔を上げた。
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