第30話:道すがらの商人
信玄から届いた「至急会いたい」の書状。
村を後にした義昌は、答えの見えぬ旅路へ踏み出す。
その胸には、託された命とひとつの不安があった。
街道沿いの林が、徐々に色を濃くしていく。
十人の騎馬が静かに行軍を続けるなか、義昌は前を見据えたまま、心を沈めていた。
信玄からの書状には、ただ一言――「至急、会いたい」とだけ。
その言葉の重みは、日ごとに強まる情勢の不穏さと呼応していた。
ふと、前を行く宗次郎が手綱を引いた。
「……殿。前方に、荷馬車三台と護衛数名。恐らく商隊です」
義昌も馬を止める。
街道を塞ぐように止まっていたのは、見覚えのない一団。
荷馬車には幌がかけられ、護衛はそれなりに整っている。ならず者ではなさそうだった。
「義昌殿とお見受けします。……お初にお目にかかります」
馬車の脇から現れたのは、まだ若いが、抜け目のなさを感じさせる男だった。
身なりは地味だが、所作に無駄がない。商人として長く場数を踏んできた男の風格があった。
「名は宇乃吉。宗次郎殿よりお声をいただき、参上いたしました」
義昌が目を向けると、宗次郎が目を見開き、驚いていた。
「宇乃吉!? 文を出してまだ一月も経っていないぞ? こんな早くにどうして……。
すみませぬ、殿。この者はかつて、私が旅の途上で命を救った男です。その後、各地で商いを重ね、それなりに名も通るようになったと聞いております。ですが、ここまで早く駆けつけてくれるとは……」
義昌は一拍置いて、宇乃吉を見た。
まだ疑念を完全には拭っていなかったが、宗次郎の信がある以上、無下には扱えない。
「なるほど。……その縁で、今ここへ?」
「はい。宗次郎様より便りをいただき、急ぎこちらへ馳せ参じました。
地盤を捨て、信用も一部手放しました。ですが、助けられた恩を返すのは今をおいて他にないと、思ったのです」
宇乃吉は背後を振り返り、荷馬車を一瞥した。
「荷は三台。米、干し肉、塩、防寒具……あらゆる伝手を使って、可能な限りかき集めました。
村人全員の腹を満たすには到底及びませんが、最悪の事態は避けられるかと……。
あとは残してきた伝手を使い、追加の荷も手配が可能でございます」
義昌は、しばし言葉を失った。
この男が、地盤を捨て、信用を手放し、時間と労力と心を投げ打ってまで木曽へ来たという事実。その意味を、彼は痛感していた。
「……礼を言う。だが、あいにく今、我らは急ぎの旅の途上。同行は叶わぬ。だから文を持たす」
義昌は馬上で懐から筆と紙を取り出し、短く文をしたためる。
「私の名で村に通してやる。兵庫という者が留守を預かっている。……彼にこれを渡せ」
「はい。ありがたき幸い」
宇乃吉は頭を下げて、それを受け取った。
「お前のような人物に力を借りられるのは、村にとって大きな幸運だ。……それにこの文を見せれば、皆、必ず迎え入れてくれる」
「身に余る言葉です。では、我々は村へ参ります」
彼が去っていった後、義昌は宗次郎に視線を向けた。
「……いい男だな。あのような者が、まだこの国にいるとは」
「はい。商人らしい抜け目なさも無論ありますが、それ以上に義に厚い男です」
義昌は目を細め、遠ざかっていく荷車をしばらく見つめていた。
いずれ、この国の命運を分けるのは――兵ではなく、ああした“繋ぐ者”なのかもしれないと。
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ということで7/7の22時にもう一本投稿しようと思います!
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