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第26話:見えぬ明日を、信じて

▶前回までのあらすじ

仁兵衛の“裏切り”を悔やむ庄吉に、義昌はその行動の裏にあった覚悟と優しさを語る。

失われた過去と向き合い、誰かを守ろうとした男の選択が、夜の焚き火に滲んでいた――。

義昌様からの手紙が届いて、三日が経った。

それは、日付も印もない、素朴な文だった。


だが、筆跡は確かに彼のもの――いや、正確には、“かつての彼”ではなかった。


少しだけ乱れた筆運び。

昔の義昌は、もっと整った文字を書いていた。教本のように、完璧で、無味乾燥で。


けれど今ここにあるのは、不器用なまでに感情のにじむ文字。

線の一本一本に、決意と迷いと、何よりも“生きた人間の熱”が宿っていた。


「……これが、今のあなた、なのですね」


真里姫はそう呟き、指先で文の端をなぞった。


 


木曽義昌という人物を、真里はずっと“政の駒”として見ていた。

会ったのは数えるほど。いずれも政務の席で、常に後見人の陰に控えていた姿ばかりが記憶に残っている。


剣を振るでもなく、声を張り上げるでもなく、命令を下すこともなく。

無難に従う――その印象しかなかった。


けれど、今こうして文を読めば、その印象は覆る。


(民のために、頭を下げた……?)


文の中に記されていたその一節を、何度読み返しただろうか。

義昌が、己の立場を捨ててまで、誰かを守ろうとしたということが、にわかには信じがたかった。


――だが、信じてしまったのだ。

文字に宿る切実さが、それを否応なく感じさせた。


 


灯火が揺れる。

胸の奥もまた、さざめくように震えていた。


窓の外から、遠く犬の遠吠えが聞こえる。

夜が、何かを告げているようだった。


あの男が、変わったのだ。

従順だったはずの人が、抗おうとしている。


政の駒ではなく、一人の人間として、立ち上がろうとしている。


「……ずるい人です」


その呟きは、怒りではなく、どこか寂しげだった。

もっと早く、そういう人だとわかっていたら。

もっと早く、信じることができていたら――。


 


真里は立ち上がり、帳面の入った引き出しを開いた。

そこには、いくつもの商人名が並び、物資の記録と共に記されている。


すでに、山道を抜けるよう手配を済ませた記録だ。


武田家の目を避けるため、正規の軍路は使わない。

複数の農民や行商人の網を使い、荷を一度に大量に届ける。


その策を練り、動かしたのは、義昌の手紙が届いた翌朝のことだった。


 


信じようと思ったのではない。

気づけば、動いていたのだ。


……あなたの声が、あまりに人間らしくて、目を逸らせなかった。


だから、気づいたら、動いていたのです。


 


「……罰されても、構いません」


誰に言うでもなく、静かに、確かにそう口にした。


 


真里は筆を手に取ったが、返書は書かなかった。

言葉では足りないと感じた。


何より、今の彼には、言葉よりも“届く現実”が必要だと思えた。


だから――送る。

信じて、送る。


それが、今の自分にできる唯一のことだった。


 


窓を開けると、夜風が頬をなでた。


遠く、山道の向こうに続く影の奥へ、想いを乗せた荷が向かっているはずだ。


牛の背に揺れる木箱の重みが、どうか希望に変わることを。

それが、誰かの明日を救う一助になることを。


 


真里姫は、夜空を仰ぎ、そっと囁いた。


「義昌様……あなたの選んだ道が、どうか――報われますように」


その声は、風の流れに乗って、どこか遠くへと届いていった。



最後までお読みいただきありがとうございます!

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