第17話:願いの根、芽吹くとき
▶前回までのあらすじ
寒さが深まる中、防衛班を率いる老兵・権六は、村を脅かす武田の動きを静かに監視していた。かつて守られた背中に憧れた少年が、今は“盾”として誰かを守る立場に――。村を守る覚悟を胸に、静かに槍を握る。
夜明け前の村に、白い靄が立ち込めていた。
その中を、足音が走る。
「おばあ、朝の薬草取りに行ってくる!」
弾ける声。
村の端にある薬草小屋では、老女が眉をひそめていた。
「みつ……まだ暗い。おまえ一人では危ねぇ」
「うん。でも庄吉も来るって! 今日はおばあに怒られないように、ちゃんと覚えるから」
くるりと振り返った少女の名は、おみつ。
庄吉の姉であり、薬の知恵袋“うめ”の孫娘だった。
小柄であどけない顔立ちだが、その瞳には静かな意志がある。
母代わりだった姉が攫われた後、ずっと祖母を支えてきた。
「ったく……あの子も、ようやく薬の重さを知るようになってきたが……」
うめは、溜息をつきつつも、その背中に目を細めた。
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裏山のふもと。
朝の冷気が木々の間を吹き抜けるなか、庄吉が震えながら草むらを覗いていた。
「うぅ……しもやけで指が痛ぇ……。あ、これ!」
小さな指が、薬草の茎をちぎろうと伸びる。
「だめっ!」
おみつがすかさず止めた。
「それ、触ると手がかぶれるから」
庄吉は慌てて手を引っ込めた。
「す、すまん……」
「ううん、間に合ってよかった!」
おみつの声は鋭かったが、そこに怒気はない。
本当に大事なものを守りたいという必死さだけがにじんでいた。
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一方、薬草小屋では、うめが干した葉を選別していた。
そこへ、義昌が静かに現れる。
「……うめ殿」
「なんだい、殿様がこんな朝っぱらから。風邪でもひいたかい?」
「いや、違う。ただ……おみつたちの姿を見て、ふと考えたことがある」
うめは手を止め、義昌を見た。
「薬を選ぶのは、難しいものだな。見た目が似ていても、効き目は正反対だ」
「当たり前さ。毒にも薬にもなる。それを選ぶのが“覚悟”ってもんさ」
義昌は小さく頷く。
「俺も、今はその覚悟を問われてる気がする。何を信じ、何を選び、どう使うか。
それを誤れば、人も村も、あっという間に壊れる」
「ふふ、いい顔になってきたね、殿様も」
うめは笑い、ふと薬籠の奥に目をやった。
「道具は揃ってても、使う人の手が震えてちゃ、薬にはならない。
だがね……本当に必要なときには、震えた手でも、誰かを救えることがあるんだよ」
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そのころ、裏山の採取現場では、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「みつ、これ、何だったっけ……?」
庄吉が、見慣れない草を手にしていた。
「それは……たぶん……」
おみつが言葉に詰まった瞬間――
「それ、根っこに少し苦みがあって、煎じても色が濁らないなら“カワホウセン”だ。
傷の炎症に効くけど、摂りすぎると胃を壊す」
突然、声が割り込んできた。
二人が振り返ると、そこに立っていたのは五助だった。
「五助おじ!」
「おう、婆さまに薬のことでガミガミ言われたくなきゃ、よーく覚えとけよ。
薬は人を救うが、使い方を誤れば、刃より恐ろしい」
冗談めかして笑う五助。
だが、その目には真剣な色があった。
「おまえらがいま覚えてることが、いずれ誰かの命を救うかもしれねぇんだ。
だからな……薬草だけじゃねぇ。気持ちの種も、大事に育てろ」
庄吉とおみつは、静かに頷いた。
それは、誰かに言われたからではない。
“守るべきもの”が自分たちにもあると、少しずつ理解してきたからだった。
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昼、薬草小屋に戻った二人は、うめの前に座り、採取した草を丁寧に広げた。
「今日は、量も種類も合ってるな」
うめは無愛想なまま言った。
だがその目は、わずかに和らいでいた。
庄吉が、おそるおそる尋ねる。
「おばあ、これで……わし、役に立てるかな」
「足りねぇ」
即答だった。
だが、次の言葉は違っていた。
「けど、その気持ちは……薬になる」
その瞬間、庄吉の瞳が大きく開いた。
隣で、おみつがにっこり笑った。
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その夜、義昌は焚き火の前で、兵たちと対話していた。
新之助、兵庫、仁兵衛、権六、そして五助。
「……薬の調合も、村の防衛も、似ている気がする」
そう呟くと、五助が笑った。
「量を間違えれば、毒になるってか」
「必要なのは、力じゃない。状況に応じた“匙加減”だ」
火の粉が舞い、静かな夜風にさらわれていく。
義昌は、夜空を見上げた。
そこには、かすかに輝く星と、遠くに忍び寄るような雲があった。
「……あの子は、いつか誰かの“命の薬”になるかもしれないな」
義昌のその言葉に、誰もが焚き火を見つめたまま、深く頷いた。
(まだ、全てが不安定だ。だが……)
(芽吹いた願いが、根を張り始めている)
(それなら、俺も――この手で守り抜く)
拳を静かに握る。
薬のように、静かに、確かに効いてくる信頼の重みを胸に抱いて。
願いの根は、確かにこの地に息づき始めていた。
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ぜひ、戦国を“最適解”で生き抜く義昌(湊)の物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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