第16話:老兵のまなざし
▶前回までのあらすじ
徴発の場で村人が武田兵に絡まれる中、新之助は“怒りを堪える強さ”を学ぶ――
朝焼けの光が、白く凍った村をゆっくりと照らしていた。
冷たい風が竹林を揺らし、枝の先から霜がさらさらと音を立てて落ちる。
その中で、俺――権六は、広場の端に立ち尽くしていた。
薪の束を背にした若い兵が、庄吉に小声で槍の持ち方を教えている。
あれは新之助か。まだ年若いのに、ああして村の子どもを気にかけるとは、なかなかのものだ。
「しっかり腰入れて構えろ、庄吉。ふらつくと槍がぶれるぞ」
「う、うんっ!」
息が白く宙に消える。
子どもに槍を教えるような状況自体、本来ならあってはならぬことだ。
だが今は――背に鍬ではなく、槍を背負う覚悟が村全体に求められている。
俺は、ぐっと歯を食いしばった。
(馬鹿げた話だ……子どもが戦の型を覚えねばならんとは)
だが、だからこそ思う。
(こいつらを守らねばならん)
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防衛班の詰所に戻ると、作業に励む若い兵たちの姿があった。
「門の補強、終わりました!」
「見張り台の縄がほどけてたんで、締め直しておきました!」
どれも些細な報告だが、誰もが自分の仕事に誇りを持っている。
かつて、こんな光景が木曽の村にあっただろうか。
……いや、あった。
まだ俺が、名もない百姓の出だった頃。
戦のたびに人が攫われ、物が燃やされ、子どもが泣き叫んでいた時代に、ある武士が来た。
名を聞いても忘れてしまったが、忘れられないものがあった。
人を守る背中だ。
戦で村を荒らすなと睨み、略奪を止め、夜には子どもに飯を配った。
誰よりも怒鳴り、誰よりも働き、誰よりも遅くまで起きていた。
「これが人の上に立つ者か」と、少年の俺はただ、ぼんやり見上げていた。
子どもだった俺に、背中だけで“人の上に立つ者”を教えてくれた。
そして今――
義昌様もまた、あの頃見た“守る背中”と同じだった。
無理してるのは、見りゃ分かる。
だからこそ――俺たちは、あの人に、ついていこうと思えるんだ。
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昼頃。
南の山道を見回っていた俺は、細い獣道の入り口に足を止めた。
雪の上に、小さな足跡がある。
獣ではない。人間、それも複数だ。
(何かあるな……)
そのまま足音を殺して進むと、木陰で見張っていた若い村人がこちらに気づき、駆け寄ってきた。
「権六殿、来てくだされ。あっちで武田兵が……」
「……何だと?」
急ぎ足で木々の間を縫うと、少し開けた斜面の下に数人の武田兵がいた。
斜面の上から村の様子を見下ろしている。
恐らく、徴発の範囲や村の規模を確認していたのだろう。
(勝手に偵察とは……まったく、礼儀もあったもんじゃねえ)
だが、今こちらから動けば、向こうの理屈で攻めてくる口実を与える。
義昌様の言葉が脳裏に浮かぶ。
(……怒りで剣を抜けば、村は守れん)
俺は、ひとつ息を吐いた。
「見張りを二人、もう少し下に回せ。だが、目立つな。奴らが去るまでは、余計なことはするな」
「……はっ」
若者たちの背筋が伸びる。
戦ではない。だが、こうした“にらみ合い”こそが、本当の緊張を強いる。
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その夜。
焚き火の前、俺は見回りを終えた兵たちを集めて一言だけ言った。
「今日は、ようやった。何事も起きなかったが、それは“やらなかったから”じゃねぇ。“起こさなかった”んだ。よく覚えておけ」
若者たちは、それぞれ真剣な顔で頷いた。
こうして、俺たちは一日を乗り越えた。
村は、今日も無事だった。
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ふと見上げた夜空には、月が淡く浮かんでいた。
北の空に、重たい雲がゆっくりと押し寄せてきている。
(……いつか、守れぬ日が来るかもしれねぇ)
(だが、その日が来るまで、俺はこの手を汚してでも、盾になる)
そう誓いながら、俺は静かに槍を握りしめた。
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