第15話:若き矛、初めての覚悟
▶前回までのあらすじ
義昌(湊)は村を2班に編成し、防衛と徴発に備えるが、武田兵の横暴に新之助が怒りをこらえる。
冷たい北風が、村の広場を駆け抜けた。
地面にはうっすらと霜が降り、踏みしめるたびにザクザクと音が鳴る。
朝の薄暗い光の中、俺――新之助は、槍を手に立っていた。
隣には、まだ顔つきの幼い庄吉。
小さな手で必死に槍を握り、俺を見上げている。
「いいか、こうだ。腕じゃねぇ、腰で構えるんだ」
庄吉は一生懸命真似をするが、細い体はすぐによろけた。
思わず手を伸ばし、支える。
「……すまん」
庄吉が小さく頭を下げた。
(すまん、じゃねぇ。悪いのは、こんなガキにまで槍を持たせる世界の方だ)
心の中で、そう毒づいた。
広場の向こうでは、権六たちが柵の補強をしている。
重蔵は村人たちをまとめ、食糧の備蓄確認をしていた。
義昌様は、見張り台の上から全体を見下ろしている。
(あの人が、どれだけ無理してるか……俺たち、気づいてる)
それでも、「皆で生き延びる」ために、誰も言葉にはしなかった。
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昼前。
徴発班に選ばれた俺たち十数人は、武田兵に物資を渡すため、南の広場へ向かった。
既に馬に乗った武田兵たちが、傲慢な態度で待っている。
俺は荷車を引きながら、そっと目を伏せた。
(下手に刺激すれば、村人が巻き込まれる)
冷や汗がにじむ。
「おう、荷車持ってこい! 遅ぇぞ!」
兵士が鞭を打つ真似をしてきた。
舌打ちを堪え、無言で荷を渡す。
そのときだった。
一人の武田兵が、村娘――さっき庄吉の姉だと聞いた女に、手を伸ばした。
「へへっ、器量がいいじゃねえか。こっちに来いよ」
女は震えながら後ずさった。
俺の手が、思わず槍の柄を強く握り締める。
(だめだ、動くな)
(俺が手を出せば、村が……)
「……やめてください」
震える声で、俺は言った。
兵士が顔をしかめる。
「んだァ?」
槍を突きつけられるわけでもない。
ただの威圧。それだけで、足がすくむ。
それでも、女の震える背中を見たら、もう止まれなかった。
「この者たちは、木曽の領民です。
武田家の兵といえど、無理強いはお控え願います」
低く、震えた声。
武田兵たちの手が、腰の太刀にかかる。
わずかに、空気がピリついた。
(……まずい)
全身から冷や汗が吹き出す。
本気でやられたら、今の俺たちじゃ抑えきれないかもしれない。
それでも、義昌様から学んだ。
(下を向くな。諦めるな)
俺は、地面に額がつくほど深く、頭を下げた。
「どうか、勘弁を」
沈黙。
長い、長い、沈黙のあと。
武田兵たちは、舌打ちした。
「ちっ……つまらねぇ」
嘲るように吐き捨て、渋々踵を返した。
馬の蹄が土を叩き、冷たい風だけが後に残る。
その場に残った俺たちは、しばらく動けなかった。
荷車を握りしめたまま、ただ肩で息をしていた。
女たちは、頭を下げながら、何度も礼を言った。
庄吉も、俺の手をぎゅっと握った。
(……三郎のときのことが、頭をよぎった。
あのときも、義昌様は“生きるための裁き”を下した。
今は――俺たちが、耐える番なんだ)
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夜。
焚き火の前で、義昌様が俺に声をかけた。
「……よく、耐えたな」
俺は、何も言えなかった。
情けなくて、悔しくて、涙が出そうだった。
でも、義昌様は微笑んだ。
「これでいい。勝つためには、怒りを剣にせず、堪える強さがいる」
その言葉に、やっと、胸の奥の苦しさがほどけた気がした。
俺たちはまだ、弱い。
怖いし、悔しい。
でも――
(この村を、絶対に守る)
庄吉の小さな手を思い出しながら、そっと拳を握りしめた。
(負けねえ)
北の空に、また一段と重い雲が広がっていた。
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