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第10話:裁きの朝、汚す手

▶前回までのあらすじ

ついに食糧庫が荒らされる。義昌は真犯人を炙り出す策に打って出る。

 朝靄が、まだ村を包んでいた。


 南の納屋の前には、兵も村人も集まっている。

 誰もが固唾を呑み、中央に立つ俺と、縛られた三郎を見つめていた。


 三郎は顔を伏せ、細かく震えていた。

 夜の闇に紛れ、証拠隠滅を図った罪は、もはや疑いようがない。


(……ここで甘さを見せれば、村は必ず崩れる)


 それは理屈で理解していた。

 だが、心は簡単に割り切れない。

 飢えた者の気持ちを、俺は誰よりも知っている。


(奪われる痛みを、俺も知っている。だが……)


 俺は胸の奥に冷たい塊を押し込め、前に出た。


「三郎」


 名を呼ぶと、彼は怯えた目を上げた。


「許してくだせぇ……腹が減って、つい……」


 掠れた声だった。

 その一言が、胸を刺した。


(……かつての俺と、何が違う)


 奪われ、飢え、追い詰められた末に、どうにか生きようと足掻いた結果。

 だが、だからこそ、許すわけにはいかない。


 誰かが規律を破れば、この村はあっという間に崩壊する。

 希望ごと、瓦礫に埋もれる。


 だから、裁かなければならない。


「この者は、規律を破った。――盗みを働き、仲間を裏切った」


 俺の声に、村人たちも、兵たちも、わずかに顔をしかめる。

 だが、誰も声を上げない。

 皆、心ではわかっているのだ。


「本来なら、命をもって償わせるべきところだ」


 ざわめきが広がった。

 誰かの喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえた。


 俺は一呼吸置き、続けた。


「裏切られ、憤りを覚えている者も多かろう。

 なれば、この者の命を奪いたい者はいるか。

 それほどの憎しみを抱いている者は――いるか」


 ──静寂が落ちた。


兵たちの後ろで、無骨な老兵――権六が、腕を組んだまま無言で様子を窺っていた。

普段は後輩たちに冗談を飛ばす男も、今はただ、険しい眼で成り行きを見守っている。


だが、誰も動かない。

俯き、拳を握りしめる者はいても、一歩を踏み出す者はいなかった。



 俺は一歩、前に出た。


「いるならば、前へ出よ」


 沈黙が降りた。


 誰一人、足を踏み出さなかった。

 俯き、拳を握り、歯を食いしばる者たち。

 だが、誰も手を挙げはしなかった。


(……そうだ)


 俺は静かに頷いた。


「なれば、俺が沙汰を下す」


 腰に下げた短い鞭を抜き、皆に向かって宣言する。


「命は取らぬ。鞭打ち三十回の上、今後一年、無給で働かせる。それが、この者への裁きだ」


 ざわめきは起きなかった。

 ただ、誰もが、静かに頷いた。


 それが、誰にもできなかった選択だったから。


---


 俺は無言で鞭を手に取った。


 手が、かすかに震えていた。

 それでも、振り上げる。


(これは俺の役目だ)


 一打。

 鞭が空気を裂き、三郎の背に叩きつけられる。


 三郎が呻き声を上げた。

 その声が、耳にこびりつく。


 二打、三打、四打――

 振り下ろすたびに、村人たちは顔を背け、兵たちは歯を食いしばった。


(この鞭が裂くのは、三郎の皮膚だけではない)


(――俺たちの絆までも、だ)


 痛い。

 誰よりも俺が、痛かった。


 三十回。

 最後の一打を振り下ろし、俺は力なく鞭を地面に落とした。


 朝の光が、静かに村を照らしていた。


 ふと、手を開いて見た。

 鞭を握っていた掌が、真っ赤に腫れていた。


(俺もまた、血を流している)


 そう思った瞬間、胸の奥にどうしようもない痛みが広がった。


 それでも、顔には出さない。


 俺は皆に向かって、静かに告げた。


「規律を破る者には、容赦はせぬ。――だが、生きる道も、決して奪わぬ」


 静寂の中、村人たちも兵たちも、深く頭を垂れた。


 誰もが、今日の裁きを、骨の髄まで刻み込んだはずだ。

(だが、これで終わりではない。

 内なる乱れを鎮めても、外からの脅威は、確実に迫っている。)


 これが、裏切りの代償。


 これが、俺たちが生き延びるための覚悟。


 そして、俺が背負うべき、痛みだ。


裁きは、正しさじゃない。

生きるために、俺は選んだ。


それが、どんな痛みを残すとしても。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!

湊が初めて「手を汚す覚悟」をした節目の回、楽しんでもらえたなら嬉しいです。

ブックマーク・レビュー・コメントで応援いただけると、次回からの戦国サバイバル編にも全力で挑めます!

引き続き、湊たちの物語をぜひ見守ってください!

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