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厨房に入り、夕食の準備をしているドゥーイに事情を説明して場所と食材を借りる。
「実はコロッケを作るところをもう一度見たかったので、わたしとしては大歓迎ですよ」
そう言えば、ティターニア家の厨房でコロッケを作ったのは、石鹸作りを始めた最初の一回だけだったか。
そしてドゥーイは『料理の仕方は目で盗むもの』だと思っているのか、わたしにコロッケやトンカツのレシピを頑なに訊いてこない。ただじっと、わたしの傍で見学している。職人がノウハウをマニュアル化せず迂遠な方法を執るのは、異世界も現実も変わらないようだ。訊いてくれれば教えるのに……。
相手が訊いてこないものをわざわざ教えるのもドゥーイの料理人のプライドみたいなのを壊しそうで悪いし、それに何だかわたしが教えたがりみたいでアレなので、わたしは後ろで目を皿のようにして見学するドゥーイをいないものとしてコロッケを作る。
「お待たせしました」
「おお、待ちわびたぞ」
揚げたてのコロッケを持って応接室に戻ると、クリスはお目付け役がいないのをいいことにはしたないくらい素早くナイフとフォークを手に取る。
「熱いので気をつけてくださいね」
「よいよい、気遣い無用じゃ」
わたしの忠告を聞き流すと、クリスはコロッケを切り分けて口に運ぶ。
「あつっ、ほふっ、はふはふ……」
普段毒見を経て食事をしているため、熱々のものを食べ慣れていないのだろう。涙目になりながらも美味しそうにコロッケを頬張るクリス。
「うむ、美味い! 何より熱いものを熱いうちに食べるのが良い」
「お気に召されたようで何よりですが、王族なら毎日もっといいものを食べてるのでは?」
「確かにわらわは毎日庶民など一生かかっても口にできないような料理を食しておる。だがいくら豪華な食事も、いずれは飽きるのだ」
「贅沢な悩みですね……」
「なのでたまにな、食べたくなるのだよ。庶民の食事というものを」
「はあ……」
「しかしながら、確かにこのコロッケとやらは美味だが、如何せん中身が芋というのが何というか、貧乏臭いな」
「庶民のお惣菜食べといて文句言わないでくださいよ。ていうか、それ大半の国民に喧嘩売ってると取られても文句言えない発言ですからね」
売られた喧嘩を買うというわけではないが、言われっ放しで引き下がるのも何だか負けた気がして悔しい。
とはいえ、王族の舌を満足させる料理なんてあったかなあ。
芋が貧乏臭いと言うのなら、中味をもっと豪華なものに変えてみるとかどうだろう。例えば肉とか……。
そこでわたしは一計を案じてみた。もしかしたらこれは、わたしの悩みを打ち破る一手になるかもしれない。
「ではもう少し豪華なものを用意しますので、少々お待ちください」
「うむ、良きにはからえ」
扇子を閉じたり開いたりするクリスに一礼すると、わたしは再び厨房へと向かった。
それからしばらくして、わたしは渾身の一皿を持って応接室の扉を開けた。
「お待たせしました」
「苦しゅうない。早ようせよ」
乞われるままに、持っていた皿をテーブルに置く。乗っているのは、揚げたてのトンカツ。味付けは塩レモンだ。
「これは、さっきのコロッケと似ておるな」
見た目が代わり映えせず、あからさまに興味を失うクリス。しかし料理は食べてみるまでわからない。
「芋では貧乏臭いと仰られたので、肉に変えてきました」
「ほう、肉か。それなら芋などとは違った味わいを見せてくれるだろうな」
興味を取り戻したのか、クリスはナイフとフォークを手に取る。無駄に洗練された手つきでトンカツを切って口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
「ふむ……先ほどのコロッケと似ているが、こちらは中身が肉に変わったおかげで料理として一段も二段も上等になった感じがするのう」
「お気に召していただけましたか?」
「うむ、これなら王族主催のパーティーで出しても遜色あるまいよ」
言いながらも、次々とトンカツを口に運ぶクリス。ああ、そんなに食べたら明日胸焼けするのにと心配になるが、相手はピチピチの十代なので余計なお世話であったか。
「恐れながらクリス様、それはおやめになった方が賢明かと」
「む、どういうことだ?」
「失礼ながらこのトンカツという料理は完全体ではございません。そのような未完成なものをお出しすると、王家の名に傷がつくやもしれません」
「未完成? どういうことだ。この料理はこれで完全ではないとうことか?」
「左様。とんかつソースがかかっておりません」
「何だそのとんかつソースと言うのは?」
わたしはクリスにとんかつソースのことや、その重要性を語る。それはもう熱く。
「ふむ……そんなに重要なのか? とんかつソースの有無が」
「民のいない王、剣を持たぬ騎士に等しいでしょう」
「そんなにか」
そこで再びクリスは「ふむ……」と考え込む。しばらく室内に彼女が扇子を開けたり閉じたりする音が響く。
「よし、そのとんかつソース、わらわが宮廷料理人に命じて作らせようではないか」
いた! いましたよここに! わたし以外にもこの世界でとんかつソースを作ろうとするとんでもない変人で変態が!
わたしは小躍りしたいのをぐっと堪え、神妙な顔で問う。
「よろしいのですか?」
「構わん。わらわも食してみたくなった。完全体のトンカツとやらをな」
「ではこちらからはトンカツのレシピを提供しましょう。これを宮廷料理人にお渡しくだされば、王宮の厨房でトンカツが作れるようになりますので。どうかとんかつソースの製作にお役立てください」
そう言ってわたしは、可能な限り詳細にトンカツの作り方を書いた紙をクリスに渡す。
「おお、トンカツが王宮で食せるのか。それは良い」
「あくまでソース制作のためですからね」
「わかっておるわかっておる。皆まで言うな」
クリスは扇子をぱたぱたさせるが、絶対自分が食べたい時に作らせる気だ。
ともあれこれで、この世界にとんかつソースが生まれる可能性が出てきた。後は宮廷料理人の努力次第である。頑張れ! 超頑張れ! 頑張るか超頑張るかの二択で!
あ、そうだ。ここまで来たら、もう一個の懸念材料もついでに対策してしまおう。
「クリス様、レシピと一緒に宮廷料理人の方にこちらもお渡し願えますか?」
クリスに渡したのは、今日も売れ残った石鹸である。王宮だから一個じゃ足りないだろうし、どうせ余ってるのだから十個ぐらいまとめて渡しておこう。
「何じゃこれは?」
「それは石鹸と言って、洗い物や洗濯に役立つものでございます」
「ほーん」
クリスは渡された石鹸を見るが、食べ物ではなかったのですぐに興味を失った。
「わかった。渡しておこう」
そうしてクリスは、リリアーネに会えなかったことを最後まで残念そうにしながら帰って行った。
次回更新は活動報告にて告知します。




