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 翌日。


 昨日と同じ時間に屋台を引いて出勤したが、さすがに今日はわたしたちが来るのを待っている人たちはいなかった。


 それでも開店するとコロッケが順調に売れるのは、やはり口コミで新たな客が増えているからだろう。


 しかしコロッケはお昼や晩の献立に悩む主婦をお助けするために作ったつもりなのだが、わたしの期待に反してお客の多くは男性だった。特にがっつり食べそうな冒険者風の人が目立つ。次点で肉体労働者風。彼らはまるで部活帰りの野球部男子みたいに食欲旺盛だ。


 まあ男性は一人で二十個や三十個まとめて買っていく人が多いので、店からしたら上客なのだろうが、わたしとしてはやはり女性に買ってほしい。特にお母さん。


 お母さんに買ってほしいものは、おかず問題解決の他にもう一つある。


 くどいようだが、石鹸です。


 お母さんといえば、炊事に洗濯。


 そう、洗い物と洗濯に石鹸を使ってほしいのだ。


 わたしも就職を機に親元を離れて一人暮らしをしたことがあるから、家事の大変さは身をもって知っている。特に炊事洗濯を自分でやるようになってからは、今さらながら母親の苦労を知ったものだ。お母さんマジありがとう。あと孫の顔見せられなくてゴメン。


 特に洗濯は面倒臭い。今だから洗濯機に放り込んでスイッチポンで済むが、この世界だとまず水汲みから始まる重労働である。


 井戸から汲んだ水をタライに張って、ひたすら手で服を揉んだり叩いたりして洗う。手は荒れるし腰は痛いし、夏はいいが冬は水が冷たいしでホント大変だ。


 それならばせめて、汚れを簡単に落とす洗剤があれば、少しでも家事の苦労が減るのではなかろうか。


 わたしはそのために石鹸を売りたい。


 まあ嘘だけど。


 そりゃわたしだって、できれば安価で石鹸を売りたい。なんならタダで配りたい。


 何しろこの世界の衛生観念は、ザルどころではない。そもそも衛生という概念が無い。料理人ドゥーイでさえ、料理の前に手を洗うのは、よくわからないが師匠からそういうものだと教わったからという曖昧なものである。


 これはここで言って良いものか悩むが、大貴族ティターニア家でさえ、毎日お風呂に入るわけではない。一応屋敷には浴室があるが、それでも日常的に入るものではなく、『人に会う予定があるから入る』くらいのスタンスだ。


 貴族でこれなのだから、庶民は『体や頭が痒くなったらその辺の川で体を洗う』とか『水を張ったタライで行水する』というレベルだ。当然冬は寒いからキャンセルしまくりだ。恥ずかしながら、農家のわたしもそうだった。


 わたしは元が日本人だから、お風呂は毎日入らないときつい。おまけに米も無いしインターネットもウォシュレットも無い。そんな生活耐えられますか? まあいずれ慣れるけど、慣れるまでが本当にキツイ。


 どうだい、異世界への憧れがぶっ飛ぶだろ?


 こんなとこだけ中世ヨーロッパを踏襲しなくても良さそうなものだが、これが異世界の現実だから仕方がない。衛生観念は、文化レベルに比例するのだ。


 だからこそ石鹸を配布して、庶民から衛生観念の底上げをしなければならないとか思われるだろうが、世の中そう綺麗ごとでは済まないのだ。


 じゃあ誰がお金払ってくれるんだって話ですよ。


 エミー商店は慈善事業じゃあない。ティターニア家の復興を期待されて、商売をしているのだ。その決意の現われが、石鹸のあの値段ですよ。


 まあ、偉そうに何のかんの言っても、売れなければ話にならないんですけどね。


 などと益体のないことを考えながらも、わたしは自動的にコロッケを売る。


 すると、本日初めての女性客が現れた。見た感じ、若い主婦といったところか。


「コロッケ5個ちょうだい」


 そう言いながら、彼女は持っていた鍋をフィオに渡す。


「ありがとうございます。お代は銅貨50枚か大銅貨一枚です」


 女性客は大銅貨一枚を支払い、フィオからコロッケが詰められた鍋を受け取る。


「ほい、おまっとさん」


「ありがと」


「あ、ちょっとお客さん」


 礼を言って去ろうとする女性客を、わたしは引き留める。


「何かしら?」


「これ、良かったらどうぞ」


 わたしは彼女に石鹸の試供品を渡す。


「あら、これは?」


「これは石鹸と言って、汚れを落とすものです」


 わたしは彼女に石鹸の使い方をレクチャーする。洗濯や洗い物が楽になると聞いて、彼女の表情は明るくなった。


 だが、


「これってそこに置いてあるものと同じ?」


「ええ、そうですよ。今渡したのは、これをお試しサイズにしたものです」


「ふ~ん、これはおいくらかしら?」


「銅貨50枚です」


 値段を聞いた途端、女性客から笑みが消えた。ついでに目から光も消えた。


「あ、そう……。じゃ」


 そう言うと彼女は早足で人ごみの中に消え去った。まあ、そうなるよなあ……。


 それから何人かの女性客に試供品を渡したが、みな同じようなリアクションだった。


 ともあれ、わずかではあるが種は蒔いた。後はこの種が無事に実をつければ良いのだが……。


次回更新は活動報告にて告知します。

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