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盛況だったコロッケのゲリラ試食会の翌日。
わたしは揚げたてのコロッケを山と積んだ屋台を引いて、商業区の繁華街へと向かっていた。
「昨日は凄かったな。誰か一人が『美味い』言うた途端、堰を切ったようにみんながコロッケに飛びついて」
後ろで屋台を押すフィオが、昨日のことを思い出して興奮しながら語る。
「凄かったと言えば、フィオの啖呵売りもですよ。どこであんなの覚えたんですか?」
「ああ、あれはな、お父ちゃんに引っ付いてあちこち行ってた時に覚えたんよ。確か東の方の行商人が露店を開いた時にする売り口上やったな」
「売り口上に西とか東とかあるんですか」
「正確には元がどの商人から始まったか、やな。口上いうのは親から子、とか師匠から弟子に受け継がれていくもんや。うちもお父ちゃんから教わった口上があるし、いずれ子どもか弟子に引き継がせなあかん」
ということは、会長も親や師匠から引き継いだのか。何だか暖簾分けみたいだ。
ならばエミー商店の店長であるわたしも、気の利いた売り口上の一つも持っていなくてはならないのかもしれない。寝る前にでも考えておくか。
なんてことを考えながら屋台を引いていると、昨日試食会を開いた場所に着いた。
「わあ……」
わたしとフィオが、間の抜けた声を上げる。
昨日の場所には、すでに黒山の人だかりができていたからだ。
「あ、来た来た!」
「待ってたぜ嬢ちゃんたち!」
「早く昨日のアレ売ってくれよ!」
わたしたちの屋台を見つけると、人々が期待に満ちた目で声をかける。いったいいつから待っていたのか。明らかに昨日よりも人が多いが、単純に人が集まってるから興味本位でそこに居る人もいるのだろう。
試食をさせた意図には、口コミを期待していたのもあったが、まさかここまで噂が広まっているとは思ってもみなかった。みんな美味しいものには目がないようだ。
「わかりました。すぐに準備しますので、場所を空けてください」
わたしが人だかりに言うと、みんな素直に避けてくれた。割れた海を歩くモーセのような気分で屋台を昨日の場所まで引いて行くと、待ってる人たちがうずうずしているのが伝わってくる。
屋台を展開し、さっき揚がったばかりのコロッケの乗った皿をどんと置くと、それを見た人たちの口から「おお」という声が漏れる。
「それではただ今より、エミー商店開店いたしまーす!」
「コロッケ一個銅貨十枚やで! 昨日よりたくさんあるから、慌てんと順番に並んでや!」
「待ってました! コロッケ十個くれ!」
「わたしは二十個ちょうだい!」
「俺も十個!」
「はいはい、毎度おおきに。押さないで押さないで。横入りは厳禁やで。昨日より数はあるんで、慌てんでも大丈夫」
期待以上にコロッケは売れている。わたしとフィオがフル稼働でお客を捌いていると、列の後ろから何やら威勢のいい声が聞こえてきた。
「おい邪魔だ、どけどけ!」
並んでいる人々を蹴散らすようにしてやって来たのは、頬に刀傷のあるいかにもなチンピラ。
身長は高く、体格もそこらのおじさんより遥かに良い。雰囲気からして荒事に慣れていそうだから、冒険者か成れの果ての破落戸といったところか。
チンピラはわたしたちの前まで来ると、店番が子どもしかいないのを見てにんまりと笑った。どうせカモだと思ったのだろう。屋台にもたれかかる態度ですぐわかる。
「おいお前。昨日ここでこれタダで配ってたんだって?」
これ、というのは男が指さすコロッケのことだ。
「はい。昨日は試食ということでタダで配りましたが。それよりも列に並んでください、他のお客さんに迷惑です」
周囲の大人たちは怯えているが、わたしは1ミリもビビることなく対応する。子どもになめられて、チンピラの頭は早くも沸騰寸前だ。
「ああ? テメ誰に向かって偉そうな口利いてんだコラ」
「あなたこそいい歳して列に並ぶこともできないとか、頬を斬られた時にばい菌が入って脳が壊死したんですか?」
なおも挑発するわたしに、チンピラは額に青筋を立ててピキりまくる。だが多少の理性は残っていたのか、すぐに手を出すことはなかった。
「……まあいいや。それよりよ、俺昨日野暮用でここに居なかったんだ。だから俺にもタダで食わせろよ」
「すいませんタダなのは昨日だけなんですよ。今日からはお金払ってくださいね」
わたしがきっぱり断ると、チンピラは拳を屋台に叩きつける。その衝撃でコロッケの乗った皿が一瞬宙に浮き、あわやこぼれるところだった。危ない危ない。
「だから、俺は昨日食ってねえんだよ。だからタダで食わせろって言ってんだ。理解できねえのかコラ」
「いえ、理解できました。要は、わたしたちに因縁をつけに来たんですね?」
「だったらどーした」
「先生、お願いします」
わたしがそう言った瞬間、どこからか現れた手がチンピラの顔を鷲掴みにした。
「あ――」
と思った時には、チンピラはアイアンクローをかけられた状態で足先が地面から数センチ浮いていた。
獣人は種族によって程度の差はあるが、基本は人間より遥かに身体能力が高い。筋力を例に挙げると、2~5倍はあると言われている。現代のオリンピックに獣人を参加させたら、全ての金メダルを独占された上に世界記録を塗り替えられるだろう。
しかしながらエッダは、決して体格が良いわけではない。猫系獣人によくある細身でしなやかなスタイルで、むしろ華奢というイメージだ。
そんな彼女がガタイのいい男性を右手一本で釣り上げている光景は、まさに圧巻と言えるだろう。周囲のお客も、エッダのフリッツ・フォン・エリックを彷彿とさせるアイアンクローに息を呑む。
「てめぇ、誰の店にいちゃもんつけてんだコラ?」
エッダは牙を剥き出し、猫目は興奮で瞳孔が見る見る細く鋭くなっていく。
恐らく100㎏を軽く超える握力で頭を締めつけられ、チンピラはこめかみから血を流しながら震える声で答えた。
「す、すいませんっした。許してください……」
万力みたいな力で頭蓋骨を砕かれそうな恐怖に、チンピラが泣きそうになりながら謝ると、エッダは「フン」と鼻息を一つ鳴らす。
傍目には、彼女が軽く腕を振っただけに見えただろう。だがチンピラがボールのように地面に平行に飛んで行く様は、特撮かCGでも見ているようだ。
ともあれ、チンピラは片付いた。
「お疲れ様でした、先生」
わたしが恭しく頭を下げると、エッダは「うむ」と一言だけ言って屋台の後ろに下がる。そのまま腕を組んで壁を背に立ち、いつか見たベガ立ち後方彼氏面状態になった。
「皆様、お騒がせいたしました。引き続きコロッケの販売を致しますので、どうかそのまま列に並んでお待ちください」
わたしが笑顔でアナウンスすると、それまで茫然としていたお客が我に返る。再び商売が再開する中、列の中でひそひそと話す声が聞こえた。
「おい、あれって『雷光のエッダ』じゃねえか……?」
「この間、東の森でオーガキングを斃したって噂の」
「嘘だろ。何で高ランク冒険者がこんな屋台の用心棒なんてしてるんだ?」
「あの子どもたち、いったい何者なんだ……」
え? エッダって『雷光のエッダ』なんて呼ばれてるの? 二つ名持ちとか超カッコいいんですけど。
次回更新は活動報告にて告知します。




