8
翌年。
毎日のように村長さんの家に通って文字を習ったわたしは、わずか一年足らずで文字を覚えて村長さんを驚かせた。
これでようやく玉の輿に乗るという計画のスタートラインに立てた。まあ、この村にいる限り、このスタートラインの先はどこにも続いていないんだけど……。
対してエッダはというと、あのゴブリン騒動の後で二桁の足し算と引き算を教えたところで時間切れとなり、商隊の護衛として次の村に旅立って行った。
まだまだ教え足りなかったが、また半年もすれば会えるから大丈夫。今度は掛け算に挑戦させてみよう。
そう思っていた。
だがそうはならなかった。
この年の夏は異常気象により雨がまったく降らず干ばつになり、農作物が壊滅状態となった。
その後に来た実りの秋は駆け足どころかマッハで通り過ぎ、呼んでもいないのに早すぎる冬は豪雪を伴ってやって来た。
猛暑と冷害は村の畑だけでなく、森の動植物たちにもトドメを刺した。飢饉である。
今思えば、ゴブリンたちが偵察を出したのは、この異常気象を予見して食料確保のために活動範囲を広げようとしていたためなのかもしれない。
明けて翌年。長い冬が終わり、どうにか一人の餓死者も出さずに済んでほっとしたのも束の間。血相を変えた村長さんが家々を回り、村人たちを広場に集めた。
こうして集められたわたしたちの前で、村長さんは何度か躊躇うように言い淀んだ後、すっかり禿げ上がった頭を深々と下げた。
「皆の衆、すまない」
突然の謝罪に村人たちはざわつくが、村長さんは構わず話を続けた。
「みんなが少ない食料でどうにかやりくりしている中、こんなことを言い出すのはわしも大変心苦しい。だが……」
重苦しい切り出し方は、子供のわたしにもこの後ろくでもない言葉が発せられるのであろうことを容易に想像させた。同じく村人たちも不穏な気配を感じたのか、ぴりっとした空気が流れる。
「……先ほど領主様から、税を引き上げるというお達しが届いた」
悪い予感だけは確実に当たるのは、世界がバグっているんだと思う。案の定、ろくでもない言葉だった。しかも想定のはるか上を行く。
次の瞬間、爆発したように村人たちが不満の声を上げた。当たり前だ。明日どころか今日食べる物にも困るこの状況で、どこを探せば差し出せる税が見つかるのか。
アホか、と思う。馬鹿か、とも思う。
前世でも、かつてない不景気の中で増税するという、ちょっと正気を疑うような政治家がいたが、どうしてどこの世界でも為政者というやつは、馬鹿しかいないのだろう。
「仕方ないんじゃ! 戦が始まるから仕方ないんじゃ!」
ブチ切れた村人たちに石を投げられ、村長は半泣きになって髪という天然の防具を失った頭部をガードしながら説明を始める。
彼が言うには、この未曽有の食糧危機はこの国だけでなく周辺諸国にも及んでいた。
どの国も食料が底を尽き、国民は疲弊する一方で状況の改善する見込みはまったくない。世界規模で明日を見失った状態である。
そうなると微笑み忘れた人々は、他所から奪うしかないではないか、という思考になるらしい。
戦争をして領土と食料を奪う。つまり侵略戦争である。土地と食料が手に入り、ついでに増え過ぎた人口も減るから一石二鳥。
確かに、土地開拓系シミュレーションゲームだと人口が増え過ぎて食糧問題が発生すると、新しい農地を開拓するより戦争を起こした方がぶっちゃけ手っ取り早い。
だがそれを現実世界でやる馬鹿があるか! ゲーム感覚で戦争を起こすな! 異世界なのにゲーム脳ってどうなってるの!
などと腹を立てても今さらどうにかなるものでもなく、村人たちはひとしきり村長に投石して鬱憤を晴らしたのか、それともお腹がすくだけ損だと悟ったのかぼちぼちと解散していった。
わたしたちも家に帰る。家に着くまでの間、お父さんとお母さんは一言も口をきかなかった。ただ拳を握りしめ歯を食いしばり、理不尽な運命に対する怒りをどこにぶつければ良いのかわからないといった感じだった。
夕飯は、もうすっかり定番となったほとんどお湯のようなスープ。その辺に生えてる草の根を入れると具の代わりになって嵩増しになるだけでなく、苦味が出て貴重な塩を入れなくても味がしてお得ということが最近わかった。
その日の深夜。大量に水を飲んで空腹を紛らわせているので、尿意で目が覚めた。
寝ている兄妹たちを起こさないようにそっと部屋から出ると、家族で食事をする部屋からぼんやりと灯りが漏れ出ているのを見つけた。
息を殺し、足音を立てないようにこっそりと近づくと、徐々に人の話し声が聞こえてきた。
「あなた、どうするの……?」
「どうするって……どうしようもないだろう」
声は、両親のものだった。
二人の声は重苦しい。どうやら深刻な話をしているようだ――などと考えるまでもなく、内容はさっき村長が言った増税のことだろう。
「どこに払える税があるの? 今だって子供たちにひもじい思いをさせてるのに」
「そんなこと、俺に言われても……」
頭を抱える父親に、さすがに言い過ぎたと気づいたのか、母親はそれ以上言葉を継げなかった。
それからずいぶんと長い時間、沈黙が続いたような気がした。実際は大した時間ではなかったのかもしれないが、夜の闇と悲痛な顔をした大人二人が押し黙っている空気に中てられ、正常な時間感覚と眠気は消失していた。
「このままでは一家そろって飢え死にだ。こうなったら……」
ようやく言葉を発したのは父親だったが、喉に何か引っかかったように言葉を詰まらせる。
「……こうなったら、子供をどこかの奉公に出すしかない」
「奉公に出すって、いったい誰を……」
「それは……」
父親は考える。
いや、考えるまでもない。
アーロンは長男だから、いずれこの家と農場を継ぐ。それに今はまだ教えることが山積みで、奉公に出すなんてできない。
長女のアンナは体が弱く、とてもではないが奉公には出せない。それ以前に、病弱な者など誰も雇ってはくれないだろう。
次男のゼノはまだ二歳と幼すぎるし、三女のソフィーに至っては、この春に産まれたばかりで問題外。
そうなるともう、残っているのはただ一人。
「駄目よ。エミーはまだ八歳なのよ」
「じゃあ他にどうしろって言うんだ」
「子供を奉公に出すくらいなら、わたしが――」
「馬鹿なことを言うな。そうしたら家のことは、いったい誰がやるんだ」
家事だけではない。病弱な長女の世話と、幼子二人の育児もある。はっきり言って、外で働いているだけの父トーマスよりよっぽど家を支えているのが母マーサなのだ。彼女が出て行ってしまったら、それこそ大黒柱が抜けるようなものである。
誰だって自分の子供を売り飛ばすような真似はしたくないに決まっている。二人とも感情がそれを肯定できないだけで、頭ではわかっているのだ。そうしないと家族がまとめて飢え死にしてしまう、と。
だから次女を奉公に出すしかない。そんな小を殺して大を生かすような究極の選択が、ただの農家の二人にできるはずもなかった。
このままでは両親はいつまでも悩み続けるだろう。そして結論を出せたとしても、自分たちを傷つけ続けるのは目に見えている。わたしは育ててくれた二人に、そうはなってほしくなかった。
だから、最後の決断は自分ですることにした。
「お父さん、お母さん。わたし、奉公に出る!」
読み書きを覚えてすっかり舌足らずが治ったわたしは、はっきりとそう言いながら両親の会話に割り込んだ。
両親はさぞ驚いたことだろう。子供に絶対聞かせたくない話を聞かれてしまった上に、聞かれた相手が奉公に出す張本人なのだから。
それでも、眠っている他の子供たちを起こさないように叫び声を上げなかったのはさすがである。
「エミー……お前、自分が何を言ってるのかわかっているのか?」
「わかってるよ。だって――」
ここでわたしは慎重に言葉を選ぶ。
「だって……?」
訝しむ両親に向けて、わたしは努めて笑顔を作って言った。
「だってわたし、一度はこの村を出てみたかったんだもん」
「お前……」
「エミー……」
ぽかんとする両親。
良かった。上手くごまかせた。わたしは心の中でほっと息をつく。
『だって、わたしが行かないとみんなが困るんでしょ?』
さっき言わなかった言葉は、両親だけでなく兄妹たちまで深く傷つけるものだ。もし言ってしまっていたら、わたし一人を犠牲にして自分たちだけが助かったと、家族を一生後悔させることになるだろう。
だからここは、たとえ形だけでもわたしが自分の意思で奉公に出るということにしなければいけない。そうしないと、家族の絆に取り返しのつかないヒビが入る。
それにこれは、まったくの虚勢や方便ではない。いくら読み書きと計算ができても、この村にいる限りは当初の目的である玉の輿にまったく活かされない。
しかし奉公であろうが身売りであろうが、この村から出れば何かしらのチャンスがあるかもしれない。ゼロだとわかっている村に留まるよりは、たとえ1パーセントでもあるかもしれない可能性にわたしは賭ける。
「だからお父さんお母さん、心配しないで。わたし、街で頑張るから」
二人を励ますように元気よく言ったつもりだが、それが子供なりに精一杯両親に気を遣って言ったのだと思われたのか、感極まってぼろぼろと泣き出してしまった。
泣かないで、お父さんお母さん。さっき言ったことは本当だから。だけど贅沢を言えば、もうちょっとだけ二人の子供でいたかったな……。
こうしてわたしは大きな街へと奉公に行くことになった。
次回更新は明日0800時です。