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さて、全てがうまくいったところで、そろそろ今回の作戦を説明しよう。
まず猟師のボーゲンさんにゴブリンたちがあとどのくらいで村に到達するのか、そしてどの方向からやって来るのかをできるだけ正確に予測してもらった。
そうして残り時間が判明してからは、怒涛のような作業の連続だった。
まずは村中の家畜をゴブリンの到達予測ポイントから最も遠い村はずれに集め、魔法で眠らせた。
次に村人たちには体臭を消すために泥や灰を全身に塗りたくってから隠れてもらった。
これらは、いくら魔法で幻覚を見せても、音と臭いはどうしようもないからだ。それにゴブリンは頭は悪いが、耳や鼻はケモノ並みに利く。なので家畜の鳴き声や人間の臭いがしないようにしたのだ。
どうしてこんな面倒臭いことをしたのかというと、魔法使いのおじさん曰く「幻覚というのは無いものを在るようにすることはできても、在るものを無いようにするのは難しいっていうか無理」なのだそうだ。
当初、わたしはこの村を丸ごと幻覚で森にしてもらい、ゴブリンたちに素通りしてもらおうと思っていた。
だがいくら幻覚で見えなくしても家屋がなくなるわけではない。むしろ何もないと思って通ろうとしたら家にぶち当たりました、なんてことになったらすべて台無しである。
なので家屋を隠すのは諦め、見た目を廃屋にして誤魔化そうという案に落ち着いた。
こうして準備万端整え、わたしたちは幻覚の中に隠れてゴブリンが到着するのを息を潜めて待った。
そして計画通り、魔法で廃村の幻覚を見せられたゴブリンたちは、自分たちが見たものを信じて巣へと帰って行った。
巣の本隊が偵察ゴブリンの報告を信じてくれれば、わたしたちの村は安全ということになる。
これがわたしの考えた、ゴブリンたち殺さずに偽の情報を持って帰らせる計画である。
「これでこの村も安泰だな」
「これも全部、あんたのお陰だ」
村人の視線が、この計画の発案者――ということになっているエッダに集まる。彼女の背中にはわたしがおぶさっているが、傍から見れば子供がじゃれているようにしか見えないのか、誰も気にしていないようなので良かった。
エッダは次々と浴びせかけられる感謝や賞賛の声に、謙遜するように片手を上げる。そして照れて赤くなった顔をきりりと引き締めると、軽く咳払いを一つしてから言った。
「みんな、安心するのはまだ早いぜ」
「なんだって?」
「確かに今回は危機を脱した。だがこれでこの村が完全に安全になったわけじゃあない。またいつあのゴブリンたちがこの村にやって来るか、それは誰にもわからないんだぜ」
危機を回避して浮かれていた村人たちが、エッダの言葉で急速に現実に引き戻される。中にはどうして今そんなこと言うの? 空気読めよ、みたいな顔をする人がいて、言わせた身としてはエッダと村人の両方に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だがあくまで今回は何とかなったというだけなので、これで喜んでハイおしまいではいけない。問題は根本から解決しなければ。
なのでわたしはさらにもう一手を加える。
「このままゴブリンを放置していたら、いつまた今日みたいな日が来るかわからない。みんなはいつ来るかわからない危険に怯えながら暮らしたいのか?」
「厭だ……」
「もうこんな思いするのはたくさんだ」
今回のことがトラウマになったのか、頭を抱えて叫び出す村人も出る始末。罪のない村人にここまで恐怖を植え付けるなんて、ほんまゴブリンは悪い奴やで。
「だから、ゴブリンは駆逐しなければならない」
そう。わたしたちが本当に安心してこの村で生活するためは、ゴブリンの全滅が不可欠である。そうしなければ、この先ずっとゴブリンに怯えながら生きていかなくてはならなくなる。
「駆逐って、どうやって」
「決まってるだろ。あたしら冒険者を雇えばいい。それでゴブリンを巣ごと退治すれば、万事解決だ」
エッダは自信満々に胸を叩く。当然ここまでのセリフはすべてわたしが背後からこっそりと耳打ちしたものだ。
「簡単に言うが、ゴブリンを巣ごと退治するとなると、雇う冒険者の数も結構な数になるぞ」
「そんな金、どこにあるってんだ」
そうだそうだ、と周囲から声が上がる。
「それにゴブリンの巣はどこにあるんだ? こんな広い森で探すとなると、いったいどれだけ時間がかかるやら」
時間がかかると、それだけ費用は割増しになる。ただでさえ裕福ではない村だ。冒険者を雇うだけでも一苦労なのに、その上に経費が上乗せされたら誰かが首をくくりかねない。
しかし、策はある。
「大丈夫。巣の見当はついている」
そう言うとエッダは野球部男子みたいなタコだらけの右手をすっと上げると、ある方向を指さした。
そこは、偵察に来たゴブリンたちが帰って行った方向だ。
「ゴブリンたちは愚かではないが、賢くもない。偵察と言っても、恐らく複雑な経路は使わず巣から一直線に移動しているだろう」
つまり、ゴブリンたちが来た方向を辿れば、巣に辿り着ける可能性が高いということだ。
「しかもゴブリンたちの軽装を見るに、徒歩で一週間以上は離れていないと思える」
これぐらいの距離ならば、熟練の冒険者なら追跡することも不可能ではないはずだ。あとは巣の規模が読めないので雇う人数を多めにすれば、失敗する可能性はかなり低くなるだろう。
「この条件なら、この村でもどうにか払えると思うんだが、どうだろう?」
エッダは最後に確認するように村長の方を見る。突然水を向けられ、村長は一瞬ぎょっとするが、すぐに頭の中で算盤を弾き始めたようで、腕を組んで難しい顔をする。この切り替えの早さは、長年貴族と税収や徴兵についてバチバチにやり合ってきただけのことはある。亀の甲より年の劫とはよく言ったものだ。
村長は豊かな白い顎髭を片手でしごきながら「……まあ、それなら何とかなるかもしれんのう」と、消極的ながら肯定した。
確かに、いきなり想定外の困難とそれに対する支出があった直後に、新たにそれを上回る困難と支出の話をされても困ると思う。
「ところで、今回の報酬の件なんだが……」
さて、どうしたものか。今回は実質魔法使いのおじさん一人しか働いていない。エッダはアドバイザー的な役割しか果たしていないので、いくら払えばよいのかわからない。
しかしながら一銭も払わない、というわけにもいかない。何しろ村のピンチを救う案(実際はわたしの案だが)を出したのだし、頭脳労働に対しても対価を払うのがスジというものだ。
「できれば現金ではなく、現物支給だと助かるんだが……。豚とか馬はどうだ?」
「そうだな……」
エッダはにやりと笑うと、まわれ右をして背負ったわたしを村長に向ける。
「だったらわたしの報酬はいらないから、こいつに文字を教えてやってくれ」
突拍子もないエッダの要求に、村長はしばし言葉を失った。
「本当にそれで良いのか?」
「構わないぜ。その代わり、しっかり教えてやってくれよ」
「お前さんがそれで良いと言うなら構わんが……」
わたしは慌ててエッダの背中から降りると、そのまま彼女を連れて不審な目でこっちを見てくる村長から離れた。
物陰に隠れると、エッダはわたしの目線に合わせて屈んでくれる。
「ちょっとまって、どうしてじぶんじゃなくわたしなの?」
「あたしは流れの傭兵だからな。文字を習うためにずっとこの村にいるわけにはいかないし、それに」
「それに?」
「あたしの先生はエミーだから」
「っ!?」
嬉しかった。
文字が習えることはもちろんだが、何よりも誰かにここまで信頼してもらえたことが嬉しかった。
「うん、わかった。わたしがもじをおぼえて、えっだにおしえてあげる!」
首がもげそうなくらい激しく振るわたしの頭を撫で、エッダは笑いながら言った。
「ああ、頼んだぞ」
だがこの村で彼女に文字を教えるという約束は、果たされることはなかった。
次回更新は明日0800時です。