5
この世界には、魔物が存在する。
ゴブリンもその中のひとつで、主に山や森の奥深くに群れを作って生息している。だがわたしは生まれてこのかた、ゴブリンに村が襲われたという話を聞いたことがない。まあ、こんな小さな村なんて、襲われたらひとたまりもないだろうから、今までに襲われていたのならその時に村は滅びているだろう
ゴブリンが出た、という話はあっという間に村中に広まり、大人たちは血相を変えて村長さんの家に集まった。
村長さんの家は、村で一番大きい。だがさすがに村中の大人たち全員は入りきらないので、家の前に集まった。たちまち村長さんの家の前には人だかりができていた。その中には、わたしの両親もいた。
わたしは、アーロンや近所の子たちと一緒に木の上でこっそりとその様子を覗いていた。
村長さんはザ・村長といった感じの老人で、皺だらけの顔には汗をびっしょりかき、すっかり禿げ上がった頭は太陽の光を反射してきらきら光っている。
「どうするんだ、村長!?」
誰かが悲痛な声を上げるが、村長さんは苦しそうな顔をするだけで答えない。むしろそれを訊きたいのは村長さんだろう。そもそもすぐに答えが出るなら、今こうして人を集めて会議をする必要がない。
「ゴブリンは何匹くらいいたんだ?」
お父さんの問いに、ボーゲンさんは上を向いて夜空を睨む。その時のことを思い出しているのだろう。
「俺が見たのは三匹だ」
その言葉に、何人かは安堵したように大きく息を吐く。三匹くらいなら、これだけ大人がいれば何とかなるのではなかろうかと考えたのだろう。
だがその甘い考えは、その場に居合わせた冒険者たちの言葉で打ち砕かれる。
「そいつはきっと偵察だな」
「ああ、俺もそう思う」
蟻が餌を探す時、四方八方に偵察を出す。そのうちの誰かが餌を見つけたら巣へと取って返し、仲間に情報を伝える。仲間はその情報を頼りに、大群となって餌に向かう。
ゴブリンも同じである。
つまりボーゲンさんが見たゴブリンたちは餌を探して彷徨っていた偵察で、もし彼らにこの村が見つかれば、いずれ数倍数十倍の数のゴブリンが襲いにやって来るのだ。
「しかし、何だってあいつらあんな所に」
誰かが疑問の声を上げる。
ゴブリンは、この村より遥か遠くの地にいるはずだった。少なくとも、わたしが産まれて六年音沙汰がないくらいには離れていたはずだ。なのに、今になってどうして?
「きっと餌が少なくなって、縄張りを広げたんだろう。俺もここ数年で獲物が減ったと感じたから、今回はいつもより足を伸ばしたんだ」
ボーゲンさんがいつもより遠出をしたおかげで、幸運にも村からかなり離れたところでゴブリンを見つけることができた。どうやらこの世界の神様は、わたしたちの味方のようだ。いや、そもそも味方ならゴブリンなんか現れなかったか……。
さておき、その小さな幸運も、何も手を打たなければなかったのと同じだ。今こうしている間にも、ゴブリンはこの村に近づいているのかもしれないのだ。
「そうだ。冒険者を雇ったらどうだ?」
幸運にも今、村には商隊を護衛していた冒険者がいる。
「けどよ、報酬はどうするんだ」
お金の話になると、みんな渋い顔をする。この村は決して貧しくはないが、かといって裕福でもない。毎日お腹いっぱい食べられるわけではないが、とりあえず明日の食事の心配はしなくていい程度の豊かさだ。なので、そこから冒険者に払う報酬を捻り出すのはなかなか難しいだろう。
「いや、ゴブリンと言ってもたかだか三匹だ。それくらいなら片付けるのに大した人手も費用もかからんだろう」
「そうだな。このままビクビク怯えて暮らすぐらいなら、いっそのこと冒険者を雇って片付けてもらおう」
「そうすりゃ安心だ」
「んだんだ」
なんて思っていたら、意外とあっさりゴブリン討伐の案が可決されそうになっていた。そうだよね。やっぱり毎日怯えて暮らすぐらいなら、多少懐が苦しくてもお金で解決したいよね。
って納得している場合じゃない。
この場合、ゴブリンを殺すのは悪手だ。
偵察というのは、帰還して情報を持ち帰るのが仕事である。だが仮に帰還しなくても、得られる情報がゼロになるわけではない。
偵察が帰って来なかった――つまり、偵察が向かった先に何かがある(あった)という情報が得られるのだ。
なので偵察のゴブリンを殺すと、巣では彼らの向かった先に「何か」があったと判断するだろう。そしてその「何か」を確認するために、再び偵察を送り込む。
次にその偵察を殺すと、「何かがあったのではないか」という疑問が確信に変わる。そうなると、今度は偵察などという手ぬるいことはしない。「何か」があるのはわかっているのだから、可能な限りの戦力で叩き潰しに来るだろう。
そうなったらこの村はおしまいだ。
わたしは焦った。早くしないと、ゴブリンを殺すために冒険者を雇うという話が決まってしまう。
急いで村長さんたちに伝えなければ。
そう思って地面に降りようと木の幹にしがみつくが、その状態で止まってしまった。
子供のわたしが大人の話し合いに飛び込んだとして、いったい誰がまともに話を聞いてくれるだろうか。いや、無理だ。子供はあっちで遊んでなさい、とかなんとかあしらわれるのがオチだ。
じゃあどうすれば……。
そうだ。誰か大人が代わりに言ってくれれば――って、わたしの話を信用してくれる大人なんてこの村には……
いや、いる。
わたしは木にしがみついた状態で首を巡らし、彼女の姿を探す。
いた! エッダは人だかりから少し離れた場所で壁に背を預けて立ち、何やら神妙な顔をしながら腕を組んでベガ立ち後方彼氏面している。
きっと話が難しくて参加できないが、せめて集まりに加わっている空気を醸し出そうとしているのだろう。何をやっているんだか……。
まあいい。今はそんなことより、一刻も早く大人たちを止めなければ。わたしは木から滑り降り、エッダへと駆け寄る。
「エッダおねえちゃん!」
「お、エミーじゃないか。そんなに慌ててどうした」
「あのね、おねがいがあるの!」
「ん?」
わたしは、このままだと村がゴブリンに襲われることを説明する。
「なるほど……」
すべて話終わったわたしが不安そうに見上げる中、エッダは眉間にしわを寄せて考える。
わたしの提案は、普通なら子供のたわ言と切って捨てられるものだ。それに冒険者であるエッダにとっては、ゴブリン退治の仕事を台無しにするものである。自分の利益を優先して一蹴してもおかしくない。
だがエッダはニッコリ笑ってわたしの頭を撫でると、
「よし。それじゃああたしが村のみんなを説得してやろう」
こんな子供の言うことを真面目に受け取ってくれた。
「いいの?」
「難しいことはあたしにゃよくわからないが、あんたが言うんだから間違いないんだろう」
曇りなき眼でエッダに見られ、わたしは恥ずかしいのと嬉しいのと誇らしい気持ちで一緒くたになった。
「それじゃあ、あのね、いまからせつめいするね!」
「よしきた!」
エッダはわたしの話を少しでもよく聞こうと、しゃがみ込んで顔を近づけてくる。
わたしはそのよく日に焼けた耳に口を近づけると、彼女はまるで魔法の呪文を聞くような顔をした。
次回更新は明日0800時です。