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「王女にケンカ売って帰って来たんですか!?」
昼食後、ティターニア家の居間にわたしの声が響いた。
一瞬静寂が室内を支配するが、暖炉で燃える薪の弾ける音がそれを打ち消す。
「ケンカなどという野蛮なものはお売りしておりません。わたくしはただ貴族の――いえ、人としての矜持を貫いたまでです」
悪びれもなく堂々と胸を張って言い切るシャーロットに、わたしは言葉を失う。
朝、信じて王城に送り出したシャーロットが、まさか王女を怒らせて帰って来るとは。オシャカゴッドでも予測できまい。
「っていうか、まさかシャーロットさんを呼び出したのが王子じゃなく王女だったとは……」
「はい。わたくしもびっくりしてしまいました」
「それにしたって、何も王女を怒らせなくても……。もっと穏便に話し合いはできなかったんですか?」
わたしが小言を言うと、シャーロットはよほど腹に据えかねていたのか、まるで子どものように頬を膨らませる。
「だってあの方、貴族の位を餌に恩人を売れなどと言ってきましたのよ。だからわたくしは、恩人を売るくらいなら貴族の位など捨てた方がマシだと言ったのです」
「ええ……」
さすが恩義に厚いティターニア家のご息女だ、と言いたいところだが、売り言葉に買い言葉とはいえさすがに相手が悪い。何しろ王族は本当にティターニア家から爵位を取り上げることができるのだから。
「さすがにそれは拙いでしょう。爵位のことは、シャーロットさん一人の問題ではないんですよ」
「それは……たしかにそうですけど……」
今になって事の重大さに気づいたのか、シャーロットの勢いに急ブレーキがかかる。
やっと冷静になってくれたか、と安堵したのも束の間。彼女を援護する人が現れた。
「そう気落ちすることはない。お前は間違ったことはしていないのだから」
「お父様!?」
「いや、むしろよくやったと褒めてやりたいくらいだ。さすが我がティターニア家の娘」
いつの間に居間に来ていたのか、シャーロットの父親は満足そうな顔で娘の肩に両手を置く。
「実を言うとな、わしも常々思っていたのだ。貴族と言っても華やかなのは外見ばかりで、中味は政敵との諍いやら領地の管理やらで気苦労が絶えぬ。それに加えてここ最近の財政難よ。もういっそのこと爵位など捨てて楽になろうと考えたことは、一度や二度ではない」
今まで誰にも打ち明けずに抱え込んでいた悩みを吐露する父親の姿は、僅かな時間でずいぶんと老け込んで見えた。
「だから仮に爵位を失ったとしても、気にすることはない。それよりも、人としての矜持を貫いたお前をわしは誇りに思うぞ」
「お父様……ありがとうございます」
娘の目に涙が光るのを見て、感極まった父親は強く抱きしめる。イイハナシダナ……と悠長に感動している場合ではない。
「あの~、それよりも今後のことを考えませんか?」
「けどよ、相手は王女だぜ。あたしら下々の者に何ができるってんだよ?」
エッダに言われるまでもない。まさにそこが一番の問題なのは、この場にいる誰もが理解している。権力、財力、軍事力。この世のおよそ力と名のつくありとあらゆるものを持ち、それを自由に行使できる。それが王族なのだ。
つまり最強。
シャーロットが何か知恵はないかと縋るような目でわたしを見る。
そんな目で見られても困る。
王族に盾突くなんて、ドラゴンに素手で挑むより無謀な行為だ。現代知識を持つわたしでも、さすがに総理大臣や大統領にケンカを売って勝つ方法は知らない。
麗しき貴族令嬢に潤んだ瞳で見つめられ、それに応えられないわたしが脂汗を流していると、思わぬ伏兵が現れた。
「どうやらさしものエミーでも、こればっかりはどうにもならんか」
会長は鏡の前のガマガエルみたいになっているわたしを見て、「ふ、やはりまだまだガキやな」と留飲を下げる。
「そういう会長は何か策があるんですか?」
悔し紛れにそう言うと、にやりと笑って言う。
「当然あるで。ガキにはできへん、大人のケンカの仕方がな」
「そ、それぐらい知ってますよ」
わたしが反論すると、会長はにやにやと音がしそうなほど嫌らしい笑みを浮かべて問う。
「ほう。せやったら言うてみ? 大人のケンカってどうするんや?」
「そりゃあアレですよ。大人のケンカは権力で殴りつけるんです」
だからこそ相手が王族というのが問題なのだ。権力のトップにいる相手に、大人のケンカを挑む馬鹿はいないだろう。
しかし会長はわたしの答えを聞いて鼻で笑う。娘を持ついい歳の大人がするとは思えない、本当に腹が立つ仕草だった。どれだけ普段わたしを言い負かす機会を狙っていたのだろう。今まさにその念願が叶ったようで、心の底から嬉しそうだ。こんな事態だというのに。
「やっぱりお前はガキやな~。ええか? 相手が権力を持ってて容易に手が出されへんのなら、違う角度から攻めるんや」
「違う角度って何ですか?」
「わからんか? ほな教えたるわ」
再び会長は腹が立つ笑顔をわたしに向けると、人差し指と親指をくっつけて輪っかを作って見せる。異世界でもそのサインあるんだ。
「金や」
「お金って……。王族なんだから唸るほどあるんじゃないんですか?」
「アホ。それは国家予算で、そういうのはいくら王族でも好き勝手にはできへん。それよりもシャーロットさん」
唐突に呼ばれ、シャーロットは慌てて返事をする。
「あ、はい」
「この作戦は、貴女がカギになります。少々キツいことをせなあきませんので、覚悟してください」
いつになく真剣な顔の会長に言われ、シャーロットはごくりと喉を鳴らす。だがすでに覚悟は決まっているのだろう。即答する。
「わたくしでお役に立てるのなら、何なりとお申しつけください」
「ええ返事です。それではさっそく始めましょう。ここからは時間との勝負です」
こうしてティターニア家とクリスティアナ王女との大人のケンカが始まった。
次回更新は活動報告にて告知します。




