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 翌朝。


 朝食を終えるとわたしとエッダに会長、そしてゾーイは再び工業区の倉庫へとやって来た。


「へえ、ここで作業するんや」


 ただ今回は追加でもう一人、「自分が描いた絵が印刷されるところが見たい」とフィオがついて来ている。


 倉庫の中では下着を作っていた職人たちがテーブルの下で寝たり、椅子を並べて簡易ベッドにして仮眠を取っている。どうやらあれから徹夜で作業していたようだ。お疲れ様です……。


「うわぁ、死屍累々やな……」


 わたしたちは彼らを起こさないように、静かに中に入る。


「ゾーイさん、作業はあとどのくらいで終わりそうですか?」


 テーブルの上には、昨日ゾーイが空腹で倒れてからそのまま置きっぱなしになっていた銅板がある。彼女はそれを見て、


「そうやね、あと二時間ぐらいで終わるばい」


 と言った。


「え?」


 早くない? わたしは今日の夕方ぐらいまでかかる覚悟をしていたのだが、それだと午前中に終わってしまうではないか。


「昨日は一日かかるって言ってませんでした?」


「言ったけど、丸一日かかるとは言っとらんけん。実際やってみたら、この程度なら大丈夫かなって」


「かなって……ずいぶん曖昧な」


「仕事なんて、最初の見積もり通りにいくことなんてなか。臨機応変にできんと、腕の良い職人とは言えんよ」


「はあ……」


 職人の話をされると、門外漢のわたしは何も言えなくなる。


 それからゾーイは作業を再開すると、言った通り二時間で終わらせた。その頃には仮眠を終えた職人がぞろぞろと起き上がり、ゾンビみたいな顔で作業を再開する。


「本当に二時間で終わらせやがった」


「ほら、言った通りじゃろ」


 得意げに完成した原版を見せるゾーイ。


「うわぁ、うちの絵が版画になってる。なんか感動やな」


 フィオはゾーイから原版を受け取ると、きらきらした目で色んな角度から眺める。


「で、どうやってこれを元にして何枚も複製するん?」


「オラもそれば知りたか」


 期待に満ちた目を向ける二人。そんな目で見られると、なんだか緊張する。


 凹版印刷なんて、小学校の頃に工作の授業でやったガリ版印刷以来だ。一応手順や必要な道具は記憶に残っていたので問題はないと思うが、上手くできるかどうかはやってみないとわからない。


「ではやってみますので、原版を貸してください」


「はいよ、楽しみにしてるで」


 わたしは受け取った原版にインクを塗りたくる。このインクは粘り気を加えてペンキのようにしてある。


 次にヘラを使ってインクを原版に満遍なく広げると同時に、余分なインクを缶に戻す。すると原版は一面真っ黒になった。


「ほれ見んしゃい。銅版画だと溝が浅いけん、インクが全部入り込んで真っ黒になってしもうた」


 ゾーイのご指摘はごもっともだが、作業はここで終わりではない。


 わたしは次に綺麗な布で原版を拭き、インクを拭き取ってしまう。


「なんでせっかくインク塗ったのに拭き取るんや?」


「なんや、やり直すと?」


「違います。これでいいんです」


 たぶん、ここまでの行程は間違っていないはずだ。わたしの思惑通り、銅板の削られていない箇所のインクは拭き取られ、削って溝になった部分に入り込んだインクは残ったままだ。


 これで印刷する準備はできた。次は原版に乗せたインクを紙に写す作業だ。


「会長、例の道具の準備をお願いします」


「わかった」


 わたしの指示を受け、会長が壁際に向かう。そこには、布を被せられた大きな何かが鎮座していた。


 会長が布を取り払うと、そこに現れたのはローラー式のプレス機だった。プレス機と言っても構造は単純で、仕掛けは長いテーブルの上にローラーがあり、ハンドルを回すとテーブルが左右に動いてローラーの下を移動する。ただそれだけのものだ。


「これはなんや?」


「パン屋とかで生地を伸ばすための道具ですよ」


 フィオの問いに答えつつ、わたしは原版に新しい紙を乗せてプレス機にセットする。


 だがこのままでは圧力が足りずにインクが紙に乗らない可能性があるので、その上に分厚い革のシートを載せる。これは紙が原版からずれないように抑えるためでもある。


 これで準備完了。


「会長、お願いします」


「あいよ」


 再び会長に指示を出すと、彼は両腕の袖をまくりプレス機のハンドルを握る。


「せーの」


 会長がハンドルを回すと、テーブルがゆっくりとローラーに向かって移動する。けっこう重労働なのか、会長の息がすぐ切れる。


「な、なあ、これ結構しんどいぞ」


「頑張ってください」


「おいエッダ、代わってくれ」


「旦那、あたしを使うと高くつくぜ」


「なんでや!? 工業区に行くエミーについて行く時はタダでええって言うたやないか」


「エミーは友達だ。友達から金は取らねえよ。けど旦那は雇い主で、友達じゃないからなあ」


「く、こんな時だけ雇い主扱いしよって……」


「それにエミーが言ってたぜ。労働には適切な報酬をってな」


「コラッエミー、こいつに余計な知恵を与えるな!」


「すいません会長、わたしそういうのは見過ごせない質なので」


 前世ではブラック企業勤務だったので、今世は不当な無賃労働は断固拒否する所存であります。タダ働き、サービス残業、ダメ! 絶対!


「というわけで会長、諦めて頑張ってください」


「クソ、ワイはコンスタンチン商会の会長なんやぞ……」


 文句を言いながらもハンドルを回してくれるのが会長の良いところだ。そうしているうちに、原版がローラーの下にやってくる。


 革の厚みで高くなった分、ローラーに負荷がかかる。すでに息が荒くなった会長が、最後の力を振り絞るように歯を食いしばってハンドルを回すと、段差を乗り越えるようにローラーが原版の上を通り過ぎて行った。


「やっと終わった……」


「お疲れ様です」


 汗だくになって肩で息をする会長はさておき、わたしは革のシートをめくって原版と紙を取り出す。


「さて、上手くいったらご喝采……」


 慎重に紙をめくると、その裏側には見事に印刷されたリリアーネの姿があった。とはいえ、完全とは言い切れないので革の厚みや紙の種類など細かい調整は必要になるが、ともあれこの世界初の凹版印刷は成功した。


次回更新は活動報告にて告知します。

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