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 女冒険者は大量の串焼きで釣り銭詐欺を手打ちにすると、「二度とこんな真似するなよ」と言い残してその場を後にした。


 おじさんはトラウマになりそうな恐怖を刻まれた上に、せっかく焼いた商品をごっそり持って行かれて放心状態になっている。


 わたしはそんな大人の姿を見るのに耐えられなくなって後を追うと、彼女は屋台や出店が立ち並ぶ広場から少し離れた場所にある泉の淵に腰掛けていた。


「助かったぜ。ホラ」


 女冒険者はそう言うと、串焼きで山盛りになった皿から三本ほどわたしにくれた。


「あ、ありがとう」


「礼を言うのはこっちの方さ。あんたがいなかったら、あの野郎これからずっとあたしから釣り銭をごまかしていただろうからな」


 自分がカモられたことが余程腹に据えかねたのか、女冒険者は憎々しげに串焼きにかぶりつく。


「あたしはエッダ。あんた、名前は?」


「えみー」


「歳は?」


「むっつ」


「その年でもう数が数えられるのか。すごいな」


 あたしなんて字も読めねえぜ、と女冒険者――エッダは苦笑いする。


「じはわたしもよめないよ」


 何しろこの村には学校がない。そもそも字が読めるのは村長さんとその息子さんの二人だけ。百人いる中のたった二人。つまり識字率は2%しかない。


 しかしこれは別に異常な数字ではない。この世界では読み書きができないのは当たり前のことなのだ。


 それが農民で、そして女なら特に。


「そうなのか? けどまあ気にすんな。女に字なんて必要ないからな」


「おとうさんとおなじこというのね……」


 あれはわたしが六歳、つまり現代なら小学校に通う年齢になった時、父親に字を習いたいとせがんだことがある。何故なら読み書きは玉の輿に乗るために絶対に必要だからだ。


 だが彼は娘の壮大な将来設計など露知らず、呆れ顔で言った。


「農家の子が字を憶えて何になる。しかもお前は女の子だ。馬鹿なことを言ってないで家の手伝いし、料理や裁縫を憶えなさい。そうしないと、将来お嫁の貰い手がなくなるよ」と。


 戦前か! と思わず叫びそうになった。


 わたしは父親の、いや、この世界の常識と呼ばれる因習に怒り、そして絶望した。


 この村にいる限り、わたしは字を憶えることはできないだろう。そもそもわたしのいた日本でさえ、誰もが平等に学校に通えたり自由に職業を選択したり結婚できるようになったのは最近なのだ。


 世界が変革をもたらすには長い長い年月が必要である。わたしが生きてる間に女性の権利が保障されたり教育が親の義務になったり職業選択の自由が保障されるようになることはまずないだろう。


 つまり、玉の輿に乗るというわたしの目標は、絶望的に不可能だということだ。


「おんなだろうとのうみんだろうと、がくもんはひつようよ。そもそもえっだおねえさんは、かずがかぞえられないからだまされたんじゃない。きづいていないだけで、きっといままでなんどもだまされているはずよ」


「お、おう……耳が痛いぜ……」


 子供に諭され、エッダはばつが悪そうに頭をかく。ぺたんと伏せた猫耳が可愛い。


「しかし、今さら文字や算術を習うってのもなあ……。第一誰に習えばいいかわかんねえし」


「だったら……」


 どうして言ってしまったのか、自分でもわからない。ただ、目の前にいる人が、無知というだけで理不尽な搾取を受けていることが納得できなかった。


 たぶん、それに対する自分なりのささやかな抵抗をしたかっただけなのかもしれない。


「よかったら、わたしがさんすうをおしえてあげようか?」


 わたしが控えめに提案すると、エッダは目を大きく見開く。


「いいのか?」


「う、うん。いいよ」


「ありがてえ!」


 エッダはわたしの両手を取ると、嬉しそうにぶんぶんと上下に振った。


「それじゃあ今日からエミーはあたしの先生だ」


「せんせいは……はずかしいからともだちでいいよ」


 こうして、わたしとエッダは友達になった。


 エッダの仕事は旅の道中の護衛だけなので、村にいる間は基本的に自由だ。そのたっぷりある自由時間を利用して、算数を教えることにした。


 商隊はいつも十日ほど村にいるので、まずは残った九日を使って百までの数え方から始めよう――


 ――と思った矢先、事件が起こった。


 翌日。約束通り泉の前で待ち合わせたわたしたちは、地面を黒板、木の枝をチョークにして算数の授業をしていた。


 すると猟師のボーゲンさんが血相を変えてやって来た。


「た、た、た……大変だ!」


 よほど急いで駆けて来たのだろう、彼は何かを言おうと気ばかり焦るが、喉が枯れて声にならなかった。


「何が大変なんだ。いいからまずは落ち着け」


 近くのおじさんが井戸からコップに汲んだ水を手渡すと、彼はアルコール依存症の人間が一日我慢した酒にありついたように震える手でこぼしながら一気に飲み干した。


 ぷはあ、と大きく息を吐き、ようやく落ち着いたボーゲンさんは、彼に注目する村人たち全員に聞こえる声ではっきりと言った。


「ゴブリンだ! ゴブリンが出た!」


 その一言で、みんなの立場が逆転した。それまで慌てふためくボーゲンさんを見物していたつもりの村人たちが、今度は彼らが周章狼狽することになった。


次回更新は本日1000時です。

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