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「ど、どうなされたのですかエミーさん!?」
いきなり目の前で崩れ落ちたわたしに、シャーロットが驚いて声をかける。
だが今のわたしに彼女の声は届かない。
まさか肝心の絵師が確保できないなんて……。
そういえば、社会人なら何事も事前の確認が大事だと、新人研修の頃からずっと言われてきたっけ。それを怠ったばかりに、大きな商売をみすみす水の泡にすることになろうとは。
後悔先に立たずというが、後悔してもし切れない。わたしは諦め切れず、打開策を見つけようと知恵を絞った。
だがいくら考えても、絵師をどうにかする方法は見つからなかった。結局わたしに残されたのは、〝絵師がいなければ自分で描けばいいじゃない〟という、駄目なマリーアントワネットが言いそうな方法だけだった。
昼食後。
試しに居間のソファで寛いでいるリリアーネをデッサンしてみる。
懸命に紙にペンを走らせること小一時間。その間、わたしの背後では会長とエッダとフィオが見物していた。
「……できた」
が、
「これゴブリンか?」
「オークだろ」
「うちもゴブリンに見えるわ」
見物人たちが口々に感想を述べる。
そう。わたしは絵がとても下手だった。
わかってはいたが、転生したことで人並に絵心がついていることにワンチャン賭けてみたのだ。けどやはり駄目だったようだ。
「なんやお前、画家が見つからんから自分で描こうとしたんか?」
「けどこれじゃあなあ……」
わたしの描いたゴブリンともオークともつかない絵を見て、エッダが苦笑いする。
「けど、何でもできると思ってたエミーにも、苦手なもんがあるんやな。なんか親近感湧いてきたわ」
「何でもはできませんよ。わたしはただ、自分にできることをしてきただけです」
「そのできることが、うちなんかに比べたらどえらいことばかりなんやけどな……。まあええわ。それ、うちにもやらして」
「フィオさんって絵が描けるんですか?」
「さあな。描いたことないからわからんけど、エミーよりかは描けるんちゃうかなあ」
そう言ってカラカラ笑うと、フィオはわたしから紙とペンを受け取る。
「よっしゃ。ほないっちょやってみますか」
フィオは床にあぐらをかくと、そこからは無言で紙にペンを走らせ続けた。
最初は一定のリズムでペンが紙をこする音を心地良く聞いていたが、それが五分十分と途切れずに続くと何だか怖くなってきた。
「うん……うん?」
「なあ、これホンマに絵を描いてるんか?」
「さあ……あたしに聞かれても困るぜダンナ」
フィオは遠巻きに小声で話す会長たちの言葉にも一切反応せず、ただ黙々とデッサンを続ける。すごい集中力だ。
そしてフィオがデッサンを始めてからニ十分が過ぎ、ようやくペンの音が止まった。
「よし、できた」
どれどれ、とわたしたちが紙を覗き込むと、そこにはモノクロ写真かと見間違うほど精緻に描き込まれた絵があった。
「え、うそ……」
「なんやこれ、こわ……」
「こんなのヒトが描けるのかよ……」
「みんな酷ない?」
あまりに見事過ぎる出来栄えにドン引きするわたしたちに、フィオが抗議の声を上げる。
「いやこれ、上手いとか下手の話ちゃうで! 本職の画家でもここまで描けるのはそうおらんぞ!」
「フィオ嬢、もう少しこう、何と言うか手心というか……」
会長の言う通り、ここまで写実的なデッサンは美大生とか専門の教育を受けていないとできないと思う。それを今日初めて絵を描いた十二歳の子どものものだと言われても、誰も信じないだろう。
「うちの絵、そんなにおかしいかな?」
自分の絵を見て小首を傾げるフィオに、わたしは全力で言う
「全然おかしくない。っていうか、めちゃくちゃ上手い!」
「ほんま? 良かった」
「本当にこれ初めて描いたの?」
「せやからうち、絵なんて描いたことないって言うたやん」
疑われていると感じたのか、フィオは不満そうな顔をする。
「だいたい、こんなん目で見た通りに線を引いたらええだけやん。誰でもできるって」
「それ天才が凡人に対して言うセリフだ……」
「こわ、うちの子こわ……」
ホームランなんてバットを振ったら誰でも打てますやん、みたいなことを言うフィオに、再びわたしたちはドン引きする。
ともあれ、探していた絵師がこんなに身近にいるとは。これは盲点、いや、きっと運命に違いない。
「フィオさん!」
わたしはフィオの両手をぎゅっと握る。
「お願いです。力を貸してください」
「うちでええの?」
「はい。むしろフィオさんでないと! 貴女だけが頼りなんです!」
〝貴方しか頼れる人がいない〟。
これは頼みごとをする時の常套句みたいなものだが、今回ばかりは本当にその通りだから仕方がない。
「そっかぁ……うちやないとアカンかぁ……」
だがフィオも頼られることがまんざらではないのか、頬と口元が緩んでいる。
「ええで。うちで良かったらいくらでも力を貸したる」
「ありがとうございます!」
快諾してくれたフィオに、わたしは額が膝につく勢いで頭を下げる。社会人だった時はコメツキバッタのように多用したものだ。
「それではさっそくですが、リリアーネさんの絵をあと十枚ぐらい、角度や距離を変えて描いていただけますか?」
「このままでええん? もっと綺麗な衣装とかに着替えた方が良くない?」
「それもまたいずれ。今はオフショット……普段の寛いだ姿を描いていただければ充分ですから」
「なるほど。あとなんか注意点ある?」
「あとは……全身だけじゃなく、胸から上だけの絵も混ぜてくれると助かります」
「わかった。うち頑張るわ」
「リリアーネさんもそれでいいですか?」
わたしが声をかけると、リリアーネは手をひらひらさせて答える。
「適当にポーズを変えてモデルをしてたらいいんでしょ?」
「それで結構です。あと、フィオさんから要望があったら、できる限り応えてあげてくださいね」
「わかったわ」
これで肖像画の問題は解決した。
「よし。それじゃあ次のステップに行きますか」
ついに走り始めたリリアーネアイドル化計画。
止まるんじゃねえぞ……。
次回更新は明日0800時です。




