2
それから何年か経ち、わたしの目がよく見え動けるようになると、さらに色々なことがわかった。
最初、わたしはどこかの外国に産まれ直したと思っていたのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。
なんかここ、異世界っぽい……。
そうじゃなくても、明らかに地球じゃないっぽい。
言葉が違うのは外国だから違和感がなかったが、月が地球のものと違ってていたらさすがにおかしいと思うだろう。
あれはそう、わたしが四歳の夜。
夜中に目が覚めて、トイレに行こうとよちよち歩いていると、窓の外がやけに明かるかったのを憶えている。
月明かりかな、と思った通り、窓を見上げると夜空に大きな月が出ていた。
ただしそれは、わたしが見たことのないものだった。
月は、緑色をしていた。
しかも土星のように輪っかがかかっていた。
夢でも見ているのかと思った。
呆然としながら窓の外を見ているわたしを、偶然通りかかった父親が見つけた。
「おやエミー、こんな夜中にトイレかな?」
「うん」
わたしは頷くが、父親の方を振り向かずにずっと窓の外を見ていた。
「おとうさん」
もみじのような小さな手が、夜空を指さす。
「あれなあに?」
父親はその指先を目で追うと、娘が何を知りたがっているのかを察した。
「あれはお月様だよ」
「……まじか」
「え?」
「ううん、なんでもない」
こうしてわたしは、この世界がかつてわたしが居た世界ではないことを知った。
次に、わたしは長女ではなかった。
わたしには兄と姉が一人ずついたのだ。
この家で言うと長男と長女で、わたしは次女ということになる。
長男の名はアーロン。わたしより七つ年上で、長男らしく歳のわりにしっかりしている。くせのある赤毛と顔立ちは父親譲りで、きっと将来は父のように偉丈夫になるだろう。時々おくるみに包まれたわたしの入った籠を見に来て、彼なりに妹をあやそうとする姿はとても可愛らしかった。今から父の期待も厚く、まず間違いなく家と農地を継ぐことになるだろう。
長女の名はアンナ。歳はわたしより四つ上だが、どうにも体が弱いらしくほとんど会った覚えがない。
会う時も母親が彼女を抱きかかえ、寝ているわたしの顔を覗かせるか、その逆でわたしが母に抱かれてベッドで寝ている彼女に会いに行くぐらいで、それも滅多になかった。
鼻筋の通った顔立ちや栗色の髪は母親に似ているのだろうと一目でわかるが、体の丈夫さは似なかったようだ。農家の暮らしですっかりたくましくなった母とは対照的に、アンナは吹けば飛ぶような細い体をしている。
続いてわたしが四歳の時に、次男のゼノが産まれた。我が家の男子は父親の遺伝子が強いのか、彼もふわふわの赤毛を頭から生やしていた。今は産毛もほっぺたもふわふわで可愛い彼も、いずれ父親のようにごつくてむさい男になるのかと思うと、時の流れは残酷だと思わざるを得ない。
最後に、わたしが七歳の時に三女のソフィーが産まれた。お父さんもお母さんも頑張り過ぎだろ、と思わなくもないが、異世界だろうと農家なんてこんなもんだと言われれば、それはまあ確かにそうかと頷くしかない。
ともあれ、こうして我が家七人が揃い、人口百人足らずの名もなき小さな村でわたしの平凡な人生が始まった。
話は前後するが、わたしは立って歩けるようになると、努めて家の外を駆け回った。
理由はいくつかある。まずこの家にはテレビなどの娯楽が一切無い。まあ、異世界なんだから当たり前だし、家にテレビがある異世界なんて厭だ。
なので昼間は外に出て、近所の歳の近い子らと遊ぶことしかできない。そして陽が沈み、暗くなったら早々に寝る。蝋燭などの照明は高価だからだ。まるで江戸時代か童話の中のような暮らしは、現代っ子だったわたしには少々辛かった。
ともあれ、ただ娯楽が無いからあちこち走り回っていたわけではない。これも将来玉の輿に乗るための壮大な計画の一部なのだ。
大人になってからのプロポーションは、幼児期の生活に左右されるという。子供の頃に太っていると、大人になっても太りやすくなるらしい。なので将来太らないために、今から走り回って余計な脂肪をつけないようにしているのだ。
しかしながら、いくら子供の足とはいえ小さい村なので走るとあっさり一周してしまう。なので村の外に出ようとしたら、親だけでなく周囲の大人たちにも怒られてしまった。
「危ないから子供だけで村の外に出るな」
車どころか自転車一台見かけないド田舎に、いったい何の危険があるというのだろう。いや、だからこそクマやイノシシに気をつけろという意味なのかもしれない。
色々疑問に思いながらも、大人の言うことは一応素直に聞いてしまうところは、前世から変わらない。それに言いつけを破ってクマやイノシシに遭遇したら怖いので、わたしはひたすら村の中で遊んだ。
それに小さな村だが、丸っきり娯楽が無いわけではない。
一応食料や生活必需品などは自給自足しているが、やはり足りない物は出てくる。それらは月に一度くらいの頻度でやって来る行商人に頼っていた。
流通の悪い小さな村にとって、彼らが来る日はちょっとしたイベントだった。村人は行商人の持って来る商品を心待ちにし、そして彼らが去ると再び来る人を指折り数えて待つ。
だが楽しみはそれだけではない。
半年に一度ぐらいの割合で、ちょっとした規模の商隊がやって来るのだ。
商隊は十日ほど村に滞在し、その間はいつもとは比べ物にならない大きくて賑やかな市が立つ。わたしは、その日が大好きだった。たとえ一文無しで何も買えなくても、珍しい装飾品や村では絶対買えないきれいな服は見ているだけで幸せだった。
市に出ているのはそれだけじゃない。村では採れない果物や野菜が売っていたり、大きな街の食堂でしか口に入らない珍しい料理などの屋台が立っている。その屋台から流れてくる臭いを嗅いでいるだけでも、来る価値はあると思う。
次回は明日0800時に投稿します。