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リリアーネは両手で握っていた手綱から左手を放すと、その手でわたしを御者席へと引っ張り込んだ。
「わあ……」
初めて座る御者席は、馬が駆ける振動がダイレクトにお尻に伝わり傍から見ているよりかなり座り心地が悪かった。おまけに風圧が顔を叩くので、慣れるまで目がまともに開けられない。ヘルメットなしでサスペンションの硬いバイクに乗ったら、こんな感じかもしれない。
「あーしとエッダの出会いねえ……」
昔を思い出しながら、リリアーネはゆっくりと語り出した。
あれは今から一年と少し前。時期的には、飢饉のせいで各地で戦争が勃発していた頃だ。
食料不足を他国の侵略で賄おうとしていたのは、人間だけではなかった。
魔王軍もまた、人間を襲って食料と土地を略奪しようとしていたのだ。
このため腕に覚えのある者は傭兵として他国と戦いに。或いは魔王軍との戦いに赴いた。
その中にいたのが、リリアーネとエッダであった。
彼女たちは傭兵だったので、遊撃隊として働いていた。と言っても、正規軍の露払いや後始末など都合のいい駒として使われていた。
そのことに特に不満はなかったが、我慢できないことが一つだけあった。
それは、彼女たちが亜人であることに関係していた。
この世界にも、残念ながら差別はある。
その数ある差別の一つが、亜人差別である。
とはいえ、普通に生活している分には彼らは良き友人であり、良き商売相手だ。街や村で彼らを見かけても誰も何も思わないし、露骨に嫌悪感を現す者もいないだろう。
ただ唯一と言っていい例外が、軍隊である。
軍隊は特殊な組織である。
形状は極端なトップダウンで、上が死ねと言えば下は一も二もなく従うしかない。兵の命は数字で数えられ、銀行のように右から左に動かされ減ったり増えたりする。
命の重さが極端に軽い彼らは、その重さを互いに寄せ集まることによって補う。そうしてできた絆は血よりも重く濃くなる。
そして生まれるのが団結という名の、異物の排除だ。
彼らは同じ隊であることを重んじる。
彼らは同じ軍であることを重んじる。
彼らは同じ国の民であることを重んじる。
そして彼らは同じ種族であることを何よりも重んじる。
同じ種族同士で殺し合うくせに。
なので彼女たち亜人の扱いは、家畜の如きであったと言う。
しかし彼女たちは家畜ではない。彼女たちには意思があり、抵抗する牙がある。
ある時、軍隊の中でちょっとした『異物排除』が起こった。矛先はリリアーネであった。遊撃隊に彼女とエッダの他にも亜人はいたが、エルフでしかも女性とくればいくら規律の厳しい軍隊であろうと助平根性を出す輩の一人や二人はいるものである。
しかし魔法使いで武闘家である彼女をどうこうできる者はいなかった。悉く返り討ちにされた上に、もう二度と世間に顔向けできないような恥ずかしい仕打ちをされる者が頻出した。
やがてやり過ぎた仕置きが逆恨みを買い、あわや集団での私刑に発展しそうになった時、彼女を救ったのがエッダであった。
「おかしな奴よね。あーしなんか庇ってもなーんの得にもならないのに」
何の感情も無い声で、リリアーネは言う。
「一度ね、訊いたのよ。どうしてあの時あーしを庇ったのかって」
そしたら何て言ったと思う? とわたしに向かってクイズを出した。当然わからないので、素直に首を横に振る。するとリリアーネは鼻から軽く息を吐いて言った。
「『自分は一度人に助けられたから、自分も一度は誰かを助けようと思った』ですって。笑っちゃうでしょ。そんなつまらない自分ルールで、軍隊丸ごと相手に喧嘩売ろうとしたのよ」
リリアーネはけたけたと笑うと、また鼻から小さく息を吐く。
「ほんと、変な奴……」
そう呟く彼女の表情は、笑っているのか困っているのか、それとも何か大切なものを慈しんでいるのかわからなかった。
「けど、運良くことが大きくなる前に、戦争が終わってね」
例の、勇者が現れたから魔王はそいつに任せようというやつか。
こうして軍隊をお払い箱になった二人は、再び冒険者に戻った。
「そっからよね、腐れ縁が続いたのは」
奇妙な縁で同じ冒険者ギルドに厄介になるようなった二人は、特に何かを約束したわけでもないのにコンビを組むようになった。
そして今に至る。
「二人とも、仲がいいんですね」
わたしがそう言うと、リリアーネは目を丸くする。
「そんなわけないじゃない。どこをどう聞いたらそう思うのよ」
「そうかな」
「そーよ。まったく、これだからお子チャマは」
白けたように溜息を吐くと、リリアーネは前を向いて馬車の運転に集中する。わたしはその横顔を見ながら、こいつもツンデレかよ、なんて思っていた。
森の中に、東西南北に道が走る分帰路がある。北と南は別の国に向かう道、西はやって来た道、残る東が王都へと向かう道だ。
話している間に馬車は分帰路を越えていた。後はこの道をずっと進めば、三日後には王都に辿り着く。何事もなければ、の話だが。
リリアーネとの会話が止まり、わたしが彼女の横顔を横目で見ながら美女成分を補給していると、突然エッダが顔を突き出してきた。
「おい、リリアーネ」
「どうかしたの?」
「後ろから馬車が来てる」
「だから何?」
「何かに追われてる」
「なんですって!?」
リリアーネの顔に緊張が走る。
わたしには自分が乗っている馬車の音しか聞こえないが、エッダが言うのなら間違いないのだろう。リリアーネの表情を見れば、それは明らかだ。
「何に追われているかわかる?」
エッダの猫耳が、周囲の音を探るように動く。
「馬車は一台。それを追いかけるように馬が少なくとも五頭以上。それ以上は多すぎてわからん。恐らく野盗だろう」
次回更新は明日0800時です。




