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「初めて見た……」
おとぎ話から飛び出してきたような美貌に、フィオが魂を抜かれたように呟く。わたしも思わず見とれ、手からサンドイッチを落とした。
外套の下は真っ赤なシャツの上に藍色の袖なしジャケットを着ており、下半身は同じ色のホットパンツ。色白のすらりとした長い足を惜しげもなく出した先には革のブーツを履いている。両手は包帯がぐるぐる巻いてあってケガをしているのかと思いきや、車田巻きにしたバンテージだった。格好だけ書き出すと世紀末救世主かワイルドを売りにしているお笑い芸人のようだが、中身が極上の美女だとそのどちらにも当てはまらないからすごい。
「ほらね。みんなあーしに夢中でしょ? だからこうして外套をかぶっていたのよ」
「お前が類まれなる珍獣だからみんなびっくりしてるだけだよ」
「誰が珍獣よ。ヒゲ全部抜くわよドラ猫」
「ヒゲなんか生えてねえよ! お前こそその無駄に長い髪全部剃ってやろうか!」
「はあ? 身体強化呪文重ね掛けしたあーしに勝てると思ってんの?」
「あ、テメー卑怯だぞ! 武闘家なら生身で勝負しろやコラ!」
「卑怯じゃありませーん。あーしは魔法も使える魔法闘士だから、魔法で強化した肉体も実力のうちですー」
「ンだとテメコラどこ中だ?」
「何コラ! タココラ!」
仲良くじゃれているのかと思いきやプロレスラーみたいな言い争いが始まり、わたしは慌てて仲裁に入る。
「まあまあ、とりあえずエルフなので目立つから外套をかぶっていたことはわかりました。それで、お名前は?」
「リリアーネよ。よろしくね、お嬢ちゃん」
リリアーネは妖艶に笑うと、腰をかがめてそっとわたしに耳打ちする。
「あの野良猫とは今すぐ縁を切った方がいいわよ。でないとあなたの品がなくなっちゃうから」
「テメ誰の品がないってアァン?」
「やだ~、盗み聞きなんて品がなーい。これだから獣人は……」
「殺すぞクソエルフ」
「やれるもんならやってみなさいよ」
エッダの縦長の瞳孔が見る見る細くなり、牙を剥き出しにする。彼女が剣に手をかけると、リリアーネは軽く開いた両掌を胸元で構えつつ腰を落とし、往年のテクニシャン系レスラーみたいな構えを取る。打撃よりも組み技が得意な格闘スタイルのようだ。
「待て待て。いきなり仲間同士で殺し合いを始めるアホがおるか」
「あんたたちそんなに仲が悪いのによくコンビを組んでるわね……」
会長が怒りフィオが呆れている間に、リリアーネはエッダの体を担ぎ上げ、首の後ろで彼女の腰を反らせてアルゼンチンバックブリーカーを極めていた。腕も足も腰も胸すら細い華奢なエルフのどこにこんな力があるのか不思議に思うが、恐らく強化魔法で自分の肉体を強化しているからできる芸当なのだろう。
「だっしゃあああああっ!」
リリアーネがエッダの顎と太ももにかけた手に力を込めると、エッダの腰が弓なりにしなる。
「ぐああああああああああああああああっ!」
めきめきっと痛そうな音を立ててエッダの腰が反らされる。猫のように柔軟な体を持つ獣人だから耐えられるが、普通の人間なら背骨が真っ二つに折られているだろう。相手がエッダだからここまでやっているのか、それとも本当に殺すつもりでやっているのか判断に苦しむところだ。
「ふんす!」
充分痛めつけて満足したのか、リリアーネは乱暴にエッダを地面に放り投げる。
「うげっ」
奇妙な呻き声を上げて、尺取虫みたいな恰好で地面にうつ伏せに倒れるエッダ。腰からは狼煙のような煙が立ち昇り、かなりのダメージを受けたようだ。
「まったく、いい加減懲りなさいよ」
両手を叩いて埃を払うリリアーネは、汗もかかないどころか息一つ乱れていない。まるで軽くふざけただけのようだ。
だがわたしは見た。稲妻のようなエッダの上段からの斬りつけを紙一重で躱すと同時に懐に入り、あっという間に(ここは速すぎて見えなかった)相手を担ぎ上げてアルゼンチンバックブリーカーを極めてしまった。魔法で身体能力が飛躍的に向上していることを差し引いても、神業と言うべきものだった。
「ちくしょ~……今に見てろよ……」
まだ立ち上がれずにいるエッダに近寄り、様子を窺う。
「……大丈夫?」
「ああ、こんくらい大したことねえよ」
余裕を見せてにっこり笑うが、首から下はやられたままの姿なのでちっとも格好つかない。
「じゃれ合うのも大概にしとけよ。それよりさっさと昼飯食って先を急ぐで」
雇用主である会長の命令で二人は渋々シートに戻り、何事もなかったかのように食事を再開した。
「あんたら、どっかおかしいんとちゃうか……」
フィオの言うことももっともだが、これくらいは彼女らにとって日常茶飯事なのだろう。
食事を終え、再び馬車に乗り込む。わたしたちはすぐに森の中へと入った。
森の中にも道はあるが、幅は馬車がすれ違える程度しかない。しかも街道のように整備されておらず、あちこち石が落ちていたり木の根が出っ張っていてでこぼこしている。おまけに木の葉が視界と日光を遮っているせいで、馬車はかなり速度を落としていた。
「森を無理やり切り開いた道って、嫌いなのよね」
御者席で手綱を握るリリアーネがぽつりと呟く。その言葉はすぐ蹄の音にかき消されたが、何故かわたしの耳にははっきりと届いた。そして妙に心に残った。
森で生きるエルフたちは、木々を切り倒し強引に生活圏を広げる人間のことをどう思っているのだろう。
よくあるファンタジーでは共存していたり、ちょっとだけ険悪だったりするが、こうして生きて存在している生身の彼女を見るとふと訊いてみたくなる。
だがわたしは訊かなかった。訊けなかったと言った方が正しい。
代わりに、別のことを訊いた。
馬車の中から身を乗り出し、上半身を御者席へと捩じ込む。
「あの、エッダとはどうやって知り合ったんですか?」
「あら、気になる?」
「はい、とっても」
「そう」
そう言うと彼女は、昔を思い出すように遠い目をした。
その姿は、子どものわたしでも息を呑むほど綺麗だった。
次回更新は明日0800時です。




