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目が覚めると、視界がぼやけていた。
色のはっきりとしない、モノクロ映画のような世界だった。
自分が仰向けになっているのはわかったが、ここがどこで、何故自分が寝ているのかさっぱりわからない。
漠然とした意識と視界の中、どうにか状況を理解しようと頭を巡らせる。だが逸る心とは裏腹に、体は思うように動かない。寝返りはおろか、満足に頭を動かすこともできない。
不自由な目と体に、突然感情が爆発する。
寂しさ。
悲しさ。
不安。
怖れ。
一度に色んな感情に襲われ、我慢できずに声を上げて泣き出してしまった。
我ながら驚くくらい、大きな声を上げて泣き喚いた。だがわたしの耳に響いたのは、記憶の中にある自分の声ではなかった。
それはあまりにも幼く、まるで赤ちゃんのような声……。
いや、まさに赤ん坊の泣き声だった。
(どういうこと……?)
泣きながらも、考える。いや、考えようとしているのだが、泣くのが止まらない。
理性よりも感情が圧倒的に勝ってしまっているので、自分でもどうしようもない。理屈や思考を素通りして、今はただがむしゃらに泣き続けたいという欲求に突き動かされている。
さすがに泣き疲れてきたと感じた頃、知らない女性の声が聞こえてきた。
「あらあら、どうしたの?」
ぼやけた視界の中、その声の主はわたしを覗き込む。そしてゆっくりと抱き上げると、優しく抱きしめた。
「ほーら、泣かない泣かない。いい子いい子」
何だろう。
この声。
匂い。
このぬくもり。
落ち着く……。
何度も体を揺らされながら抱かれていると、それまで不安でたまらなかったのが嘘のように穏やかな気持ちになる。
悲しかった気持ちはきれいさっぱり消え、泣き声はいつの間にか止んでいた。
それどころか、笑顔になっていた。
「ふふ、さっきまで泣いてた子がもう笑ってる」
よく見えないが、わたしを抱いている人が笑っているのを感じる。
なぜだかわたしも嬉しくなり、さらに笑顔になる。
するとその人もまた笑う。
そうしてお互いを笑顔にしていると、今度は男性の声がした。
「エミーは泣きやんだかい、マーサ?」
「トーマス」
「どれ、今度は僕が抱こう。エミー、こっちにおいで」
男性――トーマスはそう言うと、女性――マーサからわたしを受け取る。女性の時とは違って、男性は筋肉質で固い感触がする。だけど感じる安心感は甲乙つけがたい。
「この子はきみに似て美人になるぞ」
「それよりもあなたに似て丈夫に育って欲しいわ」
「それは困る。僕に似たらおてんば過ぎて、嫁の貰い手がなくなる」
きゃっきゃうふふと聞こえそうな、二人の仲睦まじい会話はしばらく続いた。
しかしながら、ここまで来るとさすがに理解する。わたしは赤ちゃんで、トーマスとマーサはわたしの両親だ。理屈はさっぱりわからないが、どうやらわたしは赤ん坊になってしまったようだ。
そうすると、視力の悪さと体の不自由さは納得できる。赤ん坊は産まれた時は視力が悪く、一歳以降急速に良くなるからだ。体も同様に、寝返りを繰り返して徐々に筋肉をつけ、やがて這って進んだり立って歩けるようになるのだ。
そしてもう一つわかったのが、わたしの名前。エミー。なんだか外国人みたい。まあ前世が恵美だったからエミーというのは憶えやすいし、呼ばれ慣れてる名前だから自分の名前だと認識しやすいので良かったが、果たしてこれは偶然なのだろうか……。
ともあれ、両親は二人とも善人のようだし、子供に対する愛情もあるようで安心した。ここなら少なくとも育児放棄される心配もなさそうだ。
それにしても、どうしてわたしは異国で赤ん坊になったのだろう。最後の記憶は、結婚相談所からの帰りに雨の中信号待ちをしていたところで止まっている。
そこで何があったのかはわからないが、とにかくわたしはそこで一度死んだのだろう。
そして、これまたよくわからないがこうして新たに生を受けた。
どうにもわからないことが多すぎるが、一つだけ確かなことがある。
今わたしは生きている。
これは、考えようによってはチャンスなのではなかろうか。
思い返せば、わたしの前世はあまり恵まれていなかった。いや、日本という平和な国の中流家庭に生まれたただけで全人類からしたら勝ち組かもしれないが、だからといって悔いや未練が無いわけではない。
むしろ、日本でそこそこ平凡に生きてたからこそ、些細なことが心残りになることもある。
例えば……いや、もうぶっちゃけると結婚したかった! ていうか結婚さえできれば我が人生に一片の悔いなしと言っても過言ではなかった。
ブスだ根暗だと蔑まれ罵られ続けた人生だったが、せめて人並みの幸せさえ掴めていれば、これほど未練は残らなかっただろう。
或いはこの未練のおかげで転生できたのかもしれないが、それならなおさらこの未練を断ち切るために、今世こそは結婚したい。
いや、こうなったらただ結婚するだけでは駄目だ。前世でできなかった分もまとめて元が取れるぐらいの結婚ができなければ、きっと悔いが残るだろう。
では二回やるか……って馬鹿。それだと一度離婚しなければならないではないか。違う、そうじゃない。
そうだ。普通の人が経験できないような、豪華な結婚式を挙げたい。そうなると、相手は普通の男性では駄目だ。大きな式場を手配し、大勢の招待客を招く経済力と社会性がなければならない。一般市民では到底無理だろう。
となれば、狙うは玉の輿!
決めた! わたしの今度の人生は、玉の輿を狙うために全力投球するんだ!
今度こそ結婚。しかも玉の輿。よし、決めた。
こうしてまだよく目も見えない赤子のうちに将来の目標を決めたわたしは、この先とんでもない事実が発覚することなど夢にも思わずに両親の腕に抱かれたまま眠りについた。
この後1000時にも投稿します。