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コンスタンチン商会の会長から直々に商売を教わることになったわたしは、その日のうちにそれまでお世話になっていたタミアス雑貨店の自室を引き払った。
とはいえ、たった一ヶ月しかいなかったし、そもそもわたしが持ち込んだ私物は無かったので体一つで引っ越しは完了した。
新しく寝泊まりする場所は、エルヴィンが用意してくれた。と言っても、以前フィオと一緒に帳簿のテストを受けさせられた商会本部の二階に空き部屋があったので、そこに必要最低限の家具を入れただけの、以前の部屋と大差ないものだった。
部屋の狭さと質素さに溜息を吐くわたしにエルヴィン曰く、
「会長の弟子になったら、家なんて着替えを取りに行くか寝るだけの場所になるんだからそれで充分だ」
だ、そうなので、わたしの部屋に私物が増えるのは当分先の話になりそうだ。
そう言えば、わたしが初めて会長に会った時も、彼は何かの商談から帰って来たところだった。きっと商売のために世界中あちこち飛び回って、家にはほとんどいないのだろう。いかにも商人らしいと言えばらしい話だが、少々ワーカホリックな気がして娘のフィオの気持ちが少し気にかかった。
しかし、そんなワールドワイドなビジネスシーンに八歳の子供をつき合わせるのもどうかと思うが……いや、やめておこう。それよりも、こんなにも早く商売のノウハウを得る機会を得られたのは僥倖だと思うべきだ。しかも大きな商会の会長ともなれば、商談相手は商人だけに止まらず、貴族やもしかしたら王族なんてことも。会長に着いて彼らと接点を得ることがあるかもしれない。そうすれば、わたしの玉の輿計画もかなり現実味を帯びるだろう。
なんて思いながらできたばかりの私室を片付けていると、さっそく会長に呼び出された。
「明日、王都に行くで」
執務室に入ったわたしに向かって、会長は開口一番そう告げた。
そうですか行ってらっしゃいお気をつけて、とは言わない。どうせわたしも一緒に行くんでしょ。そういうの、わかっちゃうんだから。
「王都、ですか?」
「せや。王都オリエルバス。このオブリートスから馬車で片道四日ってところや」
「意外と近いんですね」
「まあな。けど途中に険しい山道や森を通るから、安全は保障できへんで」
「道が悪いんですか?」
わたしの問いに、会長は「ちゃうちゃう」と右手を横に振る。
「悪いんは道やなくて治安や。道中には魔物や野盗が出て、商人や旅人が襲われるねん」
しばらく堅牢な外壁と衛兵に守られた都市で生活していたので失念していたが、この世界の治安は恐ろしく悪い。それは魔物や魔獣だけではなく、野盗や暴漢などが存在するからだ。
ひとたび街という守護された空間から出てしまうと、途端に彼らの脅威に晒されてしまう。冒険者や騎士のように、己を守る術を持たぬ人々は、常に彼らに怯えている。だからより強い庇護を求め、人は都市に集まってくるのだ。
だが、商人はずっと街に引き籠っているわけにはいかない。小さな個人店ならいざ知らず、コンスタンチン商会のような大きな所は、他の都市の商会と取り引きしている。なので治安の良し悪しを問わず、商談があればその地に出向かなければならない。
そのために、危険な道中に彼らを護衛する組織が存在する。それが――
「冒険者ギルドの出番ですね」
「せや。もうエルヴィンが護衛の依頼を出しとる。明日の朝イチで合流や」
冒険者ギルドとは、その名の通り登録した冒険者を管理し、仕事を斡旋する組織、所謂異世界のハローワークである。
「いま王都への道はどこも物騒って聞くからな。奮発して上等の冒険者を雇ったわ」
「上等って……。冒険者に上等とかあるんですか?」
「魔王軍との戦闘で活躍した猛者らしいで。どんなごっついのが来るか、楽しみやろ」
子供のように目を輝かせる会長に、わたしは「はあ……」と相槌とも溜め息ともつかない返事をする。
だがやる気のない態度とは裏腹に、わたしの頭は王都のことでいっぱいだった。何しろ王都だ。現代で言う首都みたいなものである。このオブリートスよりも大きくて栄えているというのだから、きっととんでもない所なのだろう。そして何より、王都と言うのだから王族が住んでいて、それに関わる貴族もいっぱい住んでいるはずだ。
つまり、ワンチャンあるかもしれない。ぐふふ。
まあ、そんなに都合よくいくはずはないのだけれど、希望は無いよりあった方がいい。それにわたしは運が良い。もしかしたら、もしかするかもしれない。
などと妄想を膨らませていると、会長が思い出したように言った。
「ほなエミーも明日の朝イチ、よろしくやで」
ほら、やっぱりわたしも行くんじゃない。
次回更新は明日0800時です。




