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「それでは結果を発表する」
エルヴィンの言葉に、室内がしんと静まり返る。わたしの隣でフィオがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「勝者、エミー!」
自分の勝利が告げられ、ほっと胸を撫で下ろす。だがすかさずフィオが不服を申し立てる。
「何でや! うちの方が早かったやん!」
そう。確かにわたしは算盤に慣れてきて後半速度を上げたが、それでも終始熟練の手つきで珠を弾いていたフィオの方が先に計算を終えていた。わたしは彼女よりだいぶ遅れて計算を終えたのだった。
しかし、このテストは早さを競うものではない。帳簿というのは、つまりはお金のやり取りの証拠である。世の仕事の多くは巧遅より拙速を重んじるが、ことお金に関してはその限りではない。絶対にミスが許されず、そのためならば多少時間がかかってもやむを得ないこともある。たとえば銀行では、一円でも数が合わなければ何度でもやり直し、日付けが変わろうが合うまで帰れないぐらいだ。
もちろんミスが許されないのはすべての仕事で言えることなのだが、お金は命の次にミスが許されないくらい厳しいものなのだ。わたしも可能であればダブルチェックトリプルチェックしたかったが、さすがに時間がかかり過ぎるので本気で集中して一回に留めた。
「確かに、終わったのはお嬢の方が早かった。けど、肝心の計算が間違っている。これじゃあ意味ありやせんぜ」
「なんやて!?」
「逆に、エミーはお世辞にも早いとは言えなかった。だが時間がかかっても慎重にやったので計算はしっかり合っていた。ここまで言えば、お嬢でもどっちが勝ちかわかるでしょう」
「これでわかったやろ。帳簿の大事さを理解しとらんお前に商いはまだ早い。せめて基本がきっちりできてからにするんやな」
「ぐぬぬ……」
悔しそうに目に涙を溜めて歯を食いしばるフィオを見ると、何だか悪いことをした気分になる。ごめんね、年下に負けて悔しいだろうけど、本当はわたし三十超えたおばちゃんだから、気にしないで。
なんて言えるはずもなく、かける言葉を見つけられずただ見ていると、フィオは突然勢いよく立ち上がってわたしに向かって指を突きつける。
「ふん、そもそもうちは経営者を目指してるんや。事務仕事なんかできんでもええねん!」
「経営者なら、なおさら正確に帳簿をつけられないといけないのでは……」
「せやな、よう言うた」
思わず入れたわたしの突っ込みにコンスタンチンが同意すると、フィオはさらに涙目なりながら真っ赤な顔でわたしを睨み、
「こ、これで勝ったと思うなよ! あほー! あほー! うんこー!」
小学生みたいなことを叫びながら部屋から出て行ってしまった。
勢いよくドアが閉められると、重苦しい静寂が室内を満たす。台風みたいな子が出て行ったせいで、部屋の中の気圧が下がったかのように感じるのは気のせいだろうか。
そんな空気に耐えられなかったのか、それとも愛娘の恥ずかしい姿に居たたまれなくなったのか、雰囲気を一度リセットするようにコンスタンチンがわざとらしく咳払いをする。
「まあ、なんかスマンな」
「……いえ、気にしてませんので」
「せやけど、よくその歳で読み書き算盤覚えたな。商売人の子でも、もうちょっと時間かかるで」
ええ、今まさに現物を見させていただきましたのでよくわかります。
「ですから会長、掘り出し物って言ったでしょ」
「確かに掘り出しもんやけど、ちょっと出来が良過ぎるなあ」
コンスタンチンにじろりと睨まれ、わたしはどきりとする。前世の記憶があるなんてでたらめなことはバレるはずはないだろうが、雇用主となる人に無用な疑念を抱かれるのは困る。
「なあ、エミー」
「な、何でしょう?」
「きみ、算盤はどこで習った?」
「そ、それは…………」
さすがに本当のことを言えるはずもなく、少し考えた末に自分でも嘘くさい答えを言ってしまう。
「そ、村長さんに……」
我ながらもっと他に答えはなかったんだろうかと後悔するが、口から出て行った言葉は今さら消したり引っ込めたりはできない。
だがわたしの苦悩をよそに、エルヴィンは感心しきったように言う。
「読み書きだけでなく算盤も村長から教わったのか。お前んとこの村長めちゃくちゃ優秀だな」
「ほんまやな。うちの教育係としてスカウトしたいぐらいやで」
村長さんごめんなさい。どうやら二人の中で、あなたの株がうなぎ登りのようです。
「お前の村、どこだっけ? 馬車でどれくらいかかる?」
「とりあえず村の名前、教えてえな」
まずい。このままだと本当に村長さんをスカウトしそうな勢いだ。
「もう結構お年を召しているので、ご期待に沿えないかと……」
「そうか、残念だ……」
「さすがにご老体に無理をさせるわけにはいかんなあ……」
村長株の上昇をどうにかストップ高にこぎつけ、ほっとする。
だがほっとしたのも束の間、コンスタンチンは「よし!」と場を仕切り直すように大きな声とともに両手を叩いた。
「何はともあれ、これできみは晴れて我がコンスタンチン商会の一員や。よろしゅう頼むで」
「うちは年齢や性別に関係なく、実力があればどんどん出世できるから頑張れよ」
嘘でしょと思うが、まだ二十台に見える若さで番頭になっているエルヴィンが言うと説得力がありまくる。
コンスタンチン商会、異世界なのになんてホワイトなんだろう。これじゃあブラック企業で社畜をしていたわたしがまるで馬鹿みたいじゃないですか。いや、馬鹿なのはきっとあっちの世界の方だ。
「それじゃあさっそくきみが働く店に行ってもらおうか」
「え? ここじゃないんですか?」
「ここは店やのうて、うちが経営するいろんな店を取りまとめる総合事務所みたいな所やからな。まあ、きみならどこに行ってもやっていけるやろ」
商会というだけあって、コンスタンチンは街中にいくつも店舗を持っているという。どうやらわたしはそのうちの一つに連れて行かれるようだ。
「それじゃあエルヴィン、後は頼んだで」
「わかりました」
ひらひらと手を振るコンスタンチンに会釈をすると、エルヴィンはわたしに「ついて来い」と促す。
二人で執務室を辞すと、階段を降りて外に出た。
次回更新は明日0800時です。




