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 コンスタンチン商会の二階にある会長の執務室には、ちょっとした商談に使える客用のソファとテーブルがある。


 本来なら偉い人やお金持ちが座って話をするようなソファに、わたしは座らされている。軽いわたしが座ってもお尻が深く沈み込むくらい座り心地がいいが、今は非常に居心地が悪い。


 目の前のテーブルには、画板サイズの黒板と白墨。まるで学校の授業を受けているような状態だ。


 というか、わたしはこれからテストを受けさせられる。


 どうしてこうなった……。


 事の発端は、わたしが一年で読み書きを覚え、その上計算までできるということにフィオが異議を唱えたからだ。


「こんな小さい子が読み書きどころか計算なんてできるわけがない。絶対嘘ついてる!」


 だがそれに対して実際わたしが文字を書いてるところを見たエルヴィンが反論し、彼女の機嫌はますます悪くなった。


 そこでコンスタンチンが「それなら試してみたらええ」と鶴の一声を発したため、わたしは今からテストを受けさせられる羽目になったのだ。


「ったく、めんどくさいなあ……」


 わたしの隣には、頬を膨らませたフィオがぶつくさ文句を言いながら座っている。彼女の前には、わたし同様黒板と白墨が置かれている。


 その理由は、わたしをテストすると決まった時にこのコンスタンが、「ほんならついでにフィオもテストしとこうか」と言い出したからである。


 当然フィオは「なんでうちまで!」と猛抗議したが、


「お前最近ワイにくっついて商売の勉強するのはええんやけど、基本の読み書き算盤が疎かやったら意味ないからな。ちょうどええ機会やからここでしっかりできるところを見せて、ワイを安心させてくれや」


 と、穏やかな口調ではあるが糸目がすっと開いて日本刀のような鋭い眼で言われ、やむを得ず一緒にテストを受けることになったのだ。それにしても、会長さん目を開くと怖いですね……。糸目キャラは強キャラ、を地で行くかのようだ。


「今から二人にやってもらうのは、これだ」


 進行役を買って出たエルヴィンがわたしたちの前に置いたのは、五十枚ほどの紙を紐で綴じた冊子だった。


「あの、これは……?」


「そいつは昔の帳簿だ。二人には、そこから収支と経費を計算して利益を算出してもらう」


 つまり商売の仕事で必要な経理をやれということか。確かにこれなら読み書きと同時に計算のテストができる。


 生前の仕事は経理ではなかったが、帳簿から数字を拾って計算するぐらいならわたしでもできるだろう。


 だがそれには計算機、できれば電卓が必要だ。少々の計算なら暗算でもできるが、さすがに帳簿一冊分ともなれば機械の助けが必要になる。


 しかし当然ながら、この世界に電卓は無い。あるのは黒板と白墨と一緒に渡された算盤のみ。わたしのいた世界でも時代や場所によって色々な形があるのだが、これはよくある横長で珠が縦に並んだタイプだ。これを使ってやれということなのだろう。


「帳簿かあ、うち苦手やねんなあ……。けど、あんたには負けへんで!」


 突然わたしに向かって対抗心を燃やすフィオ。エルヴィンの「始め」の合図と同時に帳簿を開き、食い入るように内容に目を通す。


「むむむ……」


 唸り声を上げると、やがてぱちぱちと算盤を弾き始める。だが珠を弾く手つきはそれらしいが、少し弾いては止まりを繰り返してどうにもリズムが悪い。本人が言った通り苦手なのだろうが、苦手なのは算盤だけではないようだ。


「なあなあエルヴィンさん。ここ何て書いてんの?」


「お嬢、これはテストですぜ。答えるわけないでしょう」


 エルヴィンに素っ気なく断られ、フィオは唇を尖らせる。その仕草は、たいていの男性を味方に寝返らせるほどのものだったが、生憎彼には通用しなかった。まあ、上司が見ている前で堂々とずるをするわけにもいかないだろうし。


 おっと、見とれている場合じゃない。わたしも帳簿を開き、中を見る。内容は帳簿というだけあって、事務的で味も素っ気もない文字と数字の羅列なのだが、売り上げと仕入れが明確でわかりやすい。これなら簿記の資格を持たないわたしでも何とかなるだろう。


 そう思って筆算のために帳簿の数字を黒板に書き写そうとするが、白墨を握ったところでぴたりと手が止まる。こんな小さな黒板、あっという間にスペースが無くなってしまうだろう。


 こういう時、電卓があったらなあ……と思うが、今は算盤しかない。仕方なくわたしは算盤を手に取る。


「算盤なんて、触るの小学生以来だなあ」


 思わず小声で呟きながら算盤を軽く振ると、珠がシャカシャカ鳴った。算盤の授業の時、男子がふざけて楽器のように鳴らして遊んで先生に叱られていたのを思い出す。トニー……谷……? 知らないはずの単語が頭に浮かぶ。たぶんこれ前世の記憶じゃないやつ。なにそれ怖い!


 冗談はさておき、二十年以上前の記憶が頼りに、まず最初に算盤をテーブルに立てて珠を全部下に落とす。そのまま算盤を倒してから、一番上の段にある5の珠を人差し指で左から右になぞって全部押し上げると準備完了。


 えっと確か、上から二段目の枠についてる目印の点を一の位にするんだっけ? とりあえず帳簿に書かれた最初の数字を算盤で弾く。パチパチ。うん、できた。次に二番目の数字を足して、またその次の数字を足すといった感じでぱちぱちと珠を弾いていく。


 算盤なんてずいぶんと過去の記憶なのでできるか不安だったけど、始めてみたらだんだんやり方を思い出してきた。


 ふと隣を見ると、フィオはわたしよりも算盤の扱いに慣れているのか、珠を弾く音がリズミカルで迷いがない。さすが商売人の娘といったところか。


 ただ時々手が止まるのは、足し算だったり繰り上がりの時に悩むからだ。そこはわたしとは正反対だった。


 室内に、算盤の珠を弾く音が二人分響く。だが終始止まったり速まったりするフィオとは違い、わたしの珠を弾く音は徐々に速度を増していった。


次回更新は明日0800時です。

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