102
今回はちょっと長いです。
あれからどれくらい寝たのかわからないが、厩の中はすっかり暗くなっていた。
昼間は放牧されて姿が見えなかった馬たちも、今は自分の房の中で大人しく休んでいる。
どうしてわかるかというと、獣人の中でもとりわけ猫系の獣人は夜目が利く。なのでヒトには真っ暗だと感じる厩の中でも、屋根の隙間からうっすらと星明かりが差し込んでいればあたしにとっては昼間も同然だ。
そして、エルフもそこそこ夜目が利くらしい。あいつらはほとんど妖精みたいなもので、ヒトが見えない種類の光が見えるとリリアーネから聞いたことがある。洞穴で鉱石ばっか取ってるドワーフも同様らしい。
干し草の山に背を預け、虫の声に耳を傾けながら、獲物がやって来るのを待つ。ただ待つ。半日ほど干し草の上で寝ていたから、あたしらの臭いに気づかれる可能性は低いだろう。
隣で寝ていたリリアーネが目を覚ましたのを、気配で察する。
と同時に、虫の声がやんだ。
来た。
あたしは気配を消し、闇の中に溶け込む。リリアーネはすでに音もなく移動している。
迫り来る異様な気配に馬たちが気づいたのか、厩の中がにわかに騒がしくなる。前の食事から数日経って空腹に耐えきれず、荒い息を発しているのをあたしの耳も捉えていた。
さっき目の話をしたが、獣人はさらに耳も良い。ヒトとは比べ物にならない優れた聴覚が、目で見る以上に物事を教えてくれる。
足音を聴けば、獲物との距離だけでなく歩幅や重さもわかる。
息遣いを聴けば、獲物の体長や体調がわかる。
それらがわかれば相手の正体に凡その目星がつき、対策が立てられる。対策が立てられれば、それだけ戦闘が有利になる。
戦闘は、相手を目で捉える前から始まっているのだ。
エルフはさらに耳が良いと聞くから、リリアーネはあたしよりももっと情報を得ているのだろう。今あいつはきっと、先制攻撃をするのに最も適した位置を取り、タイミングを計っているに違いない。
相手を待ち伏せる場合、剣と鞘が擦れる音をさせないためにあたしはギリギリまで剣が抜けない。金属鎧で身を固めている奴は、さらに神経を使うだろう。
だが徒手空拳のリリアーネは、そんなことを気にせずに好きなように動ける。今も好き勝手に動いているのだろうが、干し草一本踏んで折れる音がしない。いったいどうやったらそんな動きができるのか。空でも飛んでるのだろうか。
異様な気配は警戒する素振りも見せず、まるで自分の巣穴に帰ってきたかのように無防備に近づいて来る。
何度も馬が手に入ったため味を占め、意地汚くまたやって来たのが運の尽きだ。今日この場が、お前の最期だぜ。
厩の外で、何か巨大なものが立ち上がる気配がした。屋根から漏れる星明かりが、何かに遮られる。
すると壁に開いた大穴から、巨大な頭がひょっこりと覗き込んで来た。影になってよく見えないが、魔獣であることは確定した。
魔獣が中の空気を嗅いで鼻をひくひくとさせた瞬間。
「よいしょぉっ!」
魔獣の鼻先を、リリアーネが思いっきり殴りつけた。
鼻っ面は、ヒトを含め多くの生き物の急所だ。上手く殴れば鼻骨を砕き、鼻血が止まらなくなり呼吸がしにくくなる。呼吸が乱れると思考力が低下するし、戦闘意欲も削がれる。それに絶え間なく口の中に流れ込む血を飲み込みながら戦い続けられる者は少ないだろう。
「ギャンッ!」
魔獣は大きくのけ反ると、穴から下がって外に出た。それを追ってあたしも厩から出る。
穴から出たあたしが見たのは、立ち上がると厩の屋根を超えるほど巨大な熊の魔獣だった。
ただ体が大きいだけじゃない。口からはみ出すほど長大な鋭い牙は、普通の熊にはないものだ。だがコイツは片方の牙が折られており、以前に激しい死闘を演じたことを窺わせる。
コイツなら馬を即座に仕留め、難なく住処まで持ち帰ることができるだろう。今回の事件の犯人で間違いない。
「サーベルベアね」
いつの間にか、あたしの隣に音もなくリリアーネが立っている。
「オーガキングに負けて縄張りを追われた奴はコイツだろうな」
「負け犬にうろちょろされるとこっちが迷惑するのよね」
「それじゃ、さっさと片づけるか」
言いながら、あたしは剣を抜く。しんと静まり返った夜の闇の中に、硬く澄んだ音が響いた。
殺意を持った音に、サーベルベアが吼える。
「うるせえよ雑魚が」
「オーガキングに負けた奴が、あーしらに敵うと思ってんの?」
すぐにコイツは知るだろう。
どっちが強者かってことを。
「二人ともお疲れ様!」
朝。
仕事を終えて冒険者ギルドに獲物を持って来たあたしたちを、エミーが会心の笑みで出迎えてくれた。
「馬泥棒って大きな熊だったんだね。あんな大きな熊を狩れるなんて、二人とも凄い!」
無邪気な笑顔を向けられて照れ臭い思いをしていると、エミーはすぐに仕事の話に切り替えた。こういうところが、普通のガキと違うんだよなあ。
「さっきの熊を買い取りに回してもらったところ、うちが引き取る脂以外の毛皮、肉、爪など大変結構なお値段になりました。とりわけ毛皮は状態も良い上に、貴重なボス級のものだということで高値で売れました。やったね!」
エミーは一人で盛り上がり、ぱちぱちと拍手をする。
「そして熊と言えば、内臓が薬になることでも有名ですね。胃、肝臓、胆嚢など、これまた高値で買い取りされました。残念ながら牙が片方折れているということで、左右セットの価格にならなかったのは残念ですが、これは最初から折れていたということなので諦めましょう。で、最終的に買取価格がいくらになったかというと……なんと金貨50枚になりました!」
「いえーい!」
ノリがいいのか馬鹿なのか、リリアーネが飛び上がって拍手をする。
そしていよいよ報酬の受け渡しという段になって、あれほど高かったエミーのテンションが目に見えて下がった。金の入った革袋を両手で持ち、何か思い詰めるような顔で佇んでいる。
「ねえ、どうしたの? 早くお金ちょうだいよ」
両手をわきわきさせて催促するリリアーネに、エミーは懇願するような声で言った。
「あのね、二人にお願いがあるんだけど……」
突然切り出されるお願いに、あたしとリリアーネは戸惑う。
「このお金を、わたしに貸してほしいの」
「えっ……!?」
あまりに唐突な言葉に、あたしたちは同時に驚きの声を上げた。
「いきなりどうしたエミー」
「そうよ。それにそんな大金どうするつもりなの?」
「それは……」
いつになくエミーの歯切れが悪い。こういう時、こいつは良くも悪くも何かを企んでいる。
「なあエミー、正直に言えよ。お前は何の理由もなくそんなことを言う奴じゃないだろ」
「うん……けど……」
「それともナニか。そんなにあたしらが信用できないか? 目の前の金に目の色変えて、人の話を聞かないような奴に見えるか?」
エミーは首を左右に振る。まあ、隣の銭ゲバエルフはそう見えても仕方がないが、少なくともあたしはそうじゃないつもりだ。
「だったら話してくれよ。そこのエルフはともかく、あたしは友達だろ? だったらちったあ信用してくれたっていいだろ」
友達、と聞いてようやく話す気になったのか、エミーは話し始める。
「今回の被害で、牧場は深刻なダメージを受けたでしょ。けど年老いたハクラクさんとまだ小さなイッコさんだけじゃ、経営が回復するのに何年かかるかわからない。けどティターニア家を再興させるために商品を開発するには、一刻も早く牧場に立ち直ってもらわないといけないの」
「それで、この金が必要なんだな」
「うん。でもこれはあげるんじゃないの。それだとたぶんハクラクさんは受け取らない。だからわたしが二人に借りて、エミー商店が牧場に融資するという形にしたいの」
「お前、そこまで考えてたのかよ」
まだるっこしいが、確かにその方が話はすんなり通るかもしれない。あの頑固じいさんが、自分の孫より小さいエミーみたいなガキに金を恵んでもらって喜ぶわけがない。それよりは店からの融資という形にすれば、一応は店と牧場の取引になる。それなら世間体も悪くないし、じいさんの面子もぎりぎり保てるだろう。
「厭よ! どうしてあーしたちが苦労して稼いだお金を他人にあげないといけないのよ!」
「いやあげるんじゃなくて貸すだけだっつってんだろ、お前話聞いてなかったのかよ。っつか邪魔だから黙ってろよ」
駄々をこねるリリアーネに、エミーは辛抱強く説明と説得を続ける。
「いずれわたしのお店が利益を出せるようになったら、そこから少しずつだけど返していくから」
「そんなの、いつになるかわからないじゃない」
「お前はエルフなんだからいくらでも待てるだろ」
「あーしはもらえるお金はすぐにでももらいたいの!」
「そこを何とか。お願い、絶対に踏み倒したりしないから」
額を膝に擦りつけるようにして頭を下げるエミー。普通の子どもなら、親に叱られてもこんな謝り方はしないだろう。
まったく、どうしてこうコイツは面倒なことに自分から首を突っ込もうとするのか――
そこでふと、あたしはピンと来てしまった。
この状況、どこかで見たような覚えがあると思っていたが、そうだ、アレだ。
シャーロットの時と同じだ。
エミーはどうしてか、目の前で理不尽な目に遭っている奴を見ると、手助けしたがるふしがある。
あたしの時もそうだったし、ティターニア家の時もそうだ。
そして今、ハクラクのじじいにも同じことをしようとしている。
それに気づいてしまうと、あたしはもうコイツの頼み事を断ることができなくなってしまった。だってあたしもコイツのお節介に救われた一人なのだから。
「あたしはいいぜ。その金、お前の好きに使いなよ」
「ちょっと、あーしのお金でもあるのよ。勝手なこと言わないでよ!」
当然、事情を察せないリリアーネは猛烈に反対する。仕方なくあたしは駄エルフの首に腕を回し、細長い耳に耳打ちする。
そうして理由を知ったリリアーネは、まさに腸を断たれているかのような苦悶の表情をして唸った後、蚊の鳴くような声で言った。
「……わかったわよ……好きにしなさいよ……」
「おいエミー、コイツもいいってよ」
「本当!? 二人ともありがとう!」
「その代わり、絶対に返してもらうからね! 屋敷に帰ったらきちんと証文も書いてもらうんだから!」
「うん、わかった。それじゃわたし、このお金をハクラクさんの所に持って行くね」
そう言うとエミーは、あたしらの返事を待たずに駆け出した。きっと少しでも早くあの二人の不安を消してやりたいのだろう。金が無いってのは、簡単に生きる気力を削ぐからなあ。
エミーの小さな背中は、見る見る小さくなっていく。この様子だと、今日はコロッケ屋は休みかな。
「さて、あたしらも帰るとするか」
あたしは大きく伸びをすると、枯れかけの植物みたいにしおれているリリアーネの肩に腕を回し立たせる。
そうして朝の商業区を、二人寄り添うように歩いていった。
次回更新は活動報告にて告知します。




