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数日後。
朝早くから村の中央には、街へ奉公に出る者たちとそれを見送る家族が集まっていた。
奉公に出る人は、わたし以外にも十人ほどいた。これは村のほとんどの世帯が一人を奉公に出している計算になる。彼らはみなわたしよりずっと年上で、八歳のわたしは最年少だった。
中には見知った顔もあった。たまに一緒に遊んでくれた近所のお兄さん。男の子に混じって木登りをしていたら、はしたないから降りなさいと叱ったおばさん。花の冠の作り方を教えてくれたお姉さん。みんな今日一緒に街に行くのだ。
あちこちで別れを惜しむ中、わたしの目の前には両親がいた。
見送りは、別れが辛くなるから断ったのだが、やっぱり最後にもう一度会えて良かったと思う。
「体に気をつけるんだよ」
「辛くなったらいつでも帰っておいで」
「うん。お父さんお母さんも元気でね」
最後にわたしは二人とハグをし、馬車へと乗り込んだ。
馬車は三台用意されていて、わたしたち出稼ぎ組は二台に分かれて乗り込んだ。残りの一台は、さすがに申し訳ないと思ったのか村長さんが雇ってくれた護衛の冒険者たち用である。
冒険者の中にエッダを探したが、彼女の姿はなくわたしはがっかりした。他の冒険者に聞くところによれば、商隊の護衛より実入りの良い魔王軍との戦闘に傭兵として参加しているそうだ。魔王いるんだこの世界……。まあ魔物がいるんだから、その王様くらいいても不思議ではないのだろう。
ともあれ、彼女の強さは知っているが、戦争は何が起こるかわからない。特に戦う相手が魔物となれば、なおさらだ。無傷とまでは言わないが、せめて命を落とすような大きなケガをしないように祈る。村を出る前にもう一度会いたかったなあ。
街までは馬車で一週間ほどかかったが、幸運にも野盗や魔物に襲われることはなかった。道中目立ったトラブルのない、強いて言えばトイレが野外で不便だったのと座りっぱなしでお尻が痛くなったこと以外は快適な旅だった。
街は、大きいとは聞いていたがわたしの予想を遥かに超えた大きさだった。
せいぜい田舎の集落に毛が生えた程度だろうと思っていたら、周囲を高い壁で囲んだ砦のような都市で、巨大な門の前には身分証明や荷物の点検を待つ人や馬車の大行列ができていた。
長時間並んでようやくわたしたちの順番が来て、重そうな鎧を着て槍で武装した門番に「通って良し」とお許しをもらうと、馬車はゆっくりと門をくぐった。
街の中は、今まで住んでいた村とは別世界が広がっていた。
石畳で舗装されている上に、馬車が数台並んで通れる広さの道。道の両脇に立ち並ぶ石造りの建物はすべて飲食店や商店で、ショーウィンドウには見たこともない綺麗なドレスが飾ってある。
そして行き交う人々の数、そしてその種類の多さたるや。人間はもちろん、獣人や亜人が当たり前のように生活している。これは今まで村という閉鎖空間にいたわたしには初めての経験だ。いや、獣人や亜人は前世でも見たことなかったか。
ともあれ、街は建築技術的にはわたしの前世には遠く及ばないが、規模の大きさや賑わいっぷりは引けを取らないものだった。
「すごい……」
馬車の隙間から身を乗り出すようにして街を覗くわたしに、御者のおじさんが笑って言った。
「たしかにこの自由貿易都市オブリートスもすごいが、王都オリエルバスはもっとすごいぞ」
ここよりもっと凄いのか。さすが王都。っていうか、オブリートスって名前だったのねこの街。自由貿易都市というくらいだから、港もあるらしい。
感心しながら街の様子を眺めていると、馬車は賑やかな商業区を通り過ぎて工業区へとやって来た。
工業区はその名の通り、鍛冶屋や陶芸など工房が集まった区画である。飲食店などの多い商業区とは打って変わって、ここは人通りが少なく喧騒の代わりに鉄を打つ音や木を切ったり削ったりする音が響いている。
やがて馬車は開けた場所で停まった。恐らくここは他所から運搬した資材を降ろしたり、工業区内で出来上がった製品を出荷するための荷捌き場なのだろう。
「さあ着いたよ。降りな」
御者のおじさんに言われて、わたしたちは馬車から降りた。だが降りたものの、次にどうすれば良いのか誰もわからず、とりあえずみんなで固まって立っていると、こちらに向かってぞろぞろと歩いて来る男の人たちが見えた。
男の人たちは、不安そうに身を寄せ合っているわたしたちを見て、何だか期待外れだという顔をした。そして、その中で一番偉そうに見えるカイゼル髭を生やした人が言った。
「お前らか。田舎から奉公に来た連中ってのは」
わたしたちは小さく「はい」と答えるが、その声が小さかったせいなのか、それともわたしたちの何もかもが気に入らなかったのか、あからさまに苛立って舌打ちをする。
「とりあえず一列に並べ。今からお前らの行き先を割り振る」
急に並べと言われても、わたしたちはどうすればいいかわからず動けなかった。戸惑ってまごまごしていると、「さっさと並べ!」と怒鳴られた。
牧羊犬に追い立てられた羊みたいに慌てて並ぶと、男の人たちが順番にわたしたちを品定めしていく。どうやら彼らはわたしたちが奉公に行く先の人事担当といったところだろうか。しかし面接のような質疑応答は一切なく、男は工房で力仕事、女は針子か給仕と機械的に割り振られていく。こんなふうに築地でせりにかけられる魚のように右から左に流されていると、かつての奴隷売買はこんな感じだったのだろうかと考えてしまう。
「そういえば、この中に読み書きができる奴がいると聞いたが、どいつだ?」
カイゼル髭のおじさんに問われてわたしが恐る恐る手を挙げるが、こんな小さな子供だとは思っていなかったようで、一度わたしを見て軽くスルーした後二度見した。
「お前が? 冗談だろ?」
厳つい顔をしたおじさんに覗き込まれ、わたしは少したじろぐ。
「……いえ、本当です」
そう言ってわたしは小石で地面に自分の名前を書く。
「これでどうですか?」
上目遣いで訊いてみるが、おじさんは納得せず渋面のままだ。
「いや、その程度ならちょっと仕込めば誰にでもできる。そうだな……今から俺が言う言葉を書いてみろ」
予告もなくおじさんが朗々と呪文のような言葉を唱え始め、わたしは慌てて地面に文字を書き出す。
それは、ユーリス教と呼ばれるこの世界で最も多くの信者を持つ宗教の教義だった。その倫理に厳しく、正義を重んじる教義をひたすら懸命に地面に書き連ねていくうちに、最初は早口だったおじさんの声がだんだんゆっくりとなり、やがて止まった。
「驚いたな……本当に字が書けるのかお前は」
「最初にそう言いました」
わたしが答えると、おじさんはこりゃ一本取られたといった感じでにやりと口の端を持ち上げた。
「お前、歳はいくつだ?」
「八歳です」
「その歳で大したものだ。誰に習った?」
「村長さんに」
村長という言葉に、おじさんはぎょっとする。
「お前、村長の孫か何かか?」
いいえと首を横に振ると、おじさんは怪訝そうな顔をする。そりゃどう見ても農民の子供が読み書きできるなんて、不思議で仕方ないだろう。
仕方なくわたしが村長さんに字を習うことになった経緯を説明すると、おじさんはさらに難しそうな顔をした。
「するとお前、計算もできるのか?」
「ひととおりは」
「算盤はどうだ?」
算盤は小学校低学年の頃に算数の授業の一環で触ったことがあるくらいで、商人が実務で使うレベルとなるとさすがに無理だ。
「基本はわかりますが、それ以上は訓練が必要だと思います」
素直にそう答えると、おじさんは両腕を組んで考え込んだ。だがすぐに腕を解いて「よし!」と両手を叩くと、
「お前の身柄はこのコンスタンチン商会の番頭エルヴィンが預かった」
白い歯を輝かせながら、誘拐犯のようなことを言った。
次回更新は明日0800時です。




