プロローグ
本日より約一ヶ月0800時に連続更新します。
私がブスなのは、自分が一番よく知っている。
職場の上司が二言目には「このブス」と言ってくるので、この人はアニメのキャラみたいにこういう語尾で話す人なんだなと思うようになった。冷静に考えるとパワハラでセクハラなんだけど、ブラックで心身ともにやられていたわたしは、そう思うことでどうにか持ちこたえていたんだろう。
しかしまあ、確かに鏡で自分の顔を見るたびに、こんな女と付き合いたがる男性はいないだろうと思う。
それでもまだ若ければ、可能性はあったかもしれない。
若ければ肌に張りはあるし、体形も維持しやすい。何より女は若いだけで価値がある。
だが三十路も半ばを過ぎてそれすら失ったわたしに、いったい何の価値があるだろう。
登録している結婚相談所では二十五歳を過ぎると男性にメッセージをもらう頻度が目に見えて減り、三十路に入った途端ゼロになった。
それでも贅沢を言わず理想を捨て、相手に求める要望を一つ消してはまた一つ消し、ついには健康な男性であれば何でも良いぐらいまで妥協してなお、わたしと交際を希望する男性はいなかった。
結婚相談所に来るような人は、男女を問わず所謂あぶれ者だ。これまで誰からも選ばれなかった、或いは巡り合わせが悪く希望の人と出会えなかった人たちが藁をも掴むような気持ちで入会してくる。そして職員は人間関係の輪からあぶれた者同士をどうにかくっつけようと、まるで機械の部品のように繋げていく。
この結婚相談所は、登録者同士の交際確定率の高さを謳っていた。
なのにわたしは、このあぶれた人たちにさえも選ばれなかった。
まるで、この世界にわたしは必要ないと言われたような気持ちになった。
誰にも選ばれない、必要とされていないのに、生きている意味なんてあるのだろうか。
もういっそ死んでしまいたかったが、死ぬ勇気も行動力もないので、仕方なく生きるしかなかった。
日本で安楽死が認められていたらなあ……。
「――ばなさん、たちばなさん?」
誰かがわたしを呼ぶ声で我に返った。
目の前には、結婚相談所の女性職員が怪訝な顔をして座っている。
もう何度も通った相談所だ。ベージュの壁紙に囲まれた会議室のような殺風景な部屋は、職員と会員が個別に相談できるように小さくパーテーションで分かれている。
味も素っ気もない事務机のようなテーブルには冷めた紙コップのコーヒーと、男性会員の資料が載っている。
資料はわたしが会員になった当初はファイルになっていて結構な分厚さがあったものだが、今ではファイルにするまでもなく数枚がテーブルにぞんざいに広げられている。
あの資料一枚一枚がわたしの価値だとしたら、今は片手以下ということか。絶望するべきか、まだゼロじゃないだけマシだと喜ぶべきか迷うところである。
「橘恵美さん、聞いてますか?」
「え――? あ、はい」
わたしの曖昧な返事に、女性職員は露骨に不機嫌になる。
仕事とはいえ、土曜日の午前中に私のようなダメ会員の相手をさせられたら怒りたくもなるだろう。
しかし自分がダメ会員なのは理解しているが、今日の面会は私のせいではない。仕事をしている会員のために土日祝日も対応している職場の責任だ。なのでわたしに対して怒るのは半分にしてほしい。
職員の小言を聞き流しながら、視線は彼女の背後にある窓に移す。
朝から曇天だったのが、今ではゴロゴロと雷の気配までしてきた。この分だと、この面談が終わりここを出る頃には雨が降っているかもしれない。一応傘は持ってきていたが、雨は何となく気が滅入るから好きではない。休日なのに誰かに説教されるような憂鬱な日は特に。
面談が終わると、天気はすっかり荒れ模様になっていた。
エレベーターで一階まで降りる。出入り口の自動ドアの向こうに、バケツをひっくり返したような、と言うと少し大げさだが、持って来た折り畳み傘が心許なくなるくらい激しく雨が降っているのが見えた。
あまりの雨量に、外に出るのをためらっていると、空が一瞬明るくなり、数秒後に雷の落ちる音がした。光ってから音がするまで何秒かかっているので、まだ距離はあると思うがそれでも雷は怖い。
だがビルの出入り口でいくら待っていても、この雨は止まないだろう。いい加減覚悟を決めて外に出なければ、いつまで経っても家に帰れない。まあ、帰ったところで誰も待っていないし、予定も希望もないのだけれど。
ともあれ、いつまでもここでぼおっと立っていても仕方ない。どうせぼんやりするなら、自室の方が呆けた顔を誰かに見られないだけずっとかましだろう。
覚悟を決め、雷雨の中に飛び出す。案の定、折り畳み傘は一瞬で雨の勢いに負けて骨が折れ、その役目を果たさなくなった。
もはや頭しか雨から守らなくなった傘を手に、懸命に駅へと向かって走る。だがぽてぽてと走るわたしをあざ笑うかのように、赤信号が行く手を遮った。
「はあ……ついてない」
溜息が出る。一度足が止まると、遅いなりに懸命に走っていたことが馬鹿らしくなり、もう何もかもどうでも良くなる。どうせ頭以外はびしょ濡れなのだ。今さらどう足掻いたところで結果は同じ。そう思うと、もう頭しか守らないこの傘も無駄に思えてしまう。
そうして信号が青に変わるのを諦観しながら待っていると、空が一瞬眩しく輝き――
わたしの意識はそこで途切れた。
この後0900時にも更新します。