第5話 『鬼が出るか蛇が出るか』
翌日早朝、またしてもノックスとアカネさんの距離が縮まっている。
昨日の状況をおさらいしよう。席に着いたノックスの隣に、アカネさんが無断でクラスメイトの机をくっ付けて、お隣さん同士といった感じで収まっていた。
これでも近い。人の婚約者にしていい距離感じゃない。だが今日はその上をゆく。具体的にはノックスの席に自分の椅子を持ってきて、ひとつの机に並んで腰かけていた。対面じゃなくて、横にである。
「……近い近い近い」
そんな2人の姿を目に入れて、登校してきたばかりのあたしは思わずグギギと歯噛みしてしまった。近いというか、べったり肩がくっ付いている。
他の女子勢は既に教室の後ろに固まって、コソコソ話をしている。「ハートかわいそー」なんて声も漏れ聞こえてくる。どうやらクラス内でのあたしの立ち位置は、婚約者を取られそうな悲劇のヒロインで固定されてしまったようだ。
無数のウォッチャーに監視されるという、針の筵のような授業時間を終えて、あたしは昨日と同じ場所に向かった。
あれ、鍵が開いてる。
ひょっとしてもう、ジムが来てたりするんだろうか?
引き戸を開けると、あにはからんやジムが脚本と睨めっこしている。
「……あ、ハート」
気づくとこちらに顔を向けてきたので、手を振って近づいた。
「早いのね。真面目なのはいいことよ」
「授業がたまたま早く終わっただけだよ。真面目だなんて、そんな……」
随分とわけのわからないタイミングで照れるのね? ま、いいか。
「そんなことより腹式呼吸の練習はしてきた?」
「力の入れどころはね。寮内じゃ大声出せないから」
「ここじゃ我慢しなくていいよ。完全防音で、いつもは放課後に演劇クラブの面々が大声で練習してるそうだから……どうかした?」
ジムが口を開けて愕然としていたので、あたしは下顎に人差し指をくっ付けて首を傾げるはてなのポーズを取った。
「いつもはってどういうこと? 演劇クラブの人たちは?」
「さあ? ヨソで練習してんじゃない?」
「いや、ヨソでって……ふつう2日連続で部室開けることなんてないでしょ」
あーなるほど。そういう感じね。
だいたい悟ったあたしは、自分で自分を指差して見せた。
「あたし、公爵令嬢。婚約者はこの国で一番の王子様」
「け、権力を散らつかせたの!?」
「失礼だな。しばらく部室を貸してって言っただけだよ。そしたらクラブ長がずっと使ってくれていいですってサービスしてくれたの」
「やっぱり権力の濫用じゃないか!!」
などと言って頭を抱えるジムではあったのだが、そう思うならさっさと演技を向上してもらいたいものね。
「ジムこそクラブの方はいいの? 忙しいんじゃなかった?」
「そりゃまあ忙しいけど……風魔法で飛ばす模型飛行機の作成なら、寮に持ち帰ってやれないこともないから」
あー、飛行機とか車とかって、男の子は好きだよね。
イマイチ良さがわからない……少女小説読んでた方が楽しくない?
「まあでも、あんまり負担かけるのも本意じゃないし、今日は早めに切り上げましょうか。じゃあジム、腹式できてるか見ててあげるから、やってみて」
それから30分、あたしはジムに発声法をみっちり仕込んだ。
触感としては、徐々に声が出てきてる感じかな?
「……お疲れ様。今日はここまでにしよっか」
「早すぎない? まだ始めたばかりな気がするんだけど」
「ちょっと行くところがあってね。もちろん、あんたも一緒よ」
パチッとウインクして、有無を言わさずジムを連れてとある場所に赴く。
女子寮の庭。そこにはしかつめらしい顔をした、見知った顔が待っていた。
場所が場所だけにソワソワするジムが、真っ先に声を出した。
「ええっと、あなたは……」
「マリヤ。そこにいるお調子者のルームメイトだよ。事前に話は聞いてる。あなたがジムだね」
よろしく、とお互いに頭を下げ合ってから、マリヤはあたしに鋭い視線を飛ばしてきた。そして――。
「あんたさあ、本当にこの子巻き込むつもり?」
「他に候補がいないんだから仕方ないじゃない」
「計画から見直してみたら。ノックス王子ともちゃんと話をして……」
「お邪魔虫の役なんてやんないもん」
「あんたねえ……」
ふはあっと、気疲れのように溜息を吐くマリヤ。
だけどあたし的に、ここは譲るつもりはない一線なのだ。
「まあいいや。それで? 私に手伝ってもらいたいことってなによ」
「ちょっと待っててね……はいこれ」
懐をゴソゴソやって取り出したものとあたしを見比べて、マリヤが首を傾げた。
「はさみ? これ使ってなにしろっていうのよ」
「ジムの髪の毛切って」
「はあ!? なんで私が!?」
思いっきり嫌な顔をするマリヤなのだが、計画遂行のために譲ってはならない場面である。パチンと顔の前で手を合わせて、全力で懇願にいく。
「お願い! メイドには頼めないの! パパやママにバレたら全部おじゃんになっちゃうから!!」
「だからって私に頼む? あんたが自分で切ったらいいでしょうが」
「自慢じゃないけど、あたしが切ったら前衛芸術ができあがっちゃうよ?」
うっすら片目を開けると、視界の隅でジムの身体がぶるりと震えた。自分がどんなアヴァンギャルドな髪型になるのか想像したのだろう。でもって、それを見たマリヤが深い溜息を吐く。
「わかったよ。ジムくんのこと引きこもりにするわけにはいかないからね……」
「やったあ! やっぱり持つべきものは親友だね!!」
「勘違いしないでよ。ひとつ貸しだから」
マリヤはジムに向き直ると目を細めた。
「なるほど、ハート好みだわ」
「え? それってどういう……」
「身長高い男がいいのよこの娘は……ハート、このままじゃ座っても手が届かないから、なにか台になりそうなもの持ってきてくれる?」
「ほいさほいさ」
マリヤに従い、あたしはその辺からそれっぽいものを調達してきた。
事前に用意していた椅子にジムを座らせ、上からケープを被せる。
「先に言っとくけど、私も初めてだからどうなるかわからないよ」
「大丈夫大丈夫。それなりの見てくれになってくれたらいいから」
「あんたじゃなくてジムくんに言ってる……で、どうなの?」
マリヤが水を向けると、緊張するジムが前を向いたまま答えた。
「あのぅ……そもそも僕、なんで髪を切られようとしてるんでしょうか?」
「婚約破棄の場に居合わせるなら、身なりくらいまともにしとけってことでしょ。バレたら止められるから故郷から連れてきたメイドには任せられないし」
とここまで答えて、マリヤはジムの後頭部に回った。
足場用の台に乗って、ふんふんと仔細を観察する。
「それにしても伸び放題のボサ髪……ジムくん、初対面の女が言うのもアレだけどさ、もうちょっと髪型にくらい気を使った方がいい。学院は学びの場であるとともに、出会いの場でもあるんだから。互いに想い合う恋人同士が結ばれるなんて、学生時代を除いてそう機会はあるものじゃないんだよ」
などと、お姉さんぶってアドバイスするマリヤはなんとも板についていた。
でもこれ、自分のこと棚に上げてるよね? 全力で棚に上げてるよね?
あたしはニヤニヤしながら2人を見る。マリ姉……アリ寄りのアリかも。
マリヤははさみを構えると、ジョキジョキと頭頂部の髪から切り始める。性格が出ているらしく、手つきに迷いはない。全体を切り終えるとざっと概観し、台を横に移動して今度は側面を切り始める。片側を終え、もう片側も終える。
「うまーい。本当は初めてなんて嘘でしょ」
「嘘じゃないよ。まあ失敗はしてないけど」
鏡を置かずにやってたので、自分を髪が見ることができないジムがほっと安堵の溜息を漏らした。
「じゃ、お待ちかねの正面」
ジムの髪は伸び放題の上、伸びると癖が出るタイプだったので、マリヤは髪を掴んで引っ張ってからはさみを入れていた。全体の7割方を終えたところで、小休止してあたしを見る。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……ねえハート、あんたが連れてくるくらいだから、この子って結構男前なんでしょ?」
ジムとは親戚かつ幼馴染みの間柄である。前髪に隠れてる人相も、事前に把握済みだとマリヤは思ってたみたいだけど。
「ぶっちゃけ覚えてない。遊んでたの5年も前だし」
「ジムくんには悪いけど、偽恋人やらすなら整ってないとダメじゃない?」
「そこはそれ、タッパはあるので。昔と比べてつくしみたいにニョキニョキ伸びててくれたから、それ以上の贅沢は言わないよ」
目の前で先輩女子2人に値踏みされ、若干縮み上がるジム。
あたしとマリヤはさらに顔を近づけて、運命の時に備える。
「……んじゃ、切るよ」
「うん」
固唾を飲んで見守る先で、マリヤのはさみがショリっと前髪を落とした。
下から出てきたのは……エメラルドグリーンの澄みきった瞳。
「うーわ、マジか。ベタとこド真ん中じゃんこれ」
「じ、ジムの顔ってこんなんだっけ!?」
揃ってドン引きするあたしたちを前にして、エメラルドグリーンの瞳が不安げに歪んだ。
「え? 2人ともなに!? 僕の顔なんか変なの!?」
「いや、変っていうかさ」
「必要十分っていうか、オーバーキル?」
ショックのあまり、ちょいとばかし語彙が変になるあたしである。
残りの髪をマリヤに整えてもらって、とりあえずこの日はお開きとした。