第4話 『やられる前にやれ!!』
「……うぅ……くぅ……」
それからしばらくして、あたしは廊下を歩いていた。前はよく見えない。
涙腺から止めどなく溢れる涙が眼前の光景を歪ませてしまっている。
「ねえ、いい加減泣きやんでくんない?」
隣からは、ジムがデリカシー0の要請を飛ばしてくる。
「女の子が泣いてるときにそんなこと言うなんて、サイテー」
「そ、それはごめん……じゃなくてさ、僕が泣かせたみたいに見えるから」
そう言えばさっきからキョロキョロと周囲の様子を窺ってたっけ。
「なに、そんなに自分のイメージが大事?」
「魔法研究科は男所帯なんだよ。女の子と一緒に廊下を歩くだけでもやっかまれるのに、泣かしたなんて知れ渡ったらクラスで吊るされてしまう」
そんなの知らないし、とちょっと思わなくもないけど、巻き込んだのはこっちか。
「……わかった。ちょっと待ってて」
制服のポケットからハンカチを取り出すと、ズビズバ鼻をかんだ。
端っこで目元も拭いて、これで一応泣いていたとはわからないはずだ。
「はい、言った通りにしたよ」
「あ、ありがとう」
「ところでだけど、ジムはさっきの2人のことどう思う?」
泣きやみついでに早速切り込むと、ジムは困った風に頭を振った。
「忌憚のない意見を言わせてもらえば、悪い雰囲気じゃなかった」
「まだ歯に衣着せてるよね?」
「ええと……僕にも恋人同士の距離感に見えた」
それ見なさい言ったとおりでしょ、と胸を張ってえへんとしてやりたいけど、ここで開き直ってもあたしがみじめになるだけである。
「あたしに婚約破棄してきそう?」
「わからない。けど、このまま仲が深まったら、なんらかのアクションを起こす可能性はあると思う」
なんらかのアクション。父王と王妃への直訴。私はハート・リッシュモンではなくアカネ・トライネンのことをを愛してしまったのです。父上、母上、どうか私にハートとの婚約を解消し、アカネとの間に婚約を結び直させてはもらえないでしょうか。
「……言いそう」
「え?」
「あ、いや、こっちの話」
指で顎に触れながら、あの真面目くんならやるだろうな~と納得した。
「それで、君はこれからどうするの?」
それはあたしのことを心配しての質問に聞こえたけれど、あたしとしてはまったく別の箇所が気にかかる。
「さっきからその『君』っていう呼び方、どういうつもりで使ってるわけ?」
「え? だって昔みたいに呼ぶわけには……」
「あたしは別に構わないけど? ハー姉って呼べばいいじゃない」
「そ、それはちょっと……」
ジムの頬が見る見るうちに朱に染まってゆく。
なに? これってそんなに恥ずかしいこと?
「年齢的にはかなりアウト寄りだと、個人的には思うんだけど」
ハッキリしない言い方だな。だけど協力者がそう言うんなら、こっちも少しは寄せなきゃならないか。
「ハート様、ハートさん……こんな感じでどう?」
「距離感的にどっちも言いづらいかな。ハート嬢は?」
「関係性が上下に離れすぎ。それに後輩はそっち」
「ううん、じゃあどうしよう……」
うだうだ悩んで埒が明かなくなったので、バチっと決めてあげることにした。
「呼び捨てでいいよ。ハートで」
「本当に!?」
なんでちょっと嬉しそうなんだ? 言わないけど。
「ならお言葉に甘えて……ハートはこれからどうするつもりなの?」
「とりあえず、計画を次の段階に進ませようと思ってる」
「計画って?」
「ノックスのことは、諦める」
急にジムが足を止めた。行きすぎたあたしは振り返る。
「なによ?」
「あ、諦めるって、まだなにもしてないのに!?」
「だって、2人ともデキてんでしょーが」
「いやまあ、たしかにそう見えはするけど……」
ゴニョゴニョ言ってるジムだけど、あたしは恋する2人のお邪魔虫をやるつもりはないのだ。
「そりゃああたしがノックスに恋に恋してたら別だけどさ。所詮親同士が決めた結婚でしょ。他に好きな女の子ができたっていうなら、足にしがみついてまで自分の物にしたいなんて思わないよ」
「か、変わり身早すぎでしょ!? 僕がどれだけ悩んで……」
悩み? よくわかんないけどジムはぐっと両の手を握りしめた。
「力を貸してほしいんだろ。僕はなにをしたらいい」
おっといきなり話が早くなってくれた。いい傾向ね。
「それじゃあ本題に移りましょうか。ジムには……」
こうしてあたしの計画は第2フェイズに移行したのだった。
目に余る、とはこういう状況を指すのだろう。
翌日、ノックスとアカネさんの距離感は、やたら近くなっていた。近くなっているというより、密着していた。あたしが登校すると、いつも早出してくるノックスの隣には既にアカネさんがいて、一緒に勉強するという体で大変イチャコラしてくれちゃっていた。
アカネさんは元より、ノックスもそれで大義名分が成り立っていると思っているらしく、クラスメイトがいてもお構いなしに威風堂々としている。
で、そんな2人をジト目で見て頬を膨らませているのがあたしだ。さらにはバカップルどもとあたしを遠巻きに見ているのがクラスの女子勢であり、いつしかあたしたちはこのスキャンダルの中心人物となっていた。
授業終わりのチャイムが響くと、早速に女狐が動きを見せる。
「ノックス王子、今日も私の勉強を見てもらえませんか?」
「生徒会の方で申請がある。図書室で少し待っていてもらえないか」
「はい!! 楽しみにしていますね!!」
ウキウキ、といった感じでアカネさんが教室を出る。
そんなアカネさんの背中を、しあわせそうに見送るノックス。
「ペッペッ」
唾を吐く振りをする。いくら割りきったからって、こういうのは見てて気持ちの良いものじゃないのよね。
2人がいなくなるのを待って、あたしも教室を出ていく。女子勢は同情してくれてるけど、それはそれとしてあたしもウォッチング対象だ。彼女たちの心配する声に全部答えていたら、その内容が学院内に筒抜けになってしまう。
約束の場所に到着すると、先にジムがきていた。
確認事項を早速たしかめることにしましょうか。
「昨日貸した本、ちゃんと読んでくれた?」
「い、一応」
「じゃあこれからあたしの身になにが起こるか、ちゃんと把握してくれたよね」
念押しすると、こちらに本を返すジムが煮え切らない態度を見せる。
「公衆の面前で婚約破棄を突きつけられる……ってこの本には書いてあるけど、そんなの本当に起こったりするの?」
なんということでしょう、あたしが貸した名作少女小説を読んで、そんな感想が出てくるなんて。
「起こるよ。みんなの前で恥を掻かされる」
「あのノックス王子がそんなことする?」
「親に婚約解消が通らなかったら、するでしょうね……」
あたしはフッと鼻息を漏らし、遠い目をして言った。こと婚約破棄に関しては、プロフェッショナルと同等の知見を持っていると考えてください。
「というわけで、はいこれ」
「なにこれ」
「昨日言わなかった? 脚本書いてくるからって」
ジムが冊子をペラペラとめくる。
顔色が赤くなって、青くなった。それから――。
「ひとつ質問いい? これ本当に僕が言うセリフ?」
「一字一句頭に叩き込んでちょうだい。徹夜して練り上げてきたんだから。今後一切の変更はありません」
両手を腰に当てて断言し、早速に本読みに入らせる。テイク1。
「ド、ドウカオレノハナシヲキイテクレナイカ。オレハハートノコトヲアイシテシマッタ。コノオモイハトド、トド……」
「はいカーット!!」
あたしは丸めた自分用の脚本で、べしっとジムの頭を殴った。
痛打はしていないのだが、殴られたところを痛そうにさする。
「あのねえ、棒にもほどがあるでしょ!!」
「え、演技なんてやったことないんだし、仕方ないじゃないか!!」
「ブツクサ文句垂れない。次行くよ、次」
テイク2。
「……コノムネニヤドルアイノホノオハモウキエソウニナイ。ノックスオウジ、ドウカオレニウツクシキヒメヲアイスルケンリヲオユズリイタダケナイダロウカ」
「まだカタコトね。もっと自然な感じで読めないの?」
丸めた脚本を手に持ちながら腕を組み、鬼演出家ハート様は言った。
「自然にって言うけど、これいちいちセリフが臭くない?」
「臭くない」
ブスっとしつつ言ってやったのだが、納得できないジムがページを繰る。
「ゴテゴテしいんだよ。装飾過多っていうかさ。好きな女の人のことを姫とか、そんなの学生身分で言ってるの聞いたことないし」
「うるっさいなあ。そこを自然に見せるのが役者の仕事でしょ」
パパとママに連れられて恋愛歌劇は何度か観にいったことあるけど、別に不自然さとか感じたことないもん。
「そもそもさ、婚約破棄を仕掛けられそうだからって、先に婚約破棄を仕掛けるなんて対処法ある? それも偽の恋人を連れてさ」
「恋人を連れてくからこそ説得力があるんじゃない。愛故に、人は間違わなければならぬ。その間違いは普遍的で、人々の心に響くものよ」
あたしがムスッとしながら知ったような口を利いていると、脚本から視線を上げたジムがなにか物言いたげな視線で見てくる。
「なによ。言いたいことがあるならハッキリ言って」
「いや……他に協力者とかいなかったのかなって」
「ん? どゆこと?」
「キャスティングとして、僕がハートの恋人役で本当に良かったの?」
なるほど、その辺の小骨がノドに引っかかってたわけね。
「考えなしってわけじゃないよ。他クラスの男子には頼めないし」
「高位貴族の子息に、嘘の片棒は担がせられないもんね……」
まあそういうことだ。後で色々と揉めごとが起こる。100起こる。
「それにジムは親の付き合いが生きてる親戚だしね。あたしになにかあったら、そっちにも飛び火するから裏切りようがないでしょ」
「こ、怖いこと言うなあ……」
若干引いて、まだなにか悩んでる風にボソボソと口を開いた。
「それでもさ、本当に僕なんかでいいの?」
「うん?」
「女の人ってさ、連れてる男性で評価される部分とかあるでしょ」
おっと、意外と目敏い部分に気づいてくれたね。さすが秀才、なのかな?
「あー、その辺はあたしに考えがあるから心配しないで。ジムは自分の演技に集中しよう。とにかくそのボソボソ喋りはよくないから、腹から声出す。わかった?」
初日の練習は、結局ジムに腹式呼吸を叩きこむことに終始したのである。