第2話 『ピンク色の台風』
……また、寄っていっている。
はっきりと目に余る態度だった。あたしたちの通う貴族学院は男女共学で、学院内にいる婚約者たちもごた混ぜでクラスが編成されている。あたしとノックスも同じクラスにいて、2人が婚約を結んでいるのは周知の事実だった。なのにそれを無視している。
男爵令嬢アカネ・トライネンさんが制服の胸元を緩めながら、またしてもノックスの席へと歩み寄っていった。気配を察知したノックスは顔を上げると、アカネさんのあられもない姿を目撃して、慌てて視線を下げる。
「あ、アカネくん!! 君ってば、なんたる恰好を……!!」
「あらーん? 少し胸の辺りが窮屈で、緩めただけですわよ?」
「ええい、こちらに見せつけるでない!! ともかく、他の男子生徒の目もある!! 即刻元に戻してくれたまえ!!」
慌てふためくノックスを尻目に、アカネさんはさらに胸元を寄せて強調し――。
「……じゃあ、あなたが戻してくださる?」
娼婦かよ。
あたし含め、クラス内にいる全女子勢のブリザードより冷たい視線がアカネさんに突き刺さった。
がしかし、当人は涼し気な顔をしたままだ。無数のジト目を受けきって余裕の笑みすら浮かべている。この人のツラの皮は何千キロだというのか。
「くっ、うぅっ……そんな卑猥なことができるわけなかろう!! 今すぐにでも戻さないと、生徒会長の責任として、教員へ報告せねばならなくなる!! そうしたら、君は停学処分に処されることになるのだぞ!!」
腕で目を覆いつつ言った、停学という言葉が効いたらしい。
アカネさんは胸元を閉じると、おもしろくなさげに唇を尖らせた。
「戻したので、もうこちらを見てくださって結構ですよ」
「くっ、そんな嘘で……本当だった。アカネくん、制服が小さいのであれば、こちらで再採寸を頼んでおくが」
「結構ですわ王子様。それに、少し悪目立ちもしてしまったようです」
そう言ってアカネさんは、こちらにウインクを飛ばしてきた。呆然とするノックスと、あたし含む女子勢とをその場に残し、颯爽と移動教室へと向かったのだった。
アカネさんの暴走はそれからも続いた。どちらかと言えばこの後からが本番だったと言える。授業と授業の間の休み時間、昼休憩、放課後など、少しでも時間があればノックスの席までやってくる。そしてふしだらな恰好をして見せたり、甘ったるい声で煽ったり、スキンシップをしようとしたりと、人の婚約者に好き放題やってくれちゃっていた。
「ねえハート、いい加減アカネさんになにか言ってやった方がよくない?」
今のアカネさんの振る舞いは目に余る。そう思うのはクラスの女子勢も同じらしい。
一応はノックスの婚約者であるあたしに向けて、そんなアドバイスをしてくるようになった。
「わかってはいるんだけどね~。なんか言いづらくて」
「わかる。なんか怖いよねアカネさん」
「逆にノックス王子には声かけてみた? 避けるように進言すべきだよ」
「ええと……それはね、実はもう言ってる」
そして二つ返事で断られたのである。まる。
「生徒会長として、風紀を乱す服装は捨て置けないって」
「そんなこと言って、ヤラシー目で見てんじゃないの? ……あ、ごめんハートの婚約者なのに」
「いいよ別に。そういう風に見られるのも仕方ないしさ……」
正直に言えば、ショックだった。ふだんのノックスは生徒会長の称号に恥じない、真面目一徹の性格なのだ。遊びやあたしとのデートより、自分の勉強や各種委員会活動を優先する、次代の王らしい振る舞いをしていたのに。
「でも……信じてるからね、ノックス」
あたしは胸に手を当てて、幼少期からの婚約者を信じることにした。
それからも、アカネさんの猛攻は続いた。空き時間には必ずと言っていいほどノックスに近づき、あの手この手で注意を引こうとしてくる。
こうなるとさすがにあたしからも注意せざるを得ない。面と向かって「人の婚約者にコナかけないでくれる」と物申したこともある。しかしアカネさんは余裕げな様子で無視をくれると、ぷいと首を振ってどこかに行ってしまった。無視した挙句、ぷいて。
「ねえ、ノックス王子」
「なんだねアカネくん、君はまた……あれ、今日は規定に則った服装ではないか」
「そうですよ。私、心を入れ替えたんです」
休み時間、そんなやりとりが聴こえてきて、あたしは声の方を見た。
これまでド派手な着崩しで娼婦みたいな恰好をしていたアカネさんが、今日は校則遵守の服装をしている。違反項目であるウェーブをかけていた髪まで戻し、ちゃんとバレッタを使って後ろ側に留めていた。
「わかったんです。校則は、生徒を守るためにあるんだって」
「アカネくん……そうか! わかってくれて私も嬉しいよ!!」
ノックスは瞳を潤ませて、猛烈に感動していた。
この機逃さず、といった感じでアカネさんが後ろから手を回してくる。
その手が持っていたのは、筆記具に教科書とノートだ。
「それでね、私これから勉強もがんばろうと思うんです。今まで真面目に授業を受けてこなかった分、遅れを取り戻さなきゃって思って……よければ王子、私に勉強を教えてくれませんか?」
――やられた、と思った。
男には弱いものがある。それは女の子のギャップだ。
アカネさんは今まで娼婦同然の恰好と振る舞いをしてきた。言わば淫乱ピンクだった。その淫乱ピンクが今、偽りの衣を脱ぎ捨てて、真面目に戻りたい健気な女の子の姿を前面に押し出してきた。
これは相手が真面目くんであればあるほど特効の演出。
案の定、ノックスが目をキラキラさせてアカネさんの手を取った。
「もちろんだとも!! 私に力になれることなら、なんだって言ってくれたまえ!!」
あたしは思った。
――ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!