第11話 『婚約を破棄するということ(下)』
「動くな!!」
頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。面食らったのはあたしだけじゃない。礼拝堂跡に集った全員が息を呑み、声の方向へと注意を向けた。
「全員、そこから少しでも動きを見せてみろ! 躊躇わずに撃つ!!」
破れた窓の隙間から差す光が、埃とともにその輪郭を朧気に描き出す。
階上にジムがいた。ボウガンを構えて、こちらに向けて狙いを定めている。
「あー、今日は厄日か? 生っちょろい貴族のガキめが……」
首を捻ると、兄貴分が不機嫌そうに頭を掻くのが見えた。
「威勢のいい坊ちゃんだな。本当に人なんて撃てんのかよ」
「撃つさ!! ハー姉のためなら僕はなんだってできる!!」
叫び返すジムに、あたしの胸の奥がじんわりと温かくなる。
安堵とうれしさのあまり涙腺が緩んで、涙と鼻水が止めどなく出てくる。
「ジム~」
「待ってて!! 絶対に僕が助けるから!!」
必死に励ますジムの姿を見て、あたしは感じ入った。そうだ。この子はもう、あたしの記憶の中にいる従弟じゃなかったんだ。5年の歳月で伸びたのは身長だけじゃなくて、いつの間にか内面も立派に成長していた……。
「あ、アニキ、ボウガンはヤバいですぜ」
近寄ってきた弟分の言葉に、兄貴分も渋面を作る。
「用意周到ってレベルじゃねえ。あんガキ、ここでずっと張ってやがったな」
「こ、こうなったらズラかるしかねえですぜ!!」
「焦んな! たしかに飛び道具相手は形勢不利だが……いや待て」
と、なにかに気づいたように怪訝な声を出す兄貴分である。
「あいつ、ボウガンに矢をつがえてねえぞ」
「そんなバカなことが……うわマジだ!?」
ならず者2人は唖然とし、その言葉を聞いてあたしも唖然とした。
いやまさか、ことここに至ってそんな凡ミスをやらかすとか……。
「うわっ!? 矢がない!!」
えー!?
「ノブ、上に回れ。野郎を捕まえてここに連れてこい」
「合点承知でさあ!!」
弟分は走って階段を上り、ジムの首根っこを引っ掴んで戻ってきた。
「んじゃ、適当に砂にしとけ」
ジムは弟分に殴る蹴るの暴行を受けた。魔法研究科は貴族科と違って、カリキュラムに剣術と体術が入っていない。格闘となれば、貴族科の女子にすら後れを取るほどのもやしっぷりを見せる。
「なんだコイツ、全然見かけ倒しじゃねえか」
「伸びたらそこらに放っとけ……いや、ちょっと待て」
あたしの背中から圧迫感が消える。兄貴分が立ち上がり、ジムがうつ伏せに倒れている地面にしゃがみ込み、前髪を掴んで引っ張り上げた。
「慣れねえことはするもんじゃねえなあ、坊主」
「くっ……ハー姉を解放しろ」
ドカバキッと殴打音が連続して、思わず目を瞑った。
ジムが顔を殴られたのだ。
「立場考えて物言えよ。でもま、お前が来てくれて助かったわ」
ジムの前髪を離して立ち上がると、兄貴分はあたしに向き直った。
「俺も兄弟いるからわかるんだよ。弟は可愛いもんだってな。あんたはどうだ? こんだけ懐いてくれる弟なら、さぞや大切に思ってんじゃねえのか?」
その物言いはあたしたちの関係性を誤解している。でもそこは問題じゃない。
「取引を提案する。あんた、これ以上弟を殴られたくなかったら、素直に服を脱げ」
「ハー姉、聞いちゃダメだ!!」
「テメエは黙ってろ!!」
ジムの顔がまた殴られる。口の中が切れて唇の端から血が垂れた。
「や、やめて!!」
「おりこうさんのお嬢さん、ならどうすっかわかってんよなあ?」
「…………」
あたしは無言のまま立ち上がった。衣服に付いた埃を払い、乱れた髪に手櫛を入れる。それから、意を決して制服のボタンに手をかけた。
「ハー姉!! やめて!!」
ジムの悲鳴が聞こえても、もうあたしは止まらない。
「その前に約束して。ジムには絶対に手を上げないって」
「こっちは円滑な仕事の遂行にしか興味はねえ。手ずから服を脱いでくれんなら、殴りつけて脅す手間も省ける。そのための取引だ」
「……信じるよ」
ボタンに指をかけ、服を脱ぎながら思う。
あたしはなにをしてるんだろう。今、弟分に組み伏せられているジムは巻き込まれただけだ。あたしが巻き込んだ。婚約破棄の場に連れていく偽恋人の役を無理にやらせようとした。それを断って、でも届いた手紙の不審さに気づいて、ジムは約束の場所に潜んで密かに見守っていてくれたんだ。
今ならわかる。あたしはきっと、どこか遊び半分だった。
少女小説の世界の主人公になったつもりで、この状況を楽しんでいた。
ノックスのことを信じていた。アカネさんだってこんなことをする人だとは思わなかった。自分の色恋のために、人を陥れたりなんてしないって。
でもそうじゃないんだ。王侯貴族の家同士の繋がりはお遊びじゃない。そこには多くの人たちの思いが関わっていて、多くの人たちの明日が掛かってる。当人たちの意志で軽はずみに破棄したり解消したりできないようになっている。
だから、ノックスもアカネさんもここまでしなくちゃならなかった。
あたしは、自分の立場にあまりにも自覚がなさすぎたのだ。
「これは、罰なのね……」
ひとつずつ、胸元のボタンを開ける。
制服の上着を脱いで地べたに落とし、次はブラウスのボタンに手をかけた。
指が震えて上手くいかない。あたしは指先で何度もボタンを掴もうとして――。
ドォン、というなにかが強烈に爆ぜるような音を背後に聞いた。
「え?」
反射的に振り返る。
嘘、あれだけやって開かなかった扉が開いてる……?
扉の向こうから差し込む光が網膜を焼いて、あたしは数秒の間目を細める。
強い光にも徐々に慣れて、その輪郭が明瞭になっていく。
逆光に浮かび上がるシルエットは人のものには見えない。
というよりも、あれは――。
「……白馬に乗った、王子様?」
自分で言って驚いてると、馬上の人物が手綱を操作した。
「ハイヨー!!」
勇ましい掛け声とともに急加速して馬ごと礼拝場跡に入ってきたかと思えば、ジムを組み伏せていた弟分の横腹に馬の蹴りを見舞わせた。
「ぐーおっ!!(ぐーおっ!!)(ぐーおっ!!)」
何故だか3回棚引く悲鳴を上げて、彼方に吹っ飛んでいく弟分。
馬上の人物は馬を止め、反転させてあたしたちへと向き直った。
「……ノブッ!! テメエ、いったいナニモンだ!!」
暗がりの側にいるその人物の顔を、このときあたしも初めて見た。
乗馬服を纏ったその人物は、目元をマスクで隠している。
「悪党に名乗る名など持ち合わせていないな」
「ヘッ、恰好付けやがって、怖くて馬から降りらんねえ癖によォ!!」
「安い挑発だな、だが乗ってやる」
マスクの人物は白馬から華麗に飛び降り、腰の鞘からレイピアを抜き放った。
兄貴分は懐から取り出したダガーナイフを逆手に構える。
「スラム仕込みのナイフ術か」
「ご名答だぜェ。あんたの返り血で錆ができちまうかもなァ!!」
「心配には及ばない。ありえないことを心配するほど暇じゃないのでな」
マスクの人物は、優雅な所作でレイピアを構えた。
兄貴分もまた、独自の構えを取ってそのときに備える。
交錯は一瞬だった。利き腕を後方に伸ばして溜めを作った兄貴分がまずは突っ込み、それを受けるかたちでマスクの人物が剣先を回転させる。視認できない高速度で互いに反対方向へと擦れ違って、踵を返し構え合う。
「俺と五分かよ!! あんたデキやがんなァ!!」
「いや……君の方が一拍遅い」
ひゅっと風を切ってレイピアを振り下ろすと、兄貴分のズボンがすとんと落ちた。
「おお!? な、なんだァ!?」
「どうせ脱ぐつもりだったんだろう。手間を省いておいた」
「なッ!! て、テメエ!! ……ぐあっ!?」
奥へと向かうマスクの人物を追いかけようとして、ズボンに足を取られてすっ転ぶ兄貴分。
「ち、チクショウ。覚えてやがれ……」
その負け惜しみも含めて、絵に描いたような展開だ。あたしはさっきから圧倒されっぱなしで息を呑んでいる。というか、腰紐を切ってズボンを落とすやつ、あれって本当にできるんだ……。
などと驚いていると、前方でノックス王子が剣を抜き放った。
「よもやまたしても助け人が現れるとはな。これも定めと受け入れよう。ヴァレンタインの名において、貴殿に決闘を申し込む」
その言葉を受けて、マスクの人物がピタリと足を止めた。
剣先を下方に向けたまま、レイピアを構えようともしない。
「どうした? 私如きに後れを取る腕前ではあるまい」
「ノックス王子、あなたにヴァレンタインの名を名乗る資格はない」
「なんだと!?」
「ただの決闘なら受ける気でいた。だが、家名を穢す輩を相手取るとなれば……こうだ」
マスクの人物がパチンと指を鳴らすと、後方に控えていた白馬がにわかに走り出し、飛び上がったその足でノックスの顔を踏みつけた。
「ひでぶッ!?」
弟分と同じようにノックスの身体も吹っ飛んでゆく。壁に後頭部をぶつけると、ずり落ちるようにして尻餅を突き、その場から動かなくなった。
「さて、残るはだけど……」
マスクの人物が首を捻ると、視線の先にいるアカネさんが後退る。
段になっている足場に足を取られながら、どうにか壁際まで後退した。
「是非聞きたいね。どういうつもりで、こんな大それたことをやったのか」
「そ、そんなの、あなたには関係ないでしょ……」
「好奇心は誰にでもある。犯罪を看過できなかった私にもね」
犯罪、という言葉にアカネさんが息を吞み込んだ。
キッと眇められた瞳が、しゃがみ込むあたしに突き刺さる。
「ハートさんが悪いのよ。私の邪魔なんてするから……」
「親が決めた婚約だ。彼女のせいなんかじゃない」
「それでもよ!! もう少しでノックスと一緒になれるはずだった!! そしたら全部が上手くいくはずだったのに!!」
涙ながらに叫ぶアカネさんに呆れたように、マスクの人物はふうと溜息を漏らした。
「そうか。よーっくわかったよ。あんたの言う全部っていうのは、あんたとあんたの周囲にしかないってことがね……」
目の縁に涙を溜めるアカネさんを見下ろすように、その正面に向かって立つ。
そして――。
「んなつまらねえことで、私の親友に手ェ出してんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!!!」
固めた拳を頭上から振り降ろし、ガコッっという特大の音が響き渡った。
思わず目を瞑って、開けると、アカネさんがぱたりと倒れているのが見える。
「っつー。痩せてる女の頬は角ばってやがるもんな……もうちょい太っとけっての」
ブツクサ文句を垂れて、殴った手を振りながらこっちに歩んでくる。
マスクの人物のそんな姿を見て、あたしの胸の奥で緊張の糸が切れた。
立ち上がり、歩み寄ってくるマスクの人物に向かって一目散に駆ける。そして思いっきり抱きしめると、その肩に顔を埋めた。
「ま、マリヤぁ~!! こ、こわかったよう~!!」
「ちょっと、名前……せっかくマスク付けてきたのに、この子ってばもう」
「うわああああああああああああああああん!!」
こうしてあたしは礼拝堂跡に響き渡るくらい大声で泣いて、マリヤはマスクを上げながら背中を叩いてあやしてくれて、半泣きで駆けてきたジムとも無事に合流して、このまるで少女小説みたいな事件はいったんの幕を引いたのだった。




