第1話 『ハートは少女小説がお好き』
「カッコいい……」
あたし、ハート・リッシュモンは感動していた。
視線の先には、貴族学院の令嬢たちの間で流行している少女小説がある。
ラッセルビア王国第一王子カート・ラッセルビアと、その不義の恋人である男爵令嬢メルモ・エルステンド。2人の関係はまさに割れ鍋に綴じ蓋。平和な魔法学校の中心に巻き起こる、性格最悪暗黒竜巻と言える。
その爆心地から程近い場所にいるのが、公爵令嬢プリム・ドルチエ。カートにとっては幼い頃からの婚約者で、目の上のたんこぶ。そりゃそうだ。プリムがいたらカートはメルモと結婚できないし、親同士が決めた婚約なのだからそもそも解消できない。当人がそうする権利を持っていないのだ。
だけど間の悪いことに、カートの父君であるリチャード王が病気により崩御。カートは未だ学生の身分でありながら、一国の王座にも就く。でもって、権力を手に入れたバカ王子が得てしてそうするように、事前の根回し抜きでプリムに婚約破棄を突きつけたのだからさあ大変。
プリムのことを可哀想とは思いつつも、周囲の貴族子女たちはカートの応援に回らざるを得ない。婚約破棄の理由としてカートが述べ立てる事実無根の嘘っぱち罪状を、さも真実であるかのように受容して、王国からのプリム排斥に力を貸すことになる。
そしてここからが本番だ。周囲を敵に囲まれた状況で、プリムはカートとメルモに向けてこう言い放つのだ。
「婚約破棄をなさるのですね。お好きにどうぞ。さようなら」
くぅ~堪らない。
超カッコいい。
あたしは本を読みながらニヤニヤした。だって、この時点では誰もプリムの本当のすごさに気づいてない。プリムに婚約破棄を仕掛けたカートも、泥棒猫のメルモも、見る目がない貴族子女一同だって、自分たちがどれだけの悪手を取ったかまるでわかっていないのだ。この王国はもう終わりなのである。
それからはまあ、色々ある。筋立て上小難しくなるからあたしは斜め読みするパートなのだが、他国に渡ったプリムは現地で見つけた仕事を通じて、新たに出会った人たちに認められてゆく。ラッセルビア王国にいた頃には歯牙にもかけられなかった美点を、なんと周囲の人々がビシバシ発見してくれるのだ。
そして、ここが一番重要なんだけど、白馬に乗った王子様!!
そう、周囲に美点を認められるということは、有名にもなっちゃうということで、プリムの噂は王宮にまで轟いちゃうわけさ。そしたら興味を持った王子様が城下町まで見にくるでしょ。運命の出会いを果たした2人はなんやかやあって仲睦まじくなり、その後もなんやかやあってしあわせな結婚を果たす。
プリムはカートよりも顔が良くて背が高くて性格が良くて真面目でお金持ちの王子様と一緒になり、沢山の子宝にも恵まれて一生をしあわせなまま終える。で、その裏で適当にラッセルビア王国が滅ぶ。
本を読了したあたしは、背表紙をパタンと閉じた。
そしてしばらく、恍惚の感覚に浸るのであった。
「はぁ~、もう最高……また1冊、この世に神作が生まれてしまった……!!」
仰向けになって本を抱きしめて、2段ベッドの上でパタパタと足を揺らして余韻を堪能していると、下からルームメイトのマリヤが声をかけてきた。
「また読んでたの? あんた好きよね、その手の本」
「マリヤも読みたいなら貸すよ?」
布教はファンの義務であり責務でもある。
そんなわけで、あたしはマリヤを沼らせようと思ったのだけども。
「いや、いらん」
「えぇ~おもしろいのに~。読みやすいやつから貸すよ?」
粘ってみると、重苦しい溜息が下から聞こえてきた。
「ジャンルが苦手なんだよ。また王女が婚約破棄されて、他国の貴族とか王子に見初められるやつでしょ。裏で婚約破棄してきた王子の国が滅ぶっていう」
「王女じゃないよ。貴族の娘だから、お姫様だよ」
細かな間違いだけど、大事なことだ。
主人公が王女なら、お相手も他国の王子じゃないと家格が下がってしまう。
だけどマリヤはあんまり気にしてくれないらしい。
「どっちでもいいでしょ、そんなの」
「良くないよ。格上婚は乙女の夢なんだから」
「でたね乙女の夢。でもこの本って流行ってるんだよな。私の方がマイノリティなのか……」
乗馬クラブにフェンシングクラブ。淑女らしからぬクラブ活動の主将を2つも兼任するマリヤは、自分の価値観が他の女子勢と違うことを密かに悩んでいた。
「てかさ、他の連中が好むのはいいんだよ。あんたも好きってのがどうもね」
「うん? どういう意味?」
「だってあんた公爵令嬢で、王子の婚約者いるでしょ」
「そうだね、それで?」
「自分ごとに置き換えて考えてみな。割と怖い状況じゃないの婚約破棄って」
思考実験としてはまあ、やってみたことはある。
もしあたしの結んでいる婚約が一方的に破棄されたとしたら……。
「ないない。ありえないって」
「本当にそう言えるわけ?」
「だってあたしってば美人な方だし。ノックスだってそう言ってたよ」
「否定はせんが、えらい自信だな……」
実は密かに他の貴族子息からアプローチを受けたこともあるので、容姿に関しては前々から自信があったのだ。
余談だけど、マリヤはショートカットの髪型をしており、先に言ったように極めてスポーティーなクラブ活動をしているため、女子勢にすこぶるモテる。そのモテぶりたるや「マリヤ先輩、私の王子様になってください」などといったラブレターを年に何通も受け取るくらいのもので、本人は割と真剣に悩んでいるらしい。
「恋って、顔だけで決まるものじゃないでしょ」
「おっと、マリヤ様が恋愛について語っちゃいますか。お相手の殿方は?」
「茶化さないでよ。まだ誰とも付き合ったことないって知ってるでしょ」
「へへー、冬来たりなば春遠からじ」
「殴るぞ」
ベッドの下からグーに固めた拳を突き出して牽制してくる。
次の溜息は、どこかあたしに対する心配の色が見えた。
「ノックスのこと、ちゃんと捕まえてた方がいいんじゃない? デートとかしてさ」
「平気平気。むしろグイグイ行ったらウザがられちゃうでしょ」
「そういう男ばかりじゃないと思うけどね。だいたい、あんたの結婚には国が絡むんだから……」
「お小言は聞きたくなーい。お休み!!」
「あ、ちょっと! まだ話の途中!!」
あたしは布団を頭から被り、マリヤの言い分をシャットアウトした。
本当は、何度も想像したことがあった。もしもあたしが婚約破棄を突きつけられたとしたら。きっとあたしは動揺しない。本の中に出てくる数多くの貴族令嬢たちと同じに、毅然とした態度で婚約破棄を受けきって、凛とした佇まいでその場から立ち去ってみせる。
「そして、白馬に乗った王子様と素敵な出会いを果たすのよ……」
瞼を閉じると、本当に睡魔がやってきた。あたしの意識は、いつの間にか途絶えていた。
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