第五話 廃姫 ルーナリアの新たな人生
——ばたんっ
戸が閉まる音で目が覚めた。
重たい瞼がうまく動かなくて、視界がぼやける。
固い寝台から上半身を放して体を伸ばす。
「んん――――っ……」
目を擦り、強制的に視界を取り戻す。
あたりを見渡すと見知らぬ部屋の光景が視界に映った。
古く、みすぼらしい木造の部屋。
「はえ、ここは……。あぁ、そうか」
だんだんと意識がはっきりしてきた。
そういえば私はあの城から逃げ出したんだった。
昨夜——彼と話した後、眠りに落ちてから今の今まで深い眠りについていたみたい。
こんなによく眠った気分になったのはいつ以来かな?
誰かと一緒の部屋で眠るというのは、存外いいものかもしれない。
「って、のんびりしている場合じゃないわ!?」
ケンセイはもう出かけたのだ。
私が昨日冒険者になるように、とけしかけた通りに冒険者ギルドへ向かったはずだ。
本当に彼の行動力には驚かされる。
私を城から連れ出した時もそうだけれど、冒険者になるよう言った時も二つ返事で『うん、任せて』と答えた時は感心しちゃった。
きっとこの子は人の何倍も勇気をもった男の子なのねって。
やらなきゃって事を真っ直ぐにやろうとする——だからこそ、公正神様は彼を〈使徒〉にお選びになったのかも。
もう、起こしてくれたらよかったのに。
顔を見ずに行っちゃうなんて、何となくさみしいじゃない。
「……」
あー、駄目ね。
何というのかしら。城で呼んでいた書物にあった、〈吊り橋の上の二人〉のような気分が抜けないわ。
いつまでも夢見心地でいるのは駄目。
彼は迷わず前へ進んでいるのだから、私も行動に起こさないとね。
寝台から抜け出し、身だしなみを整える。
毎朝恒例のステータスチェックも欠かさない。
「ステータス開示魔法展開」
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ルーナリア・シエラ・ルクスセプティム 年齢【15歳】 性別【女】
ジョブ 【第二王女】
ステータスレベル 8→15
筋力 300
体力 220
魔力 340
知性 210
総魔法力量 340
所持スキル
【凝固】→【固定】
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あら、レベルが上がっているわね。
ローハンとの戦いで成長する部分があったということね。
能力の伸びは全然だけれど、スキルが変化?進化?しているわね。
うーん……ケンセイの解析なら詳しいことがわかるんでしょうけれど。
帰ってきたら見てもらおうかしらね。
さて、日課も終わらせたし彼を見習って行動に移しましょう。
まず私がしなければならないこと、それは——味方を作ることだ。
異母妹であり第一王女であるルミネールシアは今や国の中枢を牛耳り、発言力どころか国政の中心となっている。
彼女が差し向けてきた暗殺者たちも元は《国影の騎士》と呼ばれる現王直属の騎士だった。それ故に質の高いスキルや能力、思想を持った貴族からなる誇りある騎士団であった。
過去の栄光であるとしても、そのような存在を手足のように扱えるルミネールシアの力は絶大だといえる。
抗うためには相応の後ろ盾が必要である。さもなくば——他国への亡命しか手はないない。
どちらにしても、今の私には圧倒的に力が足りなかった。
生まれてこの方、ずっと監禁されていた私には知り合いといえる人間はいない。
昨今の階級者たちの間では、私は難病に侵されており離宮から出られない——としか思われていない。
そもいないものとされているのが現状だった。
唯一——実際に顔を合わせたことがある外の人間は、五歳のお披露目式の折に挨拶をした各領主とギルドのお歴々くらいしかいない。
今いる港町——《ルヴィエッタ》はクロムウェル伯爵家が治める交易都市である。
クロムウェル卿は王女派閥の貴族として有名だ。
それと同時に遊興癖が強く、領地の経営は家臣に任せっきりで王都の別邸に入り浸っているらしい。
実質の取り締まりはクロムウェル家の家令、もしくはその地の治安を維持している冒険者ギルドのマスターであると言える。
ここのギルド長であるグイード・アッルヴィエとは一度だけ会話をしたことがある。
もちろん五歳の頃のお披露目式で。
その際に恭しく首を垂れて『あなたのような聡明な王女様がいてくださればこの先安泰でしょう』と朗らかに笑ってくださったのを忘れていない。
彼の言ったようにはならなかったけれど、今の私が頼れるのは彼ぐらいなものだった。
さらに言えば、グイード氏は現行の『異界戦士政策』に反対の立場をとっていると、見張り達の噂で聞いた。
なんでも『市井に目を向けるべきです。冒険者や兵士であれ雇用であれば国内の生活が安定する、そうすれば犯罪率も減りましょう。ですが、異世界人を主力に重宝し続ければいずれは自国民にも職を失うものも出てくるでしょう』とクロムウェル卿に直訴したほどであるという。
そこまで言える人なのであれば、私の話を聞いてくれるかもしれない。
淡い期待ではあるけれど——暗殺者たちが動いている以上、何もしないのはただ死を待つだけだ。
それならば少しでも可能性ががある道を選ぶべきなのだ。
彼なら間違いなくそうするわ。
私を連れ出してくれた時のように。
「よしっ……」
整え終わった髪を軽く払い、立ち上がる。
そうと決まれば早速冒険者ギルドへと向かいましょ。
◇
暖かな陽光の元を、フードをかぶって歩く。
一応、特殊な髪色をしている自覚はあるから、念のため。
半吸血鬼の血を引いてはいるけれど、別段、日光で焼け死ぬなんてことはない。
せいぜいちょっとだけ気だるいかな?程度の影響しかない。
ただ、きっと私の尖り耳は少し目立つから。
宿を出てしばらく歩くとすぐに表通りに出る。
時間帯が昼近いからか食事の香を漂わせている店に人が集まっていた。
少しお腹がすくけれど、まずはギルド長と会いに行かなかければならない。
いい香りのする串焼きの屋台を足早に通過して、一直線に冒険者ギルドへ向かった。
冒険者たちが屯する場所という割に、小綺麗な室内を進む。
扉から受付らしきカウンターまでは一直線。できるだけ目立たないように自然に受付まで進んで声をかけた。
「失礼するわ。グイード氏に取り次いでほしいのだけど」
できるだけ小さな声で受付の女性に声をかけた。
「あ、と……失礼ですがお約束はおありですか?」
「ないわ。でも大切な用があるのよ、試しでいいわ、これを渡してほしい」
彼女の前に一枚の紙を差し出す。
昨夜に書きしたためた私の窮状を知らせる手紙だ。
訝しげに手紙と私を交互に見やる女性。
怪しむのも当然だけれど、正式な手続きを踏んでいる暇はないのよ。
彼女にだけ見えるように服の下に隠した首飾りを取り出した。
「これを見て、理解したのなら渡しなさい」
「……ッ!承知いたしました。今しばらくお待ちください!」
高貴な血筋にのみ持つことが許される紋章を刻んだ首飾り。
これは特殊な鉱石に彫られた魔法刻印であることから複製が不可能なものである。
疎まれていた私でも持つことが許されていたのは、ルミネールシアの怠慢故のものか、それ以外の思惑か分からないけれど、今の私にとって何よりも重要な武器となりえた。
受付の女性があわただしく奥へ下がったことで一瞬衆目を集めたけれど、さして珍しくもないのかその視線はすぐに離れた。
しばらく待つと奥から先ほどの女性とは別の人が現れた。
彼女は恭しく綺麗な礼をして口を開いた。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
こなれた様子で部屋へと案内する彼女はきっとここでの実力者なのだろう。
先ほどの彼女よりは凛とした雰囲気を感じさせる。〈貴族相手の心得〉をよく知った人間なのね。
◇
案内された部屋はこの冒険者ギルドの二階にあった。
座り心地の良いソファに腰かけて席を外しているというギルド長を待っているのだけれど。
室内は簡素でありながら使われている調度品はどれも質がいい。
こうしてみるとこの街の冒険者ギルドはそれなりに業績がよさそう。
「いやあ!お待たせいたしました!」
——ばんっ!
と勢いよく開かれた扉から待ち人が現れた。
赤黒い短髪に僅かに白髪を混ぜた初老の男性——ギルド長のグイードだ。
現役を退いた冒険者ではあるがその肉体は鍛えられているのがよくわかるくらいの筋肉質だつた。
人の好い快活な笑顔を携えてのたまう彼に一言謝辞を述べる。
できるだけ遜らない程度にね。
一応、私も王族なのだから。
「いえ、こちらこそ。突然押しかけて悪かったわね」
「いやいや、むしろお呼び立ていただければすぐにはせ参じましたものを」
「そうね。早くにそうできていたら良かったわ」
「——ですなぁ」
彼は対面の椅子に腰かけると先ほどまでの笑顔を引き締め。声を潜めた。
「手紙は読ませていただきました。よもや、貴女様の立場がそのような事になっているとは——」
「思いもしなかったかしら?」
「……いえ。むしろご存命であったことの方が驚きというか、とうに殺められているものだとばかり」
やはり裏ではそのような噂を流して私の影響力を風化させようとしていたのね。
ルミネールシアのやりそうなことね。
「でも、私はこうして生きているわ。——それを知ったあなたはどうするのかしら?」
グイード氏を味方につけたい気持ちがあるからこそ、彼の立ち位置を把握したい。
私を売るのか、擁護するのか。ここで躓けばどのみち命運が尽きる。
「……取り急ぎ北のローグウェン辺境伯へ繋ぎましょう」
「帝国との国境——ベルンドラコ大山脈の守護ね。なぜ彼の家を?」
ローグウェンと言えば王都ルクスセプティムの北方に位置する大山脈から国を庇護する防衛の拠点であると本で読んだ。
ベルンドラコ大山脈は巨大なダンジョンであり、その周辺の森をも魔境に変えているとか。
そこを治めるローグウェン卿は国内外問わず名を馳せた名騎士であると聞いた。
その彼をなぜ名指しで私とつなげようというのか、話が見えてこなかった。
「彼はルミネールシア殿下の政策に異を唱える保守派貴族ですので力になってくれるはずです——それに、閣下は貴女様のお母上と良き仲であったと聞きますので無下にはしないかと」
母上———私の死んだ母上。
父上にいいようにされて死んだ母上。
その母上に恋する相手がいたというの?
地獄のような一生の中に、それを覆せたかもしれない相手がいたというの?
いえ、今は考えがまとまらないから保留ね。
知りえなかった過去を聞いたせいで少しの動揺があったけれど、意識を本題に向ける。
「なるほどね。確かに卿であれば私の後ろ盾になってくれそうね。彼にとっては私ほど欲しい旗はないでしょうから」
「……そうでしょうな。恐らく現体制への反抗を掲げる旗印に擁立されるでしょうが、命の安全は確実に守られるでしょう」
辺境伯の庇護を受けられたのなら、ルミネールシアが私たちを狙うのは難しくなる。
いくら国政を仕切る王女であるとしても国防の要と言える辺境伯を表立って敵にはできない。
ローグウェン卿の真意は今だわからないけれど、先ずは少しでも現状を変えることができる選択をするべきだ。
「で、あるならば迷うことはないわね。グイードさん、取次をお願いするわ」
「……迷いませんな。承りました、このグイード——微力ながら国の未来のために尽力いたしましょう」
「ありがとう」
この選択がこの国に戦火を招くとしても、新しく始まった私の人生をまだ終わらせたくない。
利己的な選択だとしても、彼が連れ出してくれたこの世界を歩みたいのよ。