まいご
〽︎まいごのまいごの
ぼんやりと光る天井、壁。そして窓一つない無機質な部屋。
既に懐かしい気がする。つい半月ほど前にここで目覚めたんだよね。あのときはびっくりしたなー。
いつもの習慣で朝牛乳してたら、屋根裏部屋から音がして、転がってたメガネかけて、オルゴールのフタあけて、そしたらびゅーんて地球からメトシェラまで飛んできちゃったんだもん。
世の中なにがおこるかわからないもんです。
いやびっくり。
地球から何かが飛ばされてくると(飛ばされるという表現が正しいかどうかはよくわからないし、飛ばされるのがヒトとは限らないらしい)、勘の鋭い方たちはその感触を察知できるという。
それがいわゆる違和感。
キナリさんもそれを感じられる一人。だからいち早く感知すると、安全に且つ対象者が混乱するより前、できれば気を失った状態でそっと安全に保護できるようパトロールのような事を頼まれているんだそうだ。すごい。
勘が鋭いうえ、空も飛べ、視力も良いキナリさんはまさに適役。やっぱりすごい。
君の場合は人為的にこちらへ来たので、座標がほぼ決まっており捜索は簡単でしたがと前置きされた上で、人為的ではなく不可抗力で来てしまった場合、捜索するのはまあまあ大変なんですよ、接触するのもね、と聞かされた。
なにしろ、いつどこでなぜだれが―がわからない。
しかもどういうわけかヒトの場合は姿形が変わってしまうから、こちらに流れ着いたら、まず大抵ひたすらパニック状態。無理もない。
だから落ち着くまではこの部屋で過ごしてもらうんだそうだ。保護兼監視といったところか。
いつの時代、どこの国、どんな理由で、どんなものが来るのかわからないから、こちらとしても迂闊な事はできないし、させられないという訳だ。
わからないものに対する恐怖心は誰でも等しく持っているものだから仕方ないよね。
訳もわからずいきなり知らない世界に放置されるより余程ましだろう。
地球からの迷子が皆一様に通されるという何もないこの部屋はまるで隔離部屋みたいだが、情報量を極力減らし余計な混乱などを起こさせないための配慮だという。
明る過ぎず、暗過ぎず、ぼんやりとつつまれるようなこの白い光も、実は脳に作用し落ち着かせるよう設計されてるんだとか。
未知との遭遇的なことは映画とかでもあるけど大変だよね。ここに落ち着くまで色々と試行錯誤があったんだって。
「キミは取り乱したりしなかったそうで。話を聞いた時は感心しましたよ。人為的とは言え、何も知らずにこちらに来たのにたいしたもんです。」
「いやー、お恥ずかしい。驚きすぎちゃって逆に何も考えられなかったというか、頭真っ白だったというか…。」
あの不思議なマークのついた布で、倒れていた迷子さんを運んだ後キナリさんと休ませてもらっているのだが、思いがけず褒められまんざらでもない。キナリさんのこの落ち着いた声と話し方、好きだなー。
それにしてもあのマークって何なんだろう。瞬きする間もないくらいあっという間にここまで運んでくれた。便利べんり。
「あの迷子さんの服、なんとなく見覚えあるような気がするんですよね。」
「おや、同郷の方ですか?」
「あ、でも時代は違うと思います。なんとなく昔っぽいというかなんというか…あれ?そういえば姿形が変わると服も変わるんですか?」
「服装等、身に付けているものに関しては、そのままというのが通説ですね。キミの場合は、単に待ち構えていたキミのお父さんが着替えさせたと聞きましたが。」
どことなく含みのある応えに顔が熱くなる。いや、明らかにこちらを見る目が生温くなってるじゃん。待ち構えていたって…それ、もう幼な子を無駄に猫かわいがりする親ばかじゃん。しかも聞いたって事は当然他から聞いたって事で、つまりはもしかしてウワサになっちゃってるって事だったりしたりするんじゃん?
うわー。とうさん、なにしてくれてんの、もう。
耳を赤くしながら慌てて話を変える。
「そ、そういえば髪の毛の色も変わっててびっくりしたんですよ。元は真っ黒だったんで。」
「セキさんのような?」
「はい。といってもあんなに艶々でもふもふではなかったんですけど。」と、自分の髪の毛を指でつまみながら続ける。
「正直、以前は真っ黒な髪なんて当たり前でつまらないなんて思ってましたが、今思うと逆でしたね。」
「こちらで黒一色は珍しい。」
「ホントですよね。なんて言うか、あたりまえ過ぎて気づけなかったのかも。むこうにいた時は、髪も肌も背格好もほぼほぼ皆同じだったものでして。」
「ほう。」
「ええ、もちろん今の髪色も気に入ってますが、以前の髪色も良かったんだなって…、あ、」
もやもやとしていた霧のようなものが晴れ渡る快感。頭の片隅に引っかかっていた記憶がぱっと鮮明になったのだ。それは、ほぼほぼ皆同じ格好をした生徒たちがざわざわとした教室の中で席について教科書を開く光景。そうだ、教科書。
「見覚えがあると思ったら教科書だ、日本史の教科書…。」
「ニホンシ?」
「あ、ニホンというのは国の名前で、シというのは歴史のことで…。」
キナリさんの冠羽がふよふよとゆっくり動いている。この動き、知ってる。これはカフェで本を読んでいたり話に集中したりする時の動きだ。
先を促すかのようにじっと見つめられ、
「えっと、そのニホンという国の、歴史の教科書に載っていた人物の服装に似ていると思って。それもかなり昔の時代のものに。」と説明する。
「昔…」冠羽が片側に寄る。小首を傾げられたからだ。
「そうですね、千年…いや、千五百年くらい前かな。あ、あくまでも自分がいた時代よりって事なんですけど、ええっと…、」
ややこしくなってきた。
つい地球の時間軸で考えちゃうけど、ここメトシェラの時間軸で考えるとどうなるんだろう―。うーん…だめだ、わかんないや。これは数学なのか理科なのかすらわからない。案外哲学的なモノだったりして。
これ以上は拒否反応が出そうなので頭の中から数字を排除する。
「とにかく遺跡を発掘して、そこで出土したものからあれこれ想像して判断するしかないくらいすっごい昔でふ!」
…噛んだ。
「それは、もしかしたら貴重なお話が聞けるかもしれませんね。」
冠羽の動きからキナリさんが知的好奇心に満ち満ちてうきうきしているのが感じられる。
良かった、きっと噛んだのは気付かれてない。
「ええ、落ち着いたらぜひお話を伺いたいものです!どんな方かな、お話好きな方だといいな。どのくらいで目覚めるんでしょうか。」
噛んだのを誤魔化したくて、つい饒舌になってしまう。
「個体差が大きいですが、まあ、5〜6日目覚めないことも。」
「えっ、」
「転移する距離が離れていれば離れているほど消耗が激しい。心身共に混乱をきたしている状態なので処理がなかなか追いつかないでしょう。」
テンイ?ショリ?てんいは転移かな。ショリは情報処理とかの処理かな?うん、そうだよね。なんかよくわからんけど、すごい遠くに飛ばされてきてるんだから肉体的にも精神的にもダメージ大きいよね。ダメージ回復するために頭も身体も頑張ってそうだ。さもありなん。特に怪我とかはしていなさそうだったけど、なんだかやつれている感じだったし。
ぱっと見だけど服が、特に裾とかが土で汚れていたから、長いこと山の中とか放浪していたかのように見えたんだよね。
もしそうだとしたら放浪と転移?できっとダブルで疲れているだろうし、ゆっくり湯船に浸からせてあげたいな。まだわからないけどもし同じ日本人だったならきっとお風呂好きなんじゃないかと思うんだ。なんせ日本人は縄文時代からお湯に浸かっていたっていう痕跡も見つかっているらしいし、きっとDNAに刻まれているレベル…!
あゝ、湯船万歳。ビバ湯船。
すっかり湯船、それも柚子がぷかぷか浮いた温泉にカピバラやニホンザルと一緒に浸かっているのを妄想してうっとりしてしまった。妄想暴走。うっかり。
「随分愉しげな表情してますね。」
「えっ、いやあのつい、一緒に温泉に入れたら素敵だなとか思ってしまって…、」
ついニヤけてしまって緩んだ表情をひきしめ、彼方に飛んでしまっていた思考を現実にぐぐいと引き戻す。
「それにしてもなんて言うか静かな湖畔とかが似合いそうな方でしたね。長くて白い髪が空から見た時、白鳥にも見えたんですよ。優雅な感じとか。」とか言って気恥ずかしさを誤魔化そうとまた饒舌になってしまう。
ただ倒れていたのを見ただけなのに優雅とか言い切っちゃうのも変かもしれないけどそう見えちゃったんだよね。すでに心の中で勝手に白鳥さんと命名しているくらい。シラトリさんって上品なイメージ。偏見だけど。
「あ、ちなみに白鳥というのは地球では白く美しい優雅な鳥として有名でして、幸運の象徴ともされているらしいです。」
「なるほど。第一印象というものは案外信じられるものですよ。ただ、思い込みを第一印象と勘違いしてはいけませんがね。」
思わずまばたきをしてはじめて目が乾いていた事に気づく。クセになってしまっているまばたきすら忘れるほど目が開きっぱなしだったらしい。どうやら夢のようなファンタジー体験を次から次へとしてしまったせいで少々アドレナリンが出過ぎているようだ。
一旦目を深く閉じてみる。
そうだ。確かに白鳥のように白くて優雅なイメージだと感じたのは第一印象だけど、日本人で且つ温泉好きだと感じたのは勝手な、ただの思い込みだ。気をつけなきゃ。良かれと思ったことが相手にとってはそうでは無いということだって十二分にあり得る。
そっと目を開け、「ついうっかり一緒に温泉に入ったら嬉しいだろうなんて自分の価値観を押し付けるところでした…。思い込みってコワイですね。」としみじみ漏らす。
キナリさんは目元を綻ばせながら、「その素直さはキミの美質ですね。」と優しい一言をくれた。
失敗した後にこそ真価は表れる。
成功するのもあたりまえ、失敗するのもあたりまえ。ただ、成功した後よりも失敗した後にこそ成長がある。小さい頃からとうさんかあさんに言われていたことだ。
よし。成長するぞ。
だから、しっかり反省!
気づきをくれたキナリさんに心の中で敬礼しながら自身を戒めていたら、廊下からざわざわと複数人が近付いてくる気配がした。
おやと顔を上げるとちょうどドアが開いた。すっと視界に捉えて「ああ、」と慣れた様子で目で頷き合うキナリさん達。
入ってきた人達は皆わかりやすく制服のような揃いの服装で、いかにも役人とでもいうような生真面目さをも纏っている。
そして異質な人も。
制服陣が鉛筆の精緻なスケッチならその人は色彩豊かな水彩画だろうか。一人だけ明らかに浮いているのはとうさんだ。
にこやかに満面の笑みをたたえて二言三言指示を出している。
よそ行きの笑顔してるなーとぼんやりと見つめている間に気づいたら部屋にはとうさんとキナリさんと三人だけになっていた。
「いきなりだけど、引越ししないかい?」
最近のとうさんはいつも唐突だ。
「いや、いきなりすぎるでしょ。まずはあの迷子さんの話を聞けるとかじゃないの?」
「ふふふー。もちろんその迷子さんがらみだよ。でもね、その…」ほくほくととうさんが続けようとすると、キナリさんがぴしゃりと遮ってくれた。
「親馬鹿もいい加減にしないとそろそろ嫌われるぞ。説明がいい加減過ぎる。」
「酷いな、嫌われるだなんて!久しぶりに会えた我が子にまずは喜んで欲しいじゃないか。」
「お前の久しぶりは随分と短いな。」
「今朝から会えていないんだから十分久しぶりだろう?」
さすがキナリさん。あーだこーだと言い続けるとうさん相手に見事な塩対応。ふふっ。なんだかんだ仲良いんだよね、この二人。自分の親が仲の良い友人と砕けた口調で話しているのを見ると知らない世界を垣間見るようでちょっとわくわくする。
「だからね、新しい迷子さんも来たことだし、何よりこちらでの生活も慣れてきているようだから仮住まいから引越す頃合いだろう?」
無駄にキラキラした瞳で見つめてきた。
おお、今住んでいるカフェの上階は仮住まいだったのか。初めて知ったよ。もちろん、本来地球のかあさんが待っている家がある以上、こちらの家はみんな仮住まいなんだけど。
「それでね、ちょうどいい物件があってね。ほら、小さい頃引っ越した時、屋根裏部屋がいいって言ってただろう?だから、ね。」
善は急げとあっという間に連れてこられた引越し先(仮)の前でほくほくと嬉しそうに笑うとうさんには悪いけど、うん、いや嬉しいんだけど。
親って本当に有難いもので、幼い頃に好きだったものとか結構覚えていてくれて、すごいなって思うんだけど。でも子供の好みなんてコロコロ変わるものだから当時好きだったものをもらっても親が思ってるほど嬉しくもなかったりするんだよね。ほら、これ好きだったでしょと言って最近貰った名前もよく覚えていない白っぽい駄菓子も、食べてみたらただひたすら甘ったるいだけだったし。見つけたら必ずつついていたダンゴムシだって今はちょぴり苦手だ。
ごめん。
だからと言うわけじゃないけど屋根裏部屋フィーバーはもうとっくに冷めてるんだよなぁ。
なんとも形容し難い複雑な胸中で内見に臨む。
「ほらほら入口はここだよ。」
わあ、アーチ型のドアだ。ちょっと憧れる。大きめの玄関ホール、リビング、そして階段、吹き抜けからも中庭からも光が射し照らされて輝いてみえる。木と石壁を基調としているせいか柔らかな印象だ。地上三階まで階段を上ると隠し扉があって、そこから更に幅の狭い階段がある。そこを上がると屋根裏部屋だ。
今まで住んでいた部屋はメトシェラに慣れるための一時的に利用する部屋だったから必要最低限で殺風景だったんだけど、と説明を受けながらほくほくのとうさんに案内される。ああ、とうさんの好きなところとかあさんの好きなところとかがあちらこちらに仄見える。ほら、あのイスはかあさんの好きな柔らかい黄色だし、こっちのゴミ箱はとうさん好みで無駄におしゃれだ。そこここにある物が初めて見るはずなのに懐かしくて、まるで二人の仲の良さが顕在化したかのようだ。いいな。
「屋根裏部屋は何も手をつけてないから自分の好きなようにするといいよ。」
「いいの?」
「もちろん!」
うわ、最高。楽しみすぎる。
なんということでしょう