お稲荷屋
芳山教授の日々道楽「お稲荷屋」
京都旅行の帰り、
私は、見知らぬ細道へと迷い込んでしまった。
情緒深い小道、おもぶき深い古民家、いにしえの平安のいぶきを感じる。
その中に、
ポツンと、小さなお稲荷さんがあった。
「こんな所に、お稲荷さんか」
私は財布から少々の小銭を取り出し、お賽銭を上げた。
チャリン、
手を合わす。
パンパン、
狐様がこっちを見ていた……
しばらく歩くと、
不思議な看板が目についた。
「お稲荷屋こっち→」
何だ?
安っぽい板に、これまた下手くそな字で書いてある。
お世辞にも上手いとは言えない文字だ。個性的というか、ただ雑に書いただけと言うか、
しかし気になる。
私は、その矢印を進んでみた。
「お稲荷屋こっち→」
進む。
「お稲荷屋こっち↓」
曲がる。
「お稲荷屋こっち←」
また曲がる。
「お稲荷屋こっち→→」
まだ進む。
一体、どこまで続くんだろう。人気が少なくなって来たぞ、大丈夫だろうか?
私は不安を覚えながらも、歩き続けた。
道を進む。
……
怪しい袋小路に辿り着いた。
突き当たりに小さな店が見える。
「お稲荷屋、ここ↓」
暖簾をくぐる。
ガラッ、
「いらっしゃい」
小さな挨拶。
色白の、細身のオヤジが頭を下げる。
クンクン、
美味そうな匂いがした。鼻腔に漂う酢飯の香り。
「ここは稲荷寿司の店なんだ」
お稲荷さんでは無いんだ。一瞬、キツネの顔が浮かんだ自分を戒める。
店内を見渡す。
カウンター席と座敷席が一つ。小さな店だ。
先客が一人いた。
美味そうに、稲荷寿司を頬張っている。
ズズズーー
お茶をすする先客。
その客は、ちょっと吊り目ぎみ。
気を取り直し、私はカウンター席に座った。
ギュッ、ギュッ、
店主は、黙々と稲荷寿司を握っている。
まずは、お品書きでも見るとするか、
「稲荷寿司、松、竹、梅」
なぬ?
稲荷寿司しかないのか?しかも三品だけ。
よほど自信があるのか、
それともやる気が無いのか、
こんな迷路のような場所で、小狭く、お世辞にも綺麗ではない店構え。
知人で、こだわり過ぎて潰れてしまったカレー店があったが、ここは大丈夫か?つい経営を気にしてしまう。
稲荷寿司と言っても色々ある。
四角い油揚げを中央で半分に切り分け、中に酢飯を詰めた枕型。真四角の油揚げを三角形に切り分け、中に酢飯を詰める山型。油揚げを裏返す裏巻き。地域によって様々だ。
具もそうだ、
五目飯のような、人参やゴホウ、椎茸を混ぜ込んだ酢飯を入れた関西風稲荷寿司。
または、食紅や紅生姜で染めた酢飯を入れた東北風稲荷寿司。
ここは枕型、
ほどよい枕の形をした稲荷寿司。
今時の稲荷寿司は小さめだ。コンビニで売っている稲荷寿司など歯に挟まってしまう。
ここはどうだ?
なぬ、
ここの稲荷寿司はデカイ!パンパンだ。
普通の稲荷寿司の三倍はある。一つで十分な大きさだ。
モグモグモグ、
先客が、美味そうに稲荷寿司を食べている。
ズズズー(お茶をすする音)
不思議な店だ。
BGMもなく、何も聞こえない。
あるのは、食欲をそそる酢飯の香りだけ。
さすがの私も、腹が減ってきた。
「あ〜オヤジ、松、竹、梅だけじゃ解らんが」
オヤジが、私の顔を見る。
「****」
小声、よく聞こえない。
すぐに、黙々と稲荷寿司を握るオヤジ。
困った、どんな物か解らなくては頼むにワケにもいかない。いまさら、他の店に行くわけにはいかないし、先客は、もう完食しており何の稲荷寿司を食べていたのか解らない。
ええい、稲荷寿司なんてどれも同じだ。梅でも頼むか、
「梅をくれ」
「あいよ、」オヤジが小さな声で返事をした。
変わった店だ。
私はもう一度店内を見回した。
セルフのお茶があった。
カタッ、
私は席を立ち、お茶を取りに行った。
横目で先客が私を見ている。オヤジも見ている。
私は緊張の中、湯呑みにお茶を注いだ。
トクトクトク、
再び席に座る。
落ち着いて一口、お茶を飲む。
ゴクッ、
何だこれは!
ただのお茶では無いぞ、ほうじ茶のような香ばしい香りと味。
寿司店のような、お茶、お茶、と主張をせず、この後食べる稲荷寿司の準備と言うか、味をそそり立たせる前菜と言うか、そんな気配りの味だ。
ここのオヤジ、只者ではない!
いやいや、お茶一つで感動してはいけない。
これからが本番だ。主役の稲荷寿司を食べなければ始まらない。
「ヘイ、お待ち」
オヤジが稲荷寿司を差し出した。
品のいい平らな皿に笹の葉、その葉の上にちょこんと、いやドスンと稲荷寿司が乗っている。
大きい、やはり三倍はある。
私は、それを片手で掴み、おもむろに一口頬張った。
かぷっ、
何!梅味?
プンと香る梅の香り。いや待てよ、この梅干しは、
ただ酸っぱいだけではない、赤ジソの実の爽やかな清涼感、そして赤紫色の酢飯が食欲をそそる。この風味、この味、紀州梅干だ。高級で上品な甘味と旨味がする。
これは、梅味稲荷寿司!
初めて食べた。
ここの店のオリジナルなのか?
美味い、
少々大きいのが玉に傷だが、味は良い。
ハグハグハグ、
私は、あっという間に完食した。
不思議と、お腹にもたれない。消化が良いというか、組み合わせが良いというか、何故か簡単に胃袋に収まってしまった。
一つで帰ろうと思っていた私だが、もう一つ食してみたくなった。
「オヤジ、お薦めはないか?」
ここで、オヤジの反応を探ってみる。
オヤジは、すかさず竹を指差した。
やはり、
思った通りだ。
お薦めの品物を真ん中に置く。それが店主の心意気だ。値段と質が合う品物。
「じゃ、それをもらおう」
「あいよ、」
黙々と稲荷寿司を握るオヤジ。
「ヘイ、おまち」
何だこれは!
それは、少し緑色がかった油揚げに、緑色の酢飯。その酢飯には葉が見える。
青シソか?
いや違う、これはワラビ、ゼンマイ、フキノトウ、タラノ芽!
四季の代表する山菜が、ふんだんに入り混ざっている。
この稲荷寿司には、山菜が入っている!
しかも今時分、手に入らない高級な山菜ばかりだ。
食べたことがないぞ、
なんて贅沢な稲荷寿司なんだ。
まず、一口食べる。
パク、美味い、
油揚げも山菜の煮汁で煮込んでおり、ほどよく出し汁が効いている。
さっきの梅も美味かったが、これはまた別の味。苦味と旨味、大人にしか解らない上品な品物。
たまらない、たまらなく美味い。
私は、あっという間に完食した。
残りは、松だけだ。
食べるべきか、食べざるべきか、
量から言って、相当な量を食べた。
普通だったら、もうお腹がいっぱいの筈だが、
どうする?
いや、ここまで来て食べないワケにはいかない。
「オヤジ、松をくれ」
「あいよ、」
黙々と稲荷寿司を握るオヤジ。
いい香りがする、これは何だったかな?
一番の高級稲荷寿司を楽しみに待つ。
「ヘイ、おまち」
何だこれは!
それは、少し焦げ茶色がかった油揚げに、はみ出た酢飯。その酢飯にはキノコが見える。
椎茸か?
いや違う、これは松茸だ!!
この稲荷寿司には、松茸が入っているんだ!
なんと高級な稲荷寿司なんだ。
食べたことがない、
まず、一口。
パク、美味い、
油揚げも松茸の煮汁で煮込んでいて、ほどよく出し汁が滴る。
さっきの梅、竹も美味かったが、これは極上の味だ。
香り、味、食感、
たまらん、たまらなく美味い。
ここは、忍びざる稲荷寿司名店?
至福の悦びに包まれるーーー
私は、あっという間に完食した…
ごちそうさまでした、満腹。
「オヤジ、お代を置いておく」
ガラッ、
私は、お稲荷屋を後にした。
至高の品物、忘れる事の出来ない稲荷寿司。私の隠れ家リストに入れておこう。二重丸。
→↓←↑→→
迷わないように、来た道を戻る。
元の細道へ辿り着いた。
なぬ、
あの看板が見当たらない、何処にも見当たらない。
おかしい?
ササッ、
草むらに音がした。何か動物の足音。
振り返る、
狐か?
私は、狐に馬鹿にされたのか?
いや、あんな美味い稲荷寿司……狐に馬鹿にされてもいいだろう。
秋虫が鳴く、深い夜だった…




