一)見世物一座とケダモノの子 3
日ノ本各地を旅する集団。讃礼の舞踏団。戦によって焼きだされた者達が生きる為に芸を持った見世物一座に他ならない。侍だった男がいれば百姓上がりの女もいるし、子供、老人、特異な見た目の者もいる。
今その数は六十を超え、一座を知る者は日増しとなっており、座員一同を取りまとめるのが頭領馬佐良。馬佐良が選んだ座員は、誰もが主役を張れる達者揃いだ。
万雷の拍手喝采が巻き起こる。客入りを待つ前座の芸は終わりである。笛吹き洋兵衛が天井から差す光の筋から姿をくらまし、闇の奥から白髪の小男――馬佐良が現れた。馬佐良は場内を満たす客に向かってもろ手を挙げる。
「数寄者達よ、よくぞ来られた。ここは御法度の無い乱痴気宴。皆々様は酔いの夢とお思いなさって、我らが事を幻だとお心得なされよ。なぜなら、そう、我らは神に身を捧げし者達。人でなしの集まりなれば」
馬佐良がやにわに片足を上げ、大きく前へと踏み出した。乾いた木目の床板が不思議な音色を打ち鳴らす。老爺の履いた足袋裏に何か細工が施してある。観客は馴染みない奇妙な音に一同、首傾げして板上の老人馬佐良に食いついた。
その老爺、小柄な背丈でありながら座員に埋もれず常に人目を惹きつける。雑把な気配を滲ませながらも、その実は精密かつ洗練された技巧の主たる自負と自信が、老いしぼれた得たり顔に現れている。双眸はらんらんと。片目だけが、銀色をしたまなこから。
「存在しないとご記憶為されい」
無限の闇に包まれていた馬佐良の周囲が音をたてて明転し、舞台上を光の世界が乗っ取った。無数の演者が舞台上に出現し、鳴り物がけたたましく祭囃子を奏でだす。太鼓、笛、弦をはじく音、大騒ぎ。
一斉に飛び出た踊子達は舞台で大きくトンボを切って、空中で独楽のように回転する。恐ろしく柔軟な関節動作で転げまわる者もいる。およそ並の人間では不可能な身体性を見せつけるかのような軽業を、観客に初撃で浴びせる。さきほどまでの笛吹きとは別の興奮が場内で沸騰した。
中央で馬佐良が踊っている。ただの踊り? 否、その老人は演奏家である。彼が足踏みするたびに床板が不思議な音を打ち鳴らす。軽妙な足さばきで奏でられる打音は、聞けば心ノ臓が跳ぶようで体が勝手に動き出す。
馬佐良の履いてる仕掛け足袋。裏には、小さな鉄が貼りつけてある。つま先と踵に一枚ずつの木の葉ほどの鉄板だ。床の木目を打ち鳴らす衝突音、こすりつける摩擦音、大別してこの二種だけで馬佐良の曲は完成される。
一切の無駄を省いたたった二つの音だけで、人は興奮するのである。開幕第一の芸は、頭領馬佐良が見せる音曲〈叩踏〉。それを舞踏団の座員で飾らせ華美とする。
「さあさ、見たれ、見たれ!」
馬佐良が叫ぶと、後ろの踊子達が舞台前まで進みでる。彼らの芸の合間を縫って、いつしか馬佐良は姿をくらました。それほどまでに人目を惹く者が舞台中央で主張している。
体中を毛で覆われた、世にも珍しい獣男。肌から蛇の鱗が生えている蛇娘。赤ん坊に見まごうなかれ二尺法師。彼を肩に乗せているのは、八尺大姫。観衆にすれば、異形の人だ。こんな見た目の者達が続々と現れては見事な芸を入れ替わりで披露する。
幕が開いて四半刻の経った頃。再び、馬佐良が現れた。馬佐良の白髪が灯篭の灯を浴びて煌々と朱を纏ったかのように危うげな輝きを持つ。磐。足を鳴らすと舞台の光が再びその老爺一点に絞られた。銀色の左眼に底知れない精彩がある。馬佐良は口元から歯を出した。
「あいや皆様、ご傾聴。これより出でたる演者こそ我らが見世の奥の華。ゆえに心得あそばされませ。その演者、神と契りを交わした子に候えば、人より劣るものがありませぬ」
場内にざわつき。さもありなん──馬佐良は見せるための頷きをする。今から観衆の目に入れるのは、誰が見ても完全な存在にしか見えなかろう。見た者すべてを狂わせる真の芸術を魅せる怪物。
「その名は、阿依莉」
舞台奥に灯篭の灯。引き割り幕が開かれる。
「毛堕物の子にござります」
一人の少女が、立っていた。その瞬間、時の音が吸われるように静まり返った。誰もが息を飲んだのである。
──美しすぎる。
「いかがでしょうか、天上天下の者にあらざる白亜の肢体を持つ娘」
少女の髪は、真っ白だった。老齢ゆえの白さではない。絹糸のように光沢のある純白の髪が束ねられ、光を反射させている。くい、と一文字に結んだ唇は感情を伺う隙もなく、雪のように白い頬の曲線ばかりが少女の若さを示している。
目元は狐を模した朱面で覆われ、真っすぐに伸びた背中の凛とした佇まい。ただ存在するだけで、神秘性を醸していた。
雪の華が咲いている。観衆からそんな呟きが漏れ聞こえた。その少女──阿依莉は、照らされた舞台上へ歩みを進める。すると、硬質な物が触れ合う摩擦音がする。馬佐良の口上はこう続く。
「まずは阿依莉、この娘。前世の因果か、神と縁を絆しておって、生まれてこのかた一切言葉を語りませぬ。喋らぬこの子は何を得た?」
阿依莉は右足を蹴って、その場で横一回転をした。がしゃり、と再び派手に鳴る。それに合わせて馬佐良が足踏み、二度の音。舞台から見る客席は傾斜が付けられ、期待の目をした小袖やもみ烏帽子の様子をまんべんなく見渡せる。奥部では内装のぐるりを口の絞った行灯がこちらの方へ光を放つ。
「神の御業と呼ぶべき、舞に候」