とっくに彼と彼女たちの関係は
さて、オレがシフトに入り始めてからおよそ3時間たったが、まだまともに劇のセリフを覚えられていない。言い訳をさせてほしい。これは別にオレの能力が低いとかやる気がないとでは決してない。単純に時間がないのだ。お客さんがまるでシフトを組んでいるみたいに入ってくる。お客さんがこの教室に1人でもいないことがない。
オレはレジでの対応を終えて、自分のスマホを隠して置いてあるところに戻る。
メイドさんがいる。そこにはスマホを見ているメイドさんがいた。いや、メイドさんがいることは不思議ではない。家庭科部の皆さんは全員メイド服を着てシフトに立っているのだから。メイド服を着たからといってメイドさんになれると思うなという声が聞こえてきそうだが勘弁してほしい。メイド服を着た女性では長いのだ。
しかしこのメイドさんはどこから現れたのだろうか。オレの後ろに今一緒にシフトに入っている先輩はいたはずなのだ。まさか瞬間移動……!
メイドさんが顔を上げる。
「何やってんの竜胆?」
思わずそう声をかけた。メイドさんはメイド服を着た竜胆だった。
「バイトかしら?」
そっかーバイトかー。いくら払えばこのメイドを雇うことができるのだろうか。
ふと気づく。竜胆が見ていたのはどうやらオレのスマホのようだ。ああ確か、さっきオレはスマホをつけっぱなしにして離れてたな。
「あなたは仕事中に何を見ているのかしら」
「…………」
「これって劇の脚本のようね。しかも海神先輩の名前が入っていることから、今日のものかしら」
「…………」
「あなたが何でこれを見ていたのかしら」
「…………」
「あなた、今度は何をしようとしているの?」
竜胆が何度もオレに問いかける。
うん、何かすごい真剣に話してるのはわかるんだけど、全然話が入ってこないんよ。メイド服の竜胆が可愛いすぎて。
ええ、メイドやってた?ってぐらい似合っている。竜胆はオレと同じくスカートが長いタイプなのだが、スカートはあまり膨らまずにシュッとしたシルエットになっている。しかしエプロンの紐できゅっと腰のあたりがしばられており、しっかりとくびれもある。そのバランスはまさに神。そしてメガネとポニーテールととホワイトブリム。前にオレはツインテメイドを絶賛したが、それに食い込んでくる勢いだ。竜胆の凛とした眼差しがまた良い萌えを演出している。
「あなた、聞いているの?」
「すいません。聞いてませんでした」
「それは……私たちには話せないということ?」
竜胆の顔が曇る。
「え、いや全然」
何でオレが先輩の劇の台本を見ているかだよね。
「他の人に話さないなら全然話せますよ」
オレは今までの流れを竜胆に説明した。
海神先輩が風邪をひいたこと。その原因がオレにあること。だから先輩を手伝うこと。それで先輩のクラスの劇に前半だけ先輩の代役としてでること。そのために劇の台本を覚えていること。
「そう、そんなことが」
「ええ、なのでちょっと仕事中にスマホを見ていたことは見逃してくださいな。仕事はきちんとしますから」
「それは見ていればわかるし、そもそも私に言われても困るわ」
「それもそっか」
「それで間に合いそうなの?」
「間に合わせるさ。なんたってオレは無駄に意外にもハイスペックだからな」
オレはそんな先輩の期待を決して裏切ったりはしない。オレは自信満々に言った。
…………まあ、覚えきれなかったらアドリブで何とか乗り切るさ。今まで見てきたアニメを総動員してそれっぽい言葉を並べるのは得意だ。それも含めて先輩の人選なんだろうなとか思ったり。
なんにせよ台本を覚えておくに越したことはない。
なのでスマホを返して下さいな。オレはそう思い、手を出すが、竜胆はオレのスマホを渡そうとしてくれない。ちょっと、こんなところでドSなところを出さなくていいんですよ。
「なんで……」
「はい?」
「なんで助けを求めないのかしら?」
「へ?」
そんな意外な言葉にオレは呆けた声を出す。助け?それこそなんで?
「アリアとか……私とかによ。手伝って言えばいいじゃない。何で言ってくれないの?」
竜胆はオレのスマホを胸に抱き、俯きながらそう言った。
「え、そりゃオレが先輩から頼まれて、オレが引き受けたわけだし、二人は文化祭を楽しんでいるんだから邪魔しちゃ悪いし」
オレは指折り数えながら助けを求めなかった理由を言う。
「それにこの件は、アリアはともかく竜胆には関係ないことだろ?」
アリアは、まあ家庭科部というつながりがあるから少しあるかな。そう思いながら口から出た言葉だった。
その瞬間、時が止まったような気がした。
竜胆の白い手に力が入り、オレのスマホが悲鳴を上げる。
「……ふふ」
「り、竜胆さん?」
「ふふふふふふ」
「竜胆さん!?」
やばい竜胆が壊れた!聞いたことない笑い方をしている!
オレがあわあわしていると竜胆が顔を上げる。それはそれは綺麗な笑顔だった。だが同時になぜか寒気がした。
「何で先輩があなたにこれを頼んだかわかるわ」
「は、はあ……」
「確かにあなたは色々なことを器用にこなすし、頭も悪くない」
「いやいや、そんなそんな」
「それに昨日も見てたけれどステージ上での振る舞いも見事だったわ。物怖じしないし、言葉も詰まることなくポンポン飛び出してくる。私にはきっとできないことだから単純にすごいとそう思ったわ」
「ありがとうございます?」
「それに人のことをよく見てるし、人の感情の機微にもすぐに気づく…………でも、だったら」
そこで竜胆は言葉を詰まらせる。もしかして泣いている?
竜胆は顔を上げる。泣いてはいなかった。むしろ怒ったような顔でオレのことをきっと睨みつける。でもなんだかやっぱり泣いているような気がした。
「だったら、どうして、あなたへの、気持ちには、そんなに鈍感なの?」
竜胆はそう言った。
オレへの気持ち?別に鈍感なわけじゃないと思う。だってすぐに気づく。この人はオレのことうざがってるなとか、めんどくさがってるなとか、嫌がってんなとか。そんなどうでもいいことがすぐにわかるんだから。
竜胆の言葉は続く。
「関係ない?ふざけないで。そもそも海神先輩にだって会ったこともあるし、手助けしてもらった恩だってあるわよ」
「それはすみません」
たしかにそれは悪かったなと思い竜胆に謝る。
しかしその謝罪を聞いて竜胆はさらに怒ったような気がした。オレの謝罪は真剣には聞こえなかったのだろうか。
竜胆は感情をそのまま言葉に載せるように吐き出す。
「それよりも!何よりも!あなたが関わってるんでしょ?!関係ないわけないじゃない!」
「…………」
こんな声で話す竜胆は見たことがなかった。
「日下部くん!」
「は、はい!」
「私とあなたの関係は何!?」
それはいつかとは少し違ういつかの焼き増しのような光景。
「……知り合い以上友達未満」
オレはあの日出された答えを返した。オレだけがあの日から進んでないかのように。
「いつの話を……!」
竜胆はオレに詰め寄るとぐしゃりとオレの胸倉を掴む。そしてオレの顔を引き寄せると吠えるように言った。
「友達でしょ!」
ゴーンと何か大きめの鈍器で殴られたような気がした。
それはオレがずっと追い続けた言葉で。ずっとオレだけが求めて願う言葉だった。
「学校で毎日会って話して一緒に過ごして、学校外でも会って遊んで、楽しい時間を共有して!そんな関係が友達じゃなかったら何だって言うのよ!」
息をきらしながら竜胆は言う。地面に向かって。
しばらくして一度吐き出した息をゆっくりともう一度吸うと、今度はいつものような落ち着いた声で竜胆はオレを見つめながらたずねる。
「それともあなたは楽しいなんて思ったことはなかった?」
そんなことがあるわけない。申し訳ないほどにオレも楽しんでいた。
「オレも、思ってた」
「そう、良かった」
そこで竜胆はふわりと微笑んだ。掴んでいたオレの服を離す。
「友達だから、あなただから、私は助けたいと思うの。だから、関係ないなんて悲しいこと言わないで」
「私もね」
「ああ、すまなかった」
ん?今オレら以外の声が入ったような。
竜胆はピシッと固まると、オイルの切れたブリキのおもちゃのような動きで横を向く。オレも同様に向いた。
そこには商品が置いてある机の陰にしゃがんでオレたちを見ているアリアがいた。
「あ、あ、あ、」
「お二人さん、青春だねー。でもこんなところでやったら人に見られちゃうよ?」
立ち上がりながらアリアは言う。その服は当然のようにメイド服だった。
そういえばお客さんの姿がない。
「私が昼休憩中っていう貼り紙を出しといたから良かったものの」
おいおい勝手に、というのは流石に言うべきことではないな。しかしさっきの言葉。
「もしかしてアリアもオレの友達か?」
「うわぁ……そういうことを聞いちゃうのが宗介くんのだめなとこだよねー。本当になんでそういうことはわからないんだろ」
「いや、すまん。友達なんて高校生になってからしかできたことなくてな。初心者なんだ」
「それも本当かどうか……逆にその高校生での友達はどうやって判断したの?」
「オレが友達になってくださいって言って相手が了承した」
「ふーん」
アリアは髪をいじりながら、興味なさそうに返事した。ひどい。そっちが聞いてきたのに。
「さっきりんちゃんが言った通りだよ。友達じゃなかったら何だっていうの!だよ」
「そうか」
オレはたぶんにやけているのだろう。それはもう気持ち悪い顔で。
「あ、あ、アリアはあなた一体どこから聞いて……」
「えへへ、ひみつ~」
そう言っていたずら気にアリアは笑う。竜胆は頭を抱えている。別に恥ずかしがることないのに。オレはかっこよかったと思うぞ竜胆。
「あ、そうだ皆の昼食を屋台で買ってきたんだよね。腹が減っては戦はできぬって言うしね」
アリアは両手に持ったビニール袋を持ち上げる。いい匂いが漂ってくる。どうやらオレたちの分も含めて昼食を買ってきてくれたらしい。
「あ、アリアが食べ物を分けてくれるだとぉ……!」
「私を食いしん坊キャラにしないでくれるかな!?」
「失礼よ日下部くん。アリアだって分けてくれるわ。自分の分をしっかりと確保した後でね」
「りんちゃん!?」
アリアはひどい裏切りを受けたような声をだす。竜胆はさっきの仕返しか笑顔でその文句を受け流している。
ずっと見ていたい光景だが、オレは二人を呼ぶ。
「アリア、竜胆」
オレは深く頭を下げる。もしかしたらこんな行動は友達同士では無粋なのかもしれないが、友達初心者なのでしょうがない。
「オレを助けてほしい」
「「もちろん」」
その声はとても頼もしかった。
この章が最終章なわけではありません。
友達は彼のゴールで会って、彼女らのゴールではないので。