彼は先輩に教えを説く
「それで先輩はこんなところでこんな時間まで何をしてたんですか?」
「こっちのセリフだよぉ……」
オレはクレンジングシートでお化けメイクを落としながら百瀬先輩に尋ねる。百瀬先輩はへたり込みながら弱々しく答える。
クレンジングシートは買った覚えはないが、カバンの中に入っていた。メイクに気づいた時に直ぐに落とせるように、誰かが入れてくれたのだろう。その優しさに思わずキュンとしちゃう。まあ、メイクをしたのも多分そいつなのだが。
好感度を自分で下げて自ら上げる。どうやらうちのクラスには凄腕のジゴロがいるようだ。もしそれがアリアや竜胆だったらどうしよう。お母さんそんな子に育てた覚えはないざますよ。最近のトレンドはやっぱり、純愛だよ。
「オレですか?オレは気絶させられた後、お化けのメイクをされて、教室に放置されていました」
「日下部くんってもしかしてクラスでいじめられてる?」
本当じゃん。
「いや、事実の羅列を聞くとそう感じるかもしれませんが、実際はもっとソフトな感じですよ」
「気絶のソフトって……?」
「知ってます?寝落ちも気絶らしいですよ」
「寝落ちだったの?」
「いいえ」
「……。」
そんな目で見んといてください。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。今の会話なんじゃボケェと百瀬先輩が普段言わなそうなことをその目は雄弁に語っていた。たしかに時間を無駄にした自覚はある。
「まあ、その犯人とは中々ハードな関係なんで。彼女とはこれが普通なんです。どれくらいハードかと言うと女子校への侵入方法を一緒に考えたり、放課後の教室で迫られたり、手錠で拘束されたりするぐらい」
「そんな人とは縁を切った方が……彼女?え?女子?」
「そうですよ」
オレの回答に何故か先輩はもじもじとして、遠慮がちに言った。
「えっと……その女の子って、その、日下部くんのこと好きなんじゃ……」
何を言うかと思ったら。
「はは、まさか」
「軽い。だけど迫ったり、手錠をはめたり、そんなことしてくるなんてそうとしか……」
「相手を好いての行動にしてはだいぶ屈折してますけどね」
ヤンデレも見聞きしている分には良いが、自分が関わるとなるとノーサンキューって感じだ。
「彼女との関係を一言で表すなら……同担?しかも推しへの愛には共感してほしいが、推しへの愛の大きさは負けたくないし、推しに認知されようもんなら排除にかかる厄介オタクですね」
「うん、わからない」
「オレも言葉を重ね過ぎたなと思いました」
さて高校生の皆さん大注目の国語の裏技だ。だいたい長い文章で重要なのは、最初と最後。つまりはここで言うと同担と厄介オタク。完璧に神楽坂さんを表している。なおこの裏技をテスト等で使用しての苦情などは受け付けておりませんので悪しからず。
「まあ、オレはそんな感じでここに辿り着いたわけです」
「うん、まあ、日下部くんがあんな顔だった理由はわかったかな。あと交友関係がおかしい」
はは、ナイスジョーク。あなたもそんなおかしな交友関係のお一人よ。中々、百合ハーレムのメンバーなんて居ないのではないだろうか。希少だ。いやーオレ自身は普通の男の子でキャラが薄くて申し訳ない。オレも何かキャラ付けをした方がいいだろうか。語尾になんか付けるか。
「それで先輩はどうしてここに居るでゲス」
「安易なキャラ付けはやめた方がいいと思う」
正論は心にくる。
「私は劇の練習をしていたの」
「そんなにギリギリなんですか?」
その質問に先輩は恥ずかしそうに首を振る。
「ううん。ちゃんと台詞も暗記してるし、劇の流れも頭に入ってるよ。でも、どうしても不安だから、こうして居残り練習を」
そう言いながら、床に置いてある台本を拾って、ペラペラとめくる。A4の紙をホッチキスで止めただけの簡単な台本。その台本はもうボロボロで沢山の付箋も貼ってある。努力の跡が感じられた。
「それに緊張をしないようにするには、たくさん練習するのが良いって日下部くんに教わったからね」
そんなようなことを言った気がする。
もしかしたら先輩がここに居る理由の一端はオレにあったかもしれない。
「先輩。劇は確か2日目でしたよね?」
「うん。そうだよ」
「文化祭の準備はちゃんと全部済んでますか?」
「えっと、劇はもう大丈夫だと思う。明日、ちょっとだけ練習すれば完璧になると思う」
さて完璧なのにこうして練習している先輩のちょっとはちょっとで済むのだろうか。そんなはずがない。
「劇?誰がそんなこと聞いたんですか?」
「日下部くんだよ。日下部くんが今聞いたよ。忘却があまりにも早すぎるよ」
オレはやれやれと首をふる。
先輩の持つ台本がグシャと歪む。先輩の足も一歩こちらへと踏み出されている。え?もしかして殴ろうとした?まさか優しい百瀬先輩がそんなことをするはずないよね。
オレは特に意味はないけど一歩下がって言葉を続ける。
「ちゃんと明日の文化祭を楽しむ準備はできているのかって聞いてるんですよ」
「楽しむ準備?」
「そうですよ。楽しむにももちろん準備がいるんですよ。何の気なしに楽しもうなんて素人のやることです」
受動的な楽しみだけでは文化祭なんてビッグイベントを楽しみきれるわけないだろう。能動的に貪欲に楽しみを探求しなければならない。それが玄人ってもんよ。てやんでい。
なお、自らを玄人と称する奴を信用しない方がいい。
「先輩はオレたちのクラスが何をするか知っていますか?」
「えっと。知らないかな」
「そうですか。先輩はオレやアリアがすることになんて興味なんてないですよね。かわいい後輩の頑張りを見に来る気なんてないんですね。シクシク」
「う、うざい(ご、ごめん)……」
「先輩、本音と建前が逆です」
うざがらみしている自覚はあるので、別にいいんですけど。
「あんなに宣伝も頑張ったのに……」
「……あ、もしかして鎧姿の下級生が宣伝していたっていうお化け屋敷?」
「そうですよ。よくわかりましたね」
「準備段階で宣伝に力を入れている所はあまりないし、それによく考えたらそんなことしそうな人が学年に何人もいるとは思えないから、鎧の中身は日下部くんかなって」
「ええ、もう楽しむ準備は万端です」
オレは自信満々に答える。
先輩は何回か頷いて、微かに笑みを浮かべた。中々いい表情になってきたのではないだろか。
「うん、わかった。明日はちゃんとお化け屋敷に行くよ。アリアちゃんと日下部くんの雄姿を見にね」
「先輩……」
茶目っ気を見せながらも先輩らしく対応してくれる優しい先輩だ。そんな先輩にオレは誠実に答えた。
「まあ。オレたち二人は宣伝係なのでお化け屋敷にはいないわけですが」
「よーし。先輩、怒っちゃうぞー」
「あ、待って待って、続きを聞いてください」
オレは先輩のキャラ崩壊を防ぐためにすぐさま寝ころび、服従のポーズを見せる。先輩はジト目でこちらを見下ろしながら続きを促す。全くよい目をするようになったな……師匠としてこちらも鼻が高い。
オレはこほんと咳ばらいを一つ。そして大学教授のように威厳を持ちかつ優しく先輩に言う。服従のポーズのままだけど。
「つまりはオレたちの雄姿を見るためには、文化祭を隅々まで見なければいけないですよね」
「日下部くん……」
「まさか先輩ともあろうものが前言撤回するようなことはありませんよね」
「……うん、ありが……。こうじゃないか。そうだね。後輩の頼みなら仕方がない!見に行ってあげよう!」
「お願いします。先輩」
オレは服従のポーズをやめて、立ち上がりお尻と背中の埃をはらう。
これで文化祭の準備は完璧。
とでも思っただろうか。
いいや。一般人ならそうであろうが、先輩はまだ終わってない。
「百瀬先輩」
「ん。何?」
先輩も台本をカバンにしまい、もう準備が終わったかのような弛緩した雰囲気だ。甘いな。甘ちゃんだぜ。
「文化祭デートの約束はしましたか?」
「ぶふぅ!」
「やはりしてないんですね」
オレはやれやれと首を振る。
「だって、劇の練習でだいぶ岬の時間とっちゃたし。他の人にも悪いかなって」
「大丈夫ですよ。海神先輩がその辺はうまくやるでしょう」
校舎裏での出来事が頭に浮かんだ。消した。
大丈夫!海神先輩なら!大丈夫!彼女はハーレム王になる御方なのだから!
「でも……」
「先輩!ヘイ、パス!」
「え、ちょっと」
オレは電話を掛けた状態のスマホを投げ渡す。
相手はもちろん……
『もしもし、どうしたんだい日下部くん?』
どうしようかとスマホを手を伸ばしてもつ先輩。オレはシャドーボクシングをして、イケイケ攻めろ攻めろと応援する。えぐりこむように打つべし!
「……もしもし」
百瀬先輩は観念して電話にでた。
『え!?どうして日下部くんのスマホから紬ちゃんの声が…………は!まさか二人は今エレベーターに閉じ込められた監禁状態。紬ちゃんのスマホの電池はもうなく。最後に私に声を聞かせようと……待ってて必ず助けに行くから!』
オレはその場から少し離れた。
デートのお誘いを聴くなんてマナー違反だからね。妄想全開の先輩の声が聞こえたのは気のせいだろう。
あ、もう夕日が沈むわ。綺麗だなぁ。
しばらくして電話が終わると、百瀬先輩は両手でガッツポーズをしていた。上手くいったようで良かったです。
「はい、スマホ。ありがとね」
「いえいえ。どうしたしまして」
オレは邪気のない笑顔でスマホを浮かべる。見るからに先輩たちの幸せを願ういい後輩だ。
計画通り……!
これでイチャイチャしている先輩たちが文化祭中に見られることが決定した。しかも今日の流れからして百瀬先輩はお化け屋敷の宣伝をしているオレに近づいてきてくれるだろう。こっちから近づいていっても不自然ではないだろう。デート中にもかかわらずだ。ふっ勝ったな。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうですね」
オレはニチャニチャと笑いながらカバンを持った先輩の後に続く。先輩は屋上のドアに手をかけた。
ガチャ。
ガチャガチャ。
ガチャガチャガチャガチャ。
「先輩?」
「鍵が閉まってる」
「え?」
え?
とりあえずバカな妄想をしていた海神先輩は反省してほしい。