彼らは特訓をする
オレはその教室にある机と椅子をはじに寄せる。そしてあらかじめ模造紙をくっつけて作ってきた大きな紙を床に広げた。
オレはカバンから本を取り出すと参考にするページを開く。
そして用意していた赤い絵の具を取り出すと美術室から借りてきた大きめのハケで紙へと五芒星を書いていく。それから五芒星を中心として無数の円や三角形を描き、幾何学模様で飾っていく。本に描かれている通りに慎重にと。
あとは、五芒星の頂点に、パン、ブドウジュース、燭台、十字架、赤色の口紅を置く。
これで準備は完了だ。
「さあ、百瀬先輩」
「う、うん」
百瀬先輩は怖々と五芒星の中心へと立つ。
「ではこれから言う呪文を繰り返して下さいね。そしたら先輩は生まれ変われますから」
「わかった」
オレは本を持ってすぅと息を吸う。
「ぼうcodeバイしえんシアiAdベオバヒューンんっおk↓dじいdbwんdk。はい」
「ぼう、こでばいし、え?」
「ぼうcoでバイsheんシアiAdベおべばヒューンんっおk↓dじいdどぅんdk。はい」
「何語なの?さっきと微妙に違う気がするし……」
それは、ごめんなさい。こっちもフィーリングで呪文を読んでいるもので。一体何語なんだろうか。いや、呪文とは心に浮かんできたものを読むであっているはずだ。信じるんだ己を。オレはこの本に選ばれている。
「考えないで、感じてください」
「不安だよ。ここまで準備しておいて一番重要そうなところがそんな感じだなんて」
細工は流々仕上げを御覧じろってやつですよ。文句は結果が出てからにしてもらいたい。
「まあまあ試しにやってみましょうよ。ぼうcodeバイしえんシア」
「ぼ、ぼうこうでばいしえんしあ」
「もっと大きな声で!iAdベオバヒューンんっおk↓!」
「いあどべおばひゅんんっおくぅ!」
「dじいdbwんdk!」
「づじぃどぶおわんどく!」
いい。いい。マナの高まりを感じる。百瀬先輩も顔が真っ赤になっている。オレと同様にマナの高まりを感じているのだろう。これならいける。この呪文は成功する!さあ最後の仕上げだ!」
「謌代%縺薙m繧貞、ア縺上@荳也阜繧堤函縺阪k!」
「本当に何を言っているかわからない……」
ああ、力が抜けていくのを感じる。
「ダメじゃないですか。先輩。呪文は最後まで言わなきゃ」
「言おうと思ったんだけど……日下部くん、最後の呪文、文字化けしてなかった?」
「何言ってるんですか?パソコンで打ち込んでいるわけでもあるまいし、文字化けなんてするわけないですよ」
「だよね。私の耳がおかしくなったのかな……」
「では最初からやりますよ。それと僕のことは今は師匠と呼んでーー」
オレが調子にのって師匠面しようしたその時。
「何をやっているんだ君は!」
「どべらば」
背中に衝撃。いつものハリセンのようなチャチな衝撃ではなかった。オレは無様に転がる。
一体誰がこの偉大なる魔術師を足蹴にしたというのか。オレは背中を押さえながら振り向く。
そこには額に青筋を浮かべた海神先輩が百瀬先輩を庇うようにして立っていた。やっぱり白雪姫の配役が逆なんだよなぁ。
「紬ちゃんを空き教室に連れ込んで、師匠プレイだなんて羨まし……けしからん!」
師匠プレイってなんだ。それに空き教室というが、部室の隣の教室だからうちの部活が文化祭で使用するため別に空き教室ではない。
今だって文化祭の準備で部員が入ってきては、魔法陣にビクッとし、オレを見て納得して去っていく。余程オレと魔法陣がマッチしていると見える。今度からはクサカベ魔術師と名乗ろう。
「私だって紬ちゃんに師匠と呼ばれて、好き勝手命令したい!」
「願望を露にするの早すぎませんかね」
さっきギリギリ羨ましいと言いきらなかったのに。
「というか人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。これは前に海神先輩から頼まれていたことを実践していただけですよ」
その言葉に海神先輩は険しい顔で少し考えてから、何かを思い出し、顔が緩む。
「ああ、そういえば」
思い出してもらえたようで何より。
「まあ、恥の捨て方なんて知らなかったので、違う方法をーー」
「だから紬ちゃんは恥ずかしいことを強制されていたのか」
「え?」
「え?」
オレがいつ恥ずかしいことを強制していたというのか。ただ魔法陣の中心に立たせて呪文を唱えさせただけだというのに。
「いえ、オレも恥の捨て方は知らなかったので、緊張しなくなる方法を試そうと思って」
「これが?だいぶスピリチュアルな方法みたいだけど。まだ恥ずかしさを増すための舞台装置と言われた方がしっくりくるよ」
は?カッコいいものばかりですけど?
「というかよく紬ちゃんもこれに付き合ってるね」
「私も恥を捨てる方法だと思ったの」
「失礼な。黒魔術の本に載っているれっきとした魔術ですよ」
「もうどこから、つっこんでいいのか」
「全く魔術の素人は黙っていてほしいもんですわ」
「君もだろ」
おっと、そんじょそこらの人とは一緒にしないでもらいたい。こちとら、とあるシリーズを全巻読んでいるのだ。地の文までしっかり読み込んでいるオレの魔術知識は豊富なのだよ。
それにしてもあのシリーズは一体いつ終わるのだろうか。まだ作中で一年も経っていないどころか、無印一巻は確か7月なので半年ほどしか経っていない。未だお正月にたどり着かない。半年でどんだけ世界の危機が訪れているんだろうか。
閑話休題。
「で、この魔術とやらの効果は?緊張を和らげるとか?」
いやいやそんなさらっとした効果な訳ないでしょ。黒魔術の本ですよ。
「効果は人の感情の消失です」
「何をしようとしてるんだ君は!恐ろしい魔術を紬ちゃんで試すんじゃないよ!」
「何かを得るためには犠牲が必要なんですよ」
「得るものと犠牲が釣り合ってない!」
「私も感情を無くすのは、ちょっと……」
「でも黒魔術ってそんなもんじゃないですか?」
「じゃあそれをやめなさい」
魔術を妨害しようと言うのか、海神先輩はペットボトルのぶどうジュースの蓋を開けるとごくごくと飲んでいく。
ああ、先輩が要らないなら、オレが試したかったのに。何を隠そう、オレも一時感情を抑える訓練していたのだ。司馬○也、めちゃくちゃかっこいいなと思って。
まあ特に成果は出なかったが。強いて言うなら姉からどんな横暴な命令をされても、怒りも悲しみも覚えず受け入れるようになったくらいか。
人はそれを諦めと呼ぶのかもしれない。
「では、どうしましょうか百瀬先輩?もう万策尽きましたが」
「協力してもらっておいてあれだけど、黒魔術しか策を用意してなかったんだ……」
「あとは、ありきたりなことしか言えませんよ?練習を沢山して完璧にして自信を得るとか」
「やっぱり練習かなぁ。一応台本とかは完璧に覚えてるんだけど」
「あとは観客をジャガイモだと思えとか」
「よく言うけどそれって正直無理だよね」
うん。どう足掻いても人は人に見える。なんでジャガイモとかカボチャとかに置き換えるんだろうか。お前ら全員イモ野郎ということかな。何だか嫌なやつだね。
「そういえば後輩くんは緊張とかするのかい」
「そりゃしますよ」
「どんな時に?」
「……。」
どんな時だろうか。オレが緊張する時。人前で発言する時。しないな。先生と会話をする時。しないな。テスト返し。しないな。
「あ、神楽坂さんと会話する時」
「それは、その神楽坂さんが綺麗すぎるとか?」
「違います。神楽坂さんは超シスコンです。そしてオレはその人の妹と仲が良い」
「日々戦場じゃないか」
さすがは先輩。状況の把握が早い。毎回神楽坂さんに話しかけられるたびにビクビクしているのだ。神楽坂さんの目のハイライトを確認するのが朝の日課だ。
「む、後輩くんの緊張する場面からヒントを得ようと思ったが無理なようだね。やっぱりさっきみたいに恥を捨てる練習を」
だから一回もそんな練習はしてないんですよ。
「じゃあこれ試しますか」
オレはポケットからあるものを取り出す。それは五円玉に紐がついたもの。もう何に使うかはお分かりだろう。
「催眠術」
「この変態め!」
「なんで!?」
先輩が急に罵倒してきた。
「なんでって当たり前だろ!催眠術なんて……!そんな催眠術なんて!」
「「?」」
「くっ、紬ちゃんはともかく後輩くんまできょとん顔とは……」
一体全体海神先輩は何を荒ぶっているのだろう。オレと百瀬先輩は顔を見合わせて首を傾げる。
「催眠術といっても、気休め程度の自己暗示ですよ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだみたいなもんです」
「私がネットで検索した時も似たようなことのってたよ?」
「いや、だって男が女の子に催眠術……」
「「?」」
海神先輩の要領の得ない説明に、薄い反応を示しているとついに。
「わ、私が汚れてるんじゃないんだぁぁぁぁぁぁ!」
先輩はそう意味不明な供述をしながら教室を飛び出していった。
「……とりあえず海神先輩は恥を捨てれてますね」
「そうだねぇ」
オレたちは魔法陣やらを片付けるのであった。




