彼はどうやら自立させられる
口の中がまだ痛い。
オレはヒリヒリする口を買った牛乳をがぶ飲みしながら癒す。全くアリアには困ったものだ。得意のお菓子作りで負けて悔しいからって人に当たらないでほしいですわ。そういう精神が自分の成長を止めるんだぞ。
「ただいま~」
しーん。
鍵が開いてるのに誰からの返事もない。不用心だな。大方姉ちゃんがふらっとコンビニでも行ったのだろう。オレは気にすることなく自分の部屋へと向かった。
ガチャリとドアを開けて自分の部屋へと入る。当たり前だがいつも変わらない光景が広がっている。ポスターにタペストリーが並んだ壁。マンガ、ライトノベル、フィギュアが並べられている棚。ベッドの上の膨らんだタオルケット。
なおオレは出版社別に綺麗に並べたい人だ。そして電子書籍ではなく紙派だ。電子書籍のメリットもわかるが、オレは本屋で本を選んでいる時間が好きだし、自分の部屋で並べてある本を見るのも好きだから未だに紙派だ。まあなにより紙の方が読み慣れているから読みやすいというのが大きいが。
「うーん。お姉ちゃん?帰ってきたのか?」
「誰がお姉ちゃんだ」
どっちかというと兄だろ。たぶん。最近では女装の頻度も増えてきて、怖いものがあるが。
「何でいるんだよ。華恋」
うん、最初に部屋に入った時から違和感はあったんだよ。ベッドの上のタオルケットが膨らんでるしね。姉ちゃんが隠れてお茶目にもオレを驚かそうとしてるのかなと一瞬思ったが、そんないちゃつくカップルみたいなことはしたことないから違う。空き巣かもしれないと思って一回スルーして様子をみるを選択したが。
オレの声に反応したのか、もぞもぞとベッドから抜け出すと、華恋は寝ぼけ眼でこちらへ近づいてくる。
「お姉ちゃん。はい、おかえりのチュー」
「てい」
「あう」
オレはデコピンでこの困ったちゃんの目を覚ます。神楽坂姉妹の背徳なる関係を見てしまった。おそらく姉主導であろう。こんな純粋な子に何をやらせているんだろうかあのシスコンは。というか口と口じゃないよね?ほっぺとほっぺ、あってもほっぺと口だよね。信じてるぞ神楽坂さん。さすがのオレでも口と口はちょっと引く。
「いてて、あれ?宗介?おかえり」
「ただいま」
目の焦点がやっとオレに会う。正気に戻ったようでなによりです。
「あはは、間違えて宗介のことお姉ちゃんって呼んじゃったな。恥ずかしい」
「恥ずかしがるところはもっと他にあるぞー」
そんな間違えて先生をお母さんと呼んじゃったみたいなテンション感でこられても。何回も言うが一体神楽坂家の教育はどうなっているのか。最近気が付いたが、神楽坂さんが華恋に色々仕掛けにくくなるから、このままにしているのではないかと思えてきた。姉ちゃんもそうやってオレに女装が普通のことだと思い込ませてたし。
「まあいいや。で、姉ちゃんはどこへ行ったんだ?もしかしてまた約束の時間に遅れているのか」
「なんで空?空はたぶんまだ大学じゃないか?」
「え?」
「え?」
「じゃあどうやって家に入ったんだよ」
「え。宗介のお母さんに合鍵をもらってたからそれで」
「不用心の極み!」
おいおい、うちの親は一体どういう精神をしているんだろうか。まだ出会って一ヶ月ぐらいの相手に合鍵を渡すとか何をやっているんだ。
「うちの子になるか、合鍵をもらうかどちらか選びなさいって言われたから」
「もうそれほぼ同じ意味なのでは」
「丁度げんぷく?する子がいて部屋が空くからって」
「オレが捨てられるんかい」
大学まで面倒を見てもらう気満々でしたよ。元服って……まさかうちがそんな武士の家だとは思わなかったよ。
「大丈夫だぞ。宗介が捨てられたらわたしが拾ってやるからな」
「それはどうも」
君のせいで捨てられるんですけどね。
「クローゼットに入っとけばわたし以外開けないから安心だぞ。わたしは少食だからご飯も分けてあげられる」
「その計画は進めなくても大丈夫なやつです」
具体的な案出しを始めるな。オレは意地でもこの部屋から離れんぞ。華恋を人質にして立て篭もってやる。ははは、失敗して制圧される未来しか見えない。おそらく全員が敵に回るからな。
「お?」
突然華恋は何かに気づいたような声を上げる。すんすんと華恋は鼻をならし、そのままオレの方へと近づいてくる。
くんくんくん。なんか子犬みたいだな。
「何?」
「宗介から甘い香りがする」
あーそりゃするだろうな。あれだけ甘い香りの中にいたら匂いも染みつくだろう。
「今日部活でお菓子を作ったからなその匂いだろ」
「だからか。宗介も作ったのか?」
「ああ」
「そうか。宗介はお菓子も作れるのか。なあ宗介。今度わたしにお菓子作りを教えてくれないか」
「それは別にいいけど。ぶっちゃっけ買った方がいいんじゃないか」
美味しいし、あと。
「うん。だけどお姉ちゃんがいつもお菓子を作ってくれるお礼だから」
安心だから……
華恋と話しているとどこにでも首を突っ込んでくるな姉は。
「ちゃんと食べる前に誰かに毒見させてるか?」
「あははは!相変わらず面白いな宗介は。そんなことしているわけないだろ。お姉ちゃんが作ったんだぞ」
そっちこそわかってるのか。神楽坂さんが作ってるんだぞ。どうあってもこの議論は平行線をたどるので余計な口出しはしないが。
「お礼に手作りお菓子か。まだ早いんじゃないか」
「そうか……やっぱりわたしにはまだ早いのか」
「いや、神楽坂さんにまだ早い」
「お姉ちゃんを乳児だと思ってるのか?」
そんなわけなくない?やめてね。なんか弩級の変態みたいだから。
神楽坂さんの精神の心配をしているに決まってるだろう。神楽坂さんは華恋の手作りお菓子をもらった瞬間に歓喜のあまり倒れ、口にしようものなら昇天してしまうだろう。いや、もしかしたらもったいなくて決して食べないだろうから大丈夫か。
「まあ、いつかな」
「ああ、約束だ」
ん!と華恋は小指を突き出してくる。オレは少しだけ笑って小指を絡めた。
「嘘ついたら、宗介のフィギュア全部うっぱらーう。指き……」
「ストップだ。華恋」
なんで突然悪魔のような契約を持ち出したんだ。
「なんだその文言は」
「こうすれば絶対約束を守ってくれるからって、空が」
「姉ちゃんの入れ知恵か」
じゃあ約束を破ったらあの姉は絶対やるじゃん。
「私もそれはさすがにひどいんじゃないかと言ったんだが、針千本飲むより簡単なんだからこれは優しさよと言われて、確かになぁと思って」
「え、確かに」
え、オレ騙されてない?
「それに宗介は絶対約束を守るから、どんな文言でもいいだろ」
華恋はそう笑顔で言った。本当にオレが約束を破るとは一ミリも思っていない感じだ。最初、いつかなという言葉で濁そうとした自分が恥ずかしい。今の言葉が一番オレに約束を守らせるだろう。
オレたちは改めて小指を絡める。
「嘘ついたら。宗介のフィギュア全部うっぱらーう。指切った!」
「た!」
華恋は自分の小指を見つめてはにかんだ。
初心者でも作れるお菓子を考えておかなきゃな。やっぱりグミかな。オレの好みを押し付けちゃだめですよね。大切なのは真心。でも神楽坂さんだったら華恋がどんなものを作ってきてもさっき予想したようなリアクションするだろうな。
「楽しみだな~お菓子作り。うちの家族はひどいんだぞ。絶対私をキッチンに入れてくれないんだ。前にちょっと目玉焼きを焦がしちゃっただけなのに」
「…………。」
うん。それだけでキッチン出禁になることないよね。
もしかして華恋ってドジっ子属性かメシマズ属性を持ってます?どっちもありそう……