彼は改めて宣戦布告される
「何だか眠そうですね」
バイト中、隣に立つ竜胆が言う。
そりゃ眠くもなる。
オレはお店の中を見渡す。日曜日の昼下がり。静かな店内。穏やかなBGM。文庫本を一冊持って、コーヒーを一杯頼んだら、とある休日の贅沢時間。そんな贅沢な時間を享受する人は誰もいない。
店員2人に対して、お客さんは0人。閑古鳥が鳴いている。忙しさの欠片もない。
オレと竜胆はとても真面目なので、色々仕事を探しては行っていたが、そろそろ本当に仕事も無くなりそうだ。今は二人で食器やグラス、アンティークなどを磨いている(n回目)。アンティークは兎も角、食器やグラスは食洗機で洗っているので、本来であればこれも必要ない労働である。そろそろグラスが摩耗で割れるかもしれん。
因みに閑古鳥とはカッコウのことである。托卵の習性で知られる鳥だ。つまりカッコウは子供に義姉・義妹または幼馴染を作り出すということだ。多分鳥の世界のラブコメはきっと托卵から始まるのがテンプレ化している。
「さっきからずっとあくびを噛みころしているでしょ」
「ばれていたか。大々的にしてないから許してくれ」
「いえ、とがめているわけではないけれど。そういえば日下部くんって夜型、朝型?」
「夜型だな」
中学生の頃、深夜の特別感が好きだった。テスト勉強という概念ができた頃、同時に親から深夜まで起きていることが許された。まるで今日がそのまま続き、明日が一向に来ないような。その錯覚に中学生の頃は胸をときめかせた。そうして夜更かしを続けた結果、オレはすっかり夜型になってしまったわけだ。
しかしながら今の夜更かしは何だか昔と比べて、特別感が薄れた気がする。もう慣れてしまったからだろうか。あるいは、親から禁止されていた事ができるという解放感が薄れていってしまったからなのか。
カリギュラ効果というものがある。ある行動を制限された時、むしろその行動をしたくなるという人間の心理の動きだ。日本ではこの効果をダチ〇ウ俱楽部効果って呼びません?だってもうあの方たちのおかげで「押すなよ」になってるじゃないですか。
この効果の逆説的に許可されていることは、その行動への意欲が損なわれるのだと思うのだ。つまりあの時のときめきを思い出すには、いくらかの不自由さが必要なわけだ。でも不自由になったら今度はきっと自由を求めて動き始めるに違いない。
「人間ってなんて勝手な生き物なんだろうか」
「ええ、そうね。今していた話をぶっとばしてそんな可笑しな話をし始める人もいるぐらいだしね」
ごめんて。
「最近はちょっと早起きしていてな、それで今眠気が襲ってきているわけだ。竜胆は朝型か?」
「ええ、よくわかったわね」
「何となくイメージ的に、竜胆には夜より朝が似合うなって思って」
「それは褒めているの?」
「いや?純粋な感想だから。特にどっちでもないけど」
「……そう」
「やっぱり夜更かしは美容の大敵とか、朝の方が効率の良い頭の働きをするからとか、朝型になった理由があるのか?」
「………………」
急に黙ってどうしたの?
「……だって夜は眠たいじゃない」
竜胆は恥ずかしそうに言った。
可愛いかよ。
「夜は眠るものだからね。仕方がないよ」
「そのあたたかい目で見るのはやめて」
そら、そんな目にもなりますて。
「多分アリアは午後3時型だな。おやつの時間」
「アリアをオチに使うのはやめなさい」
こりゃ失敬。
***
益体もない話をしながら働いていると、やっと本日のお客さん第一号がいらっしゃる。
「おっ、ここならゆっくり過ごせそうですよ」
「さらっと一見さんお断りみたいな喫茶店に入る高校生嫌いだわ」
「なんでそんな酷いこと言うんですか!?」
話しながら入ってくる二人の高校生。
「「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」」
慣れたもので、定型文が自動で口から出てくる。
入ってきた二人、そのうちの一人はオレを見るなりにビクッとして入口に一番近い席に座ろうとしたが、もう一人がずんずん奥に進んでいくので、そわそわしながらついていく。失礼しちゃうわ。人の顔を見るなり一番逃げやすい席に座ろうとするなんて。
「さて、ではオレはお冷をだしにいきますね」
「待ちなさい。まず私にこの変な仮面を被せた理由を言いなさい」
変とは失礼な。
オレが二人の高校生が入ってきた瞬間、咄嗟に竜胆に被せたの仮面舞踏会でつけるような目元を隠す仮面。赤を基本としては両端には羽根を広げるような装飾がついている。この店のアンティークでオレがさっきまでお手入れをしていたものだ。
被せたのはオレの趣味ではなく、勿論理由がある。今入ってきたお客さんが梓山高校の生徒だからだ。竜胆は言うまでもなく美人高校生だ。それも学年ではアリアと人気を二分する程の人気もある。学年では日々、竜胆派、アリア派、百合派がその覇を競っている。三分してんじゃん。
しかし竜胆に近づくのは容易ではない。本人のATフィールドもさることながら、常にアリアが近辺をガードし、遠くからは百合派と女子テニス部が絶対のガードをしている。
そんな竜胆が接客してくれる喫茶店。竜胆目当ての客で溢れかえることになるのは想像に難くない。今まで若い人が全然来ないので油断していた。
そのため竜胆には顔バレを防ぐための仮面をとっさにつけてもらったわけだ。あと、なんか来たお客さん的にややこしいことになる予感がしたから。
……仮面で顔を隠した美女が接客してくれる店。コンセプトカフェかな?普通に人気でそう。さっきから竜胆のジト目も相まって需要しか満たしていない。
「あれだ、ハロウィン仕様ってやつだな」
「まだ9月じゃない」
「よく似合ってるよ!」
「……ごまかし方が雑になってきたわね。そんなで私が納得すると思ったら大間違いよ」
「アー オキャクサマヲ オマタセスルワケニー」
オレは自然な形で離脱するとお盆にお冷とおしぼりをのせて持っていく。
「いっらしゃいませー」
にこやかな笑顔をふりまきながら、お客さんの前にお冷とおしぼりを置いていく。
「ど、どうも」
おいおい、オレがこんなに百万ドルのスマイルを振りまいてやっているというのに顔がひきっつてるぞ、一ノ瀬光。
そんな一ノ瀬の様子を怪訝そうな顔で見る友人。それからオレの顔をまじまじと見て、何かに気づいたような顔ををする。
「げっ、もしかして日下部宗介?」
今、げって言った?何故名前を知っている。もしかして何処かでお会いした事ありましたっけ?
「すみませんお客様。当店では店員へのナンパはお断りしております」
「してないが!?」
「ご注文はお決まりですか?」
「このタイミングで!?か、絡みづれぇ」
「そんな組んず解れつなんてセクハラですお客様」
「してないが!?というか組んず解れつにエロい意味はねぇよ!思春期か!」
おい、この友人中々やるぞ。ツッコミ強者の気配にオレはたらりと冷や汗一つ。
「あの、僕はコーヒーをください」
「はぁはぁ、俺はコーラで」
「かしこまりました」
俺は恭しく頭を下げると飲み物を作りにカウンターに戻るのだった。
静かな店内なので否が応でも会話は店内に響く。カウンターに戻ると竜胆がすでにコーヒーとコーラを準備していた。
ドリップしたコーヒーと瓶からコップに移し替えたコーラを持って、再び一ノ瀬たちの席へと戻る。
飲み物をテーブルに置く時も、二人はどこか身構えている。オレは完璧な所作でお飲み物をサーブすると静々と後に下がるのだった。
どこかほっとしたような二人は飲み物に口をつけ、一息をつくと、カバンからノートや筆箱を取り出す。なるほどファミレスかどこかで勉強会を開こうとして、こんな所まで流れついたのか。こんな所とはなんだ!失礼な!
***
「そういえば一ノ瀬さ。何か球技大会にガチじゃない?」
「ゴホッ!ゴフッ!うぇ、え?な、何が?」
「動揺しすぎだろ」
勉強をし始めてから暫くして、勉強が一段落ついたのか友人くんがぽつりと言った。ちょっとした雑談のつもりだったのに一ノ瀬が動揺しすぎて友人くんは引いている。
なおこの間に他のお客さんは一人も来ていない。
「いやいや、別に普通ですよ」
「あれで普通はないだろ」
友人くんはくるくるとシャーペンを回しながら思い出すように言う。
「だってお前、サッカーの技術本とかめっちゃ見てるし、バスケ部が終わってからサッカーの練習しているし、挙句の果てに最近サッカー部の朝練習に参加させてもらっているだろ?」
「ふ、普通です」
「ほーん。誤魔化すってことはなんか理由があるわけか」
あの友人く滅茶苦茶詰めるな。
しかし一ノ瀬も敵ながら天晴れの練習量だ。これはオレも負けてられない。色々作戦も考えておく必要あるな。
こちらをチラチラと見ながら、挙動不審な態度をとる一ノ瀬。只今彼の頭はどう言い訳をしようかフル回転しているのだろう。目線もぐるぐると回っている。空回りの予感。
そんな彼はメンタルをリセットするように目を瞑る。そして開く。覚悟が完了した顔をしていた。そしてこちらをちらりと見た。
「まあ、別に言いたくない言わなくてもいいけ「好きな子がいるんです」
静寂が店内を包み込んだ。BGMは流れ続けているが、それも一瞬止まったかのように思えた。
友人くんは目を丸くする。竜胆も思わず、仕事の手を止め、一ノ瀬達の方を向く。
店員がお客さんの会話に耳をそばたてる。やってはいけないことだとはわかっている。ただ、これは。
「きっかけはただ落とし物を拾ってもらっただけでした。それだけです。ただの親切。きっと彼女は他の人にもああやって優しくしてくれる。それでもあの時、走って僕にハンカチを渡してくれた彼女の笑顔が頭から離れないんです」
「ちょ!急にどうしたんだよお前!赤裸々な告白なんてし始めて。俺に聞かされても困るって。というか同じ高校のやつがそこにいるんだぞ?忘れてんのか?せめてもうちょい声を落とせそうぜ」
慌てたように一ノ瀬を止めようとする友人くん。一ノ瀬の言葉をかき消すように声をあげる。勉強と勉強の合間の雑談にしては本気過ぎるその内容に彼は一人あせる。
友人くんはきっと良いやつだ。しかし一ノ瀬光は止まらない。だってこれは対話ではなく、自分を追い込むための宣戦布告。
***
「何度か彼女に話しかけようとしました」
「でもタイミングが合わなかったり、他に用事を頼まれたりで、全然話しかける事はできませんでした」
「まるで意図的に邪魔されるかのように」
「そんな訳ないんですけどね。でもそれぐらい話しかけることができなかった」
「運命がそうしているのか。そんな風に思った事もあります」
「僕はただ彼女を目で追うだけ」
「そんな時に気づいたんです」
「彼女がただ一人を目で追っていることに」
「彼女がただ一人に気を許していることに」
「彼女がただ一人に特別な笑顔を向けていることに」
「僕は無理矢理にでも彼女の視界に入ろうと思いました」
「それがたとえ敵役だとしてもです」
「だってまずは知ってもらわないと、そう思ったから」
「だから僕は球技大会で勝ちます」
「日下部宗介。あなたに勝つ」




