彼らはインドア夏休みを過ごす
「あれ?誰もいない」
オレたちが自分の部屋から出て一階に降りると、リビングには誰もいなかった。というか家にオレたち以外の人の気配がない。今日は母さんと姉ちゃんはいるはずなのだがどこにもいない。
父さんは普通に仕事だ。いつもありがとうございます。今度、例のラノベの続刊を父さんの書斎に置いておきますね。大丈夫、心配しないで。ちゃんとカモフラージュとして真面目な文学の表紙に入れ替えてから置いておくから。なんて気遣いができる息子なんだろうか。
食卓の上を見ると、机の上に一枚のメモが乗っけてあった。
『宗介へ お母さんとお姉ちゃんは突然ジャンバラヤが食べたくなったので、ネパール料理屋に行ってきます』
うちの食卓にジャンバラヤは出てきたことないんだけど、突然食べたくなることある?あとネパール料理屋にジャンバラヤは置いてない。
「だってさアリア。オレたちの昼食はどうしようか?」
オレはメモをひらひらさせながら聞く。
このメモがあるってことは、昼食はこっちでどうにかしろってことだろう。
「私、作ろうか?台所と食材を借りられるならだけど。あ、食材は借りるじゃなくて貰うかな」
「じゃあ一緒に作るかー」
オレは冷蔵庫の中身を漁る。
「冷やし中華でいい?」
冷蔵庫の中に冷やし中華セットがあるし、野菜室には確か夏野菜があったはずだ。
「冷やし中華……」
「嫌いだったか?」
「ううん。というか食べたことないからわからない」
「まじか」
まじかとは言ったものの、あの家には確かに冷やし中華は似合わないだろうなと思った。オレも冷やし中華を外では食べたことないし、家で出ないのならば食べる機会もないのだろう。冷やし中華だと家で作るしなという気持ちになって、外で頼まないんだよなー。あと、オレは未だに「冷やし中華始めました」と書かれたものが店先にあるのを見たことがない。もうどこも冷やし中華を始めてないのだろうか。
「ふっ、ではアリアの新たな門出だな。祝宴だ」
オレは中華麺を持ちながらそう言った。
「うん、うん。そうだねー(棒)」
流された。
「……ううっ、アリアは何か苦手なものとかあるんだっけ?」
「つまらないボケ」
「おい、やめろ。今の言葉は切っ先がオレに向かってたぞ」
怖くてボケれなくなったらどうする。ウィットに富んだ会話がオレの長所だというのに、それがなくなったら、ただのちょっと勉強ができてちょっと運動ができるクールな高校生になってしまうじゃないか!
あれ?オレ喋らない方が得じゃね?
「食べ物で苦手なものだよ」
「ないよー」
「了解」
だったら普通の冷やし中華の具材を出せばいいな。オレは冷蔵庫から出した食材を台所に並べる。トマト、キュウリ、卵、ハム、いなご。
「さて、作る「キャァァァァァ!」
い、いなごさーん!
オレはアリアがぶっ飛ばしたイナゴのパックを床に落ちる前にキャッチする。
「な、な、何を出してるの!」
アリアは手をごしごしと洗いながら言う。
「ふふふ、これは警告だよアリア。質問に安易に答えてはいけないというな」
決してさっきのつまらないボケという回答に傷ついたから、ちょっとアリアの驚く顔が見たかったというわけではない。
「それは食材じゃないもん」
「おい、失礼なこと言うなちゃんと食べれるわ」
「鳥が?」
「アリアよ、これ以上罪を重ねるんじゃない」
ちゃんと人間が食べるわ。冷蔵庫から出てきたところ見たでしょうが。たまにうちの祖母が送ってくれるのだ。善意で。
オレはその善意の塊(たまに目が合う)を冷蔵庫にしまうと、気を取り直してアリアに指示する。
「それじゃあ、アリアは野菜とハムを切ってくれ、細長く」
オレはその間に麺を茹でて、卵を焼く。
「あ、ちょっと待って宗介くん」
「何だ?」
「虫を触ったんだからちゃんと手を洗ってね」
「だから食材だって」
***
「おいしかった~」
オレたち二人は昼食を食べ終えると、再びオレの部屋に帰ってきた。
冷やし中華はいつもの味で普通に美味しかった。アリアの口にあうかどうかは不安だったが、満足そうで良かった。よく考えたら、アリアはファミレスの料理でも市販のお菓子でも美味しそうに食べるので、その不安は杞憂だったな。たぶん、いなごもいけるんじゃないか?あれ、見た目に反して味は悪くない。
「これからどうするアリア。アニメでも見る?」
お腹が一杯で、特に何も考えずにオレは冗談交じりにそう言った。
「うん、いいよ~」
「え、いいの?」
「うん、いいよ」
まじか。
オレの頭が高速で稼働する。
一体ここでどのアニメをチョイスすればいいかということだ。
オレが主に見るアニメと言ったら日常系アニメ。だが一応少年漫画のアニメをちゃんと履修している。一般的に勧めるとしたらこっちだろう。あと、おそらくアリアが楽しめるのもこっち。少年漫画を女性が買っている所は見たことはあるが、き〇ら系列のマンガを女性が買っているのは見たことがない。以前、日常系アニメの映画を見に行った時も、お客さんの十割は男性だった。じゃあ、やっぱりここは少年漫画のそれもバトル系じゃなくてスポーツ系を勧めるのが無難…………いや、しかし待て。それでいいのかオレ。ここで少年漫画を薦めるのは逃げではないだろうか。この部屋を見せておきながらその選択をしたら、「やっぱり恥ずかしいんだ」と思われるのではないのだろうか。それはオレとしては本意ではない。では、どのアニメを見るか……。はっ!聞いたことがある。コミック百〇姫の購買層は女性に偏っているということを。つまりこの場での選択として正しいのは、百合系の作品……!
「あ、私これ見てみたいかも」
アリアさんや。人のパソコンを勝手に開くのをやめようね。
オレの葛藤をよそにアリアはオレのパソコンを持ってくると、クッションに座ってアニメサイトを開く。
アリアが選んだのは一番有名な日常系アニメと言っても過言ではない軽音部のアニメだった。
「何故このチョイス?」
「名前知ってたから」
一般の方にも名前が売れているなんて流石すぎる。
オレはパソコンをアリアから受け取ると、パソコンを操作する。
「よし、これで見れるぞ」
「ありがとう。はい」
アリアはイヤホンを左耳にはめると、もう片方をオレに渡してきた。
「大丈夫だ。アリア、台詞は全部覚えてるから両耳つけていいぞ」
「………………いいから」
「いやいや、そんな気を遣わなくてもいいぞ。そしてちゃんと両耳で楽しむんだ。五感をフルに使え」
「はいはい」
「あう」
オレはアリアに引っ張られて、パソコンの前に無理矢理座らされる。笑顔で圧をかけてくるアリアからイヤホンを受け取ると、オレたちは肩を並べてベッドに寄りかかりながらアニメの視聴を始めるのであった。
***
オレたちは夕暮れの街を歩いていた。
「今日はありがとうね。あと突然押しかけちゃってごめんね」
アリアが言う。
あのあと、特に会話することなくアニメを鑑賞した。しかしワンクール全部は見切ることもできず、日も暮れ始めるということで、こうしてアリアをバス停まで送っていた。
「いえ、何のお構いもできませんで」
反射的に定型文を返す。反射で返したが思い出してみると本当に何もしてないな。こっちは耳かきをしてもらい、推しのアニメ布教できたというのに。
「……何のお構いもできませんで」
「何で2回言ったの?」
自らの意志で心をこめて言ったのです。
「いやさ、アリアは今日は楽しかったのかなと思ってさ」
「楽しかったよ。それに言ったじゃん。今日は宗介くんの好きなものを知りに来たって。だからあれでいいの」
アリアは笑って言う。
「あ~勘違いさせたらごめんだけど、実はオレ別にいなご好きなわけじゃないんだ」
「もう、それはいいから」
ええ!虫を無視しろってことですか!
流石に口に出さなかった自分を褒めて欲しい。
「でも、アリア、アニメの時ちょっと寝てたよな」
「あー……えへへ、バレてたか」
アリアは照れたように、頬をかく。朝早かっただろうから仕方がないよ。
「まあな。だってウトウトしてこっちに傾いてきてからな」
「え、もしかして宗介くんの肩を借りて眠ってたりしてた、とか……」
「いや、ただ肩がオレの腕に突き刺さっただけだな」
ふらふらと揺れるたびにアリアの肩がオレの腕に突き刺さっては戻り、突き刺さっては戻っていった。ちょっと痛かったです。電車の中とかで隣の人に攻撃をしないように気を付けなね。美少女のアリアに与えられても嬉しくない地味な痛みだったよ。
「…………」 ぽすぽす
「え、まさかの追撃?」
言われなき暴力がオレを襲う。アリアは何故か肩が突き刺さったを腕をぽすぽすと叩いてくる。そして大きなため息をつくと言った。
「本当に宗介くんって宗介くんだよね」
「何を当たり前なことを」
オレほど確固たる自分があるやつはいないと誇れるレベル。
「それもそうだね」
バス停に着いた。バスもすぐ来るだろう。ここは都会でもないが、何時間に一本レベルの田舎でもないからな。
二人で並んでバスを待つ。周りにはオレたち以外の人は誰もいない。
汗ばむぐらいの暑さをぬぐうように一度風が吹いた。
「ねぇ、宗介くん」
「何だ」
アリアは風になびいた髪を手櫛で直しながら、尋ねる。
「あのさ、今週の土曜日って暇、かな?」
「普通に忙しい」
「…………。」
ぴしりとアリアが固まった。どうしたの?
「……昼間は?夜は?」
「昼間も夜も忙しいな」
「へーそうなんだー」
アリアがふくれている。
ごめんって。だって忙しいものは忙しいですもん。昼から晩までバイトですもん。
あ、バス来た。
「じゃあな、アリア」
「べっ」
別れの言葉にアリアはすねたように舌を出してから、バスに乗っていった。オレは思わず笑みがこぼれる。そんなことをしても可愛いだけなのに。
バスに乗る途中で、ぴたりとアリアは立ち止まる。
「宗介くん、またね」
少し顔を赤くしながら振り返るとアリアはそう言った。きちんと別れの挨拶をするというアリアの育ちの良さがでた形だな。
「ああ、またな」
オレの返答にアリアは笑顔を返すと、バスのテロップを上がっていく。バスが発進する。
オレはバスが見えなくなるまで見送ったあと、一番星が輝く空を見ながら帰り道を歩くのであった。




