彼は熱戦を繰り広げる
じりじりとした日光が体に突き刺さる。
オレは灼熱のコートの上にまた戻ってきていた。
汗がぽたりと顎から垂れてくる。オレはそれをシャツの裾で軽く拭いた。軽くジャンプをしながら集中する。もうだいぶエンジンがかかってきた。さっきまで聞こえていたギャラリーの声もどこか遠くに聞こえる。髪をかき上げると帽子の中にしまう。
そしてザッと地面を踏みしめると自分のレシーブの位置につく。くるくるとラケットを回しながら相手のサーブを待つ。
ふぅーと息を吐く。
相手がボールをひとつきふたつき、こちらを見据えて呟く。
“この一球、唯一無二の一球なり”
そして流れるようなフォームからサーブが放たれた。
「くっ」
スピードはないが、随分と嫌なところにサーブを入れてきた。コートから追い出されるようにしてボールは跳ねていく。オレはなんとかスライス、ゆっくりで弾まない回転をかけて相手に返すと体勢を立て直す。
ここぞとばかりに強いボールをオレのいない方へと打ってくる相手。
オレも負けじとフットワークの軽さを見せて返す。ボールは良い所へと返った。相手は強く打てない。これで現状は五分。
互いに攻めあぐね、ボールを打ち合う。
その時だった。相手のボールがネットに当たる。ふわりとネットを超えて、オレのコートの前の方に落ちようとする。
「ぐがっ」
オレは追いついた。しかし相手も強者、前に来たオレを見るとすかさずボールをオレのコートの後ろの方へ打つ。
「ふぅふぅ」
やはり体はすぐにボールを追いかける。
ポーンとコートにボールが弾む。もう普通のやり方では返せない。
ならばもうあの方法を選択するしかなかった。遊びでしかやったことはなく、公式戦ではもちろん練習試合でもやったことのないあの技。
オレは空中のボールをそのまま追い越すようにして、またぐとラケットを振った。
股抜きショット。
オレはその勢いのままフェンスにぶつかる。ぐぇ。
ボールは!
すぐさま振り向く。
転々と相手コートを転がるボール。そして天を見上げる相手。
「ゲームセットアンドマッチ 日下部 6-4」
ゲームの終わりと勝者を告げる声。オレは勝ったのだ。その声を聞いてオレはじわじわと勝利の味が体に浸透する。
ネットの前でかすかに笑みを浮かべながら待つ相手。
オレは慌てて駆け足でネットのところまで向かうとテニスウェアの比較的汗が付いていない部分で手をぬぐった。そして相手としっかり握手をする。
「ありがとうございました」
「ああ、ありがとう。負けたわ。私の完敗よ」
「いえ、そんな。紙一重の勝負でした」
「そう言ってくれると嬉しいわ。また機会があればやりましょうね」
「ええ、是非」
オレたちはもう一回グッと手に力を入れて握手すると、互いの背中を叩いて健闘を讃え合う。
そしてコートわきのベンチへと戻る。
「お疲れ様」
「ありがとう」
ベンチに座っていた竜胆がタオルを渡してくれる。
「岡部長もどうぞ」
「ありがとね、竜胆ちゃん」
竜胆はオレと好勝負を繰り広げた部長さんにもタオルを渡す。
ふぅと一息つくオレたち二人。ペットボトルのスポーツドリンクもごくごくと頂く。ぷはーたまらん。部長さんもいい飲みっぷりだ。
そんなオレたちに竜胆は言う。
「それで二人とも、随分と楽しそうでしたが、あなたたちが何で試合しているのか分かってますか?」
え?戦う理由なんてそこに強敵がいるからで……。
「「……はっ!」」
思い……出した……!!
***
「今日は来てくれてありがとう日下部くん」
「練習の相手ぐらいお安い御用だ」
今日、オレは学校からほど近いテニスコートへと来ていた。以前神楽坂姉妹とテニスをしていた所と同じところだ。竜胆が練習相手を探しているというので、オレはその大役を快く引き受けたのだ。
オレは準備運動しながらキョロキョロと辺りを見渡す。コート上にもベンチにも竜胆の比翼連理の仲の相手がいない。
「どうしたの?」
「アリアは一緒じゃないんだな」
「……そうね。誘いはしたのだけど、暑いし、役に立てそうにないから遠慮する、だそうよ」
「役に立てないってことはないだろうけど、確かにこの暑さだと運動部じゃない人はきついな」
いや、オレはもう運動部じゃないけども。
「じゃあ、軽くラリーから始めましょうか」
準備運動を終えて、練習を始めようとしたその時だった。
「ちょっとー待ったーーー!」
声の方向を見る。そこにはコート外でバァーーン!とポーズを決める女性が一人。
「岡部長……」
「部長?」
黒髪短髪でテニスウェアを着た短髪の女性、竜胆のつぶやきを聞くにおそらく女子テニス部の部長は、コートの前で一礼をするとコートに入ってきた。そのままずんずんと竜胆のもとへと詰め寄ってくる。
「ううっ、竜胆ちゃん酷いわ!」
「何がでしょうか?」
「何が!?今、あなたがしていることよ!私を捨てて、こんな男に走るなんてひどいわ!あの私との甘い日々は嘘だったの!」
「あの、岡部長落ち着いてください。岡部長には一回ほど練習を見てもらっただけでしたよね」
「昔はぶちょーぶちょーって私に寄ってきたのに、今はこんなに冷たくなってお父さん悲しい!」
「そんな事実はありません。あなたが部長になったのつい最近でしょう。あと、面倒なので彼女面をするのか父親面をするのかどっちかにしてください」
「竜胆……」
「ちょっと待ってくれるかしら日下部くん。今、この人を黙らせるから」
「アリアというものがありながら浮気するなんて!」
「わかったわ。あなたも黙ってて」
いや、きっと竜胆のせいじゃない。この人が竜胆をたぶらかしたのだ。オレはきっと部長さんを睨みつけながら、竜胆と部長の間に立ちふさがる。
「やいやいやい、竜胆を相手にしたいならまずオレを倒してからにしてもらおうか」
「ええ、そうさせてもらうわ。勝負よ!勝った方が竜胆ちゃんを育てることができる!それでいいわね!」
「望むところです!」
竜胆とアリアの関係をオレが守る!
***
「私との練習の相手を決めるはずだったのに、二人で、二人だけでとても楽しそうでしたね」
「「ごめんなさいでした」」
オレと部長さんは深々と竜胆に頭を下げた。竜胆の視線がチクチクと頭に突き刺さるのを感じる。
「はぁ、それで部長、これで文句はないんですよね?」
「ええ、竜胆ちゃんがテニスを出汁に男の子とイチャイチャするのだと思ってたけど、どうやら本当にテニスの練習みたいだし良かったわ」
「……はい、もちろん。本当にテニスの練習です」
「あなた、日下部くんと言ったかしら?よかったら、また私ともテニスしましょうね」
「はい、また機会があれば」
オレはそう答える。こちらとしても部長さんのテニスの試合は楽しかったので否はない。女子との試合は初めてだったが、こんなに強いのかと驚いた。
部長さんはすっとオレの近くまで寄ってくると、耳元で囁いてくる。
「ありがとう。パワーで勝負するんじゃなくてテクニックで相手してくれて。流石に男子の本気のボールは取れないから。あなたが気を遣える相手で良かったわ。その調子で竜胆ちゃんも鍛えてあげてね」
バレてるし。
何だかちょっと恥ずかしい。手を抜いていたわけじゃない。なんかここで力でねじ伏せるのはダサいなと思ってそうしただけなのだが。
「さようなら、二人とも」
部長さんはパっとオレから離れるとそう言って去っていた。見ていたギャラリー、おそらく女子テニスの皆さんと違うコートに向かっていった。
「……本当に仲良くなったのね。私をほったらかしにして」
「ご、ごめんなさい。何でも言うことを聞くので許してください」
竜胆のとげとげしい声が突き刺さる。四月の竜胆を思い出す。なんだかこれはこれでありな気がしてきた。
「ほう、何でもですか。太っ腹ですね日下部くんは。大チャンス到来ですね伊万里さん」
そんな中でオレと竜胆以外の声が会話に入ってくる。
「まだいたんですね、竜崎先輩」
会話に入ってきたのは、女子テニス部の副部長らしい竜崎先輩だ。さっきまで試合の審判をしてくれていた。
「よよよ。後輩にこんな冷たく扱われるなんて、先輩は悲しいです」
「泣き真似をするなら、せめて棒読みをどうにかしてください」
「それはともかく、伊万里さんは日下部くんにどんな命令をするんですか?先輩はとても気になります」
「命令なんて別に……」
竜胆がオレをちらりと見る。
オレはしゅばっと片膝をつくと、恭順の姿勢をとる。何なりとお申し付けくださいませ。
「じーーーー」
「……最初の約束通り練習に付き合ってくれればいいわ」
「御意にござります」
「ええーーー。つまらないですね。折角のチャンスなのに」
「竜崎先輩ももうお帰りになってください」
「では、一つだけ」
そう言って何故か先輩は頭を折り目正しく下げた。
「部長のわがままに付き合っていただきありがとうございました。お詫びとは言っては何ですが、このコート、あなたたちの後も予約してお金も払っておきましたので、存分に二人で楽しんでください」
そして先輩は部長さんたちを追いかけてコートから出て行った。
当初の予定通り二人になる。
「面白い先輩たちだな」
「そうね。岡部長はあんなだけど、入部当時から私のことを気遣ってくれてたわ。それに竜崎先輩も暴走しがちの先輩の中ではまともで、ああやってバランスをとってくれるからこちらとしてもありがたいわね」
竜胆はそう優しげな声で言う。まだ付き合ってから数ヶ月だというのに竜胆とこうして信頼関係を築けていることから、きっと優しい先輩たちなのだろうということがわかる。
「でも、まともな人だったら試合をする前に止めるから、竜崎先輩も同じ穴の狢だと思う」
あの人、ノリノリでいい声で審判やってたぞ。あの人は常識人のふりをして楽しんでいるだけの人だと思う。
「……私の中の常識人のハードルが最近下がっている気がするわ」
「ドンマイ!」
オレは笑顔でそう言った。あの高校って個性的な人多いよね。わかる、わかる。
頬をつねられた。
なんやかんやで祝100話!




