招かれざる来訪者
半ば強制される形となったイゴールの条件であるが、その後すぐに同行しなければならないということはなく、一時のリヴァーへの帰還を許される。当初の目的である参加賞金であるが、何かしら理由を付けて渋ることを予想するも、存外あっさりと支払われる。影には魔人の力が潜んでおり、カルネージの王はそんなイゴールの傀儡だ。しかし大金を前に喜びはなく、代償はとてつもなく大きいものであった。
「そういえば、セラフィは魔物に親族を殺されたと言っていたな」
「えぇ、私の故郷を滅ぼした魔物、その親玉がテュポーンです。故にあなた達の成否は私の因縁に関わる。許されれば、私も同行させて頂きたいところですが……」
伺うような視線の先には、眉間に皺を寄せるマルスの姿が。
「それは無理だセラフィ、てめぇは町に必要だ。今回だって危険な橋で、戦争となればより長い時間が掛かる。俺の留守の間もセラフィとユリアのコンビなら、ある程度の魔物は打破できるし、だったら俺と我王、二人で行くしかないだろうな」
そうして用の済んだカルネージを後にし、数日掛けてリヴァーの町に戻れば、団の皆は三人の無事を笑顔で迎え入れたのだった。その安堵の気持ちに裏はないが、しかし持ち帰った大金を目にすれば、それはそれで皆一様に目を輝かせては騒ぎ立てる。
「――って、浮かれてたけどぉ、そういやマルスに会いたいって人が来てるよぉ」
「なんだシャル、依頼人かよ?」
「いやぁ、そんな感じでもなくてさぁ……女なんだけど、圧があるっていうか……」
「はぁ? 要領を得ねぇぞ。だが今はそれどころじゃなくてよ、皆に話さなければならねぇ話がある。熱烈なファンってんなら、夜に来いとでも言っとけよ」
「そのお誘いは、お断りさせて頂きますわ」
マルスの冗談を軽くあしらう、聞き慣れない声は女性のもの。それは恐らくシャルのいう面会人だが、しかしここはアジトの中で、部外者の立ち入りは許されない。
「おいシャル、誰が通していいなんて言った――」
声のする方へ、呆れながらに振り返るマルスの顔は次第に険しく、艶やかな美女を睨めつけるものへと変貌する。
「はじめまして、マルスさん。私のことはご存知で?」
「知らねぇ奴がいるか、ミネルヴァよ」
ミネルヴァとはラピスの信じた神であるが、この世に存在する生き神を称する。麗しき白肌に黄金の長髪と、二つとない美貌を持つものの、マルスと変わらぬ視線を並べる長身。挨拶と同時にフードを外せば、頭部には禍々しい角を持ち、その本性はイゴールやテュポーンと変わらぬ世界の頂点に立つ種族。
「ミ、ミネルヴァアアア!? それって魔人っ!」
「お静かに、リヴァーにはお忍びで訪れたのですから」
魔人と知って驚くシャルだが、例えミネルヴァが著名であっても致し方ないことである。いかに名が通る者でさえ、写真のないこの世界に於いては顔を知る術は限られてしまう。
「うちの奴が失礼したな」
「お気になさらず、無理もないことでしょう」
穏やかな口調に気遣う素振り、一見して敵意は見えないものの、魔人の用事とはこれ如何に。もてなしの準備をはじめるでもなく、マルスは早々にその目的を尋ねる。
「さて、堅苦しい挨拶は抜きにして、一体こんな辺鄙な町になんの用だ」
「ここは、とても良い町ですね。復興に向かい人々が手を取り合う、なんと美しい崇高な――」
「んなこたぁ聞いてねぇんだよ。魔人っつうのは能書きが長ぇのか? 何の用でリヴァーに来たのかって、それを答えろ、ミネルヴァ」
するとミネルヴァの背後に控える二人の女が、マルスの言葉に喰ってかかる。
「貴様、ミネルヴァ様になんて口の利き方だ!」
「訂正なさい!」
怒りの混じった言を聞けばミネルヴァの配下のように思えるが、しかし心酔こそするものの、彼女達もまたミネルヴァと変わらぬ、生態系の頂点に立つ者達。
「やめなさいラーヴァナ、それにヴィージャー。私達は決して上の立場ではないのですよ。対等に話をしようではありませんか」
「ラーヴァナとヴィージャーっていったらよ、どちらも南東の大陸の魔人じゃねぇか。揃いも揃って、同窓会なら自分の国でやってくれると有難いんだがな」
「彼女らは私の付き添いです。私がリヴァーを訪れた理由、それはマルスさんと我王さん。お二人の噂を耳にして、協力したいと思ったからです」
ミネルヴァの言う噂とはカルネージでの試合に限らず、イゴールとの共闘のことにまで及ぶ。しかしその情報は漏れないように、イゴールが規制したはずなのだが。
「人の噂は千里やら、魔人ともなると海も越えちまうとはね」
「各地には信者がおりましてね、平民から有力者まで、陰から情報を寄越してくれるのです。情報は断片的でしたが、イゴールの企み程度は想像に難くありません」
「信者……か、どの口が立場を語るんだかな。素直に手下と、そう言えよ」
マルスにとっては軽い煽りが、ミネルヴァの眉を歪ませる。立場や身分といった話題は、ミネルヴァとってデリケートなものであるらしい。
「力でねじ伏せるようなことは致しません、あくまで平和的な手段です」
「はっ! 平和って、金のことかよ? それとも股でも開いて誘惑したか?」
イゴールに対する我王の態度を戒めたマルスだが、よほど彼の方が命知らずで――
「て、てめぇ!」
「いい加減に――」
「二人とも、よしなさい! しかしマルスさん、対等だからこそ払う敬意というものもあるのですよ。あなたの言動にはさすがの私も――」
「敬意はよ、敬うもんに差し出すんだ。善意でもなければ、差し詰めてめぇはイゴールの企みに乗っかりたい訳だろ? 神を気取って乗り上手とは、とんだ淫らな――」
その先を言わせてはならじと、激昂したラーヴァナとヴィージャーは揃ってマルスに掴みかかった。
「今この場で肉塊にして――」
「その減らず口を黙らせてやる!」
締め上げられるマルスだが、しかし謝るでも苦しむでもなく手を返すと、やれやれといった面持ちを覗かせる。
「ほうら、気にくわなきゃ力ずくだ。てめぇらがなんと言おうがな、結局は裏にある魔人の力を恐れていて、だから皆いうことを聞くんだよ。そして協力だと? 取って付けた綺麗ごとは言うんじゃねぇ。簡潔に、てめぇらの目的を話せよ」
続いて呆れるのはミネルヴァの方。漏らした溜め息はマルスに向けてではなく、安易に力に走ったラーヴァナとヴィージャーに対して。呈を表すこともできなくなった今、ミネルヴァは素直に要望を語りはじめる。
「いいでしょう、私の目的はギブアンドテイクです。私は人類と魔物の共生を目指しており、そこに嘘偽りはありません。ここに口を挟まれると先に進まないので納得してください。そしてテュポーンは人類の根絶を企み、共生の片側である人が滅すれば、私の願いは叶いません。だから邪魔なのです、その為の助力ということです」
「そしてあわよくばイゴールも、ってことだろ?」
「否定はしません。あなた達はあくまで、イゴールにつく形で行動すると良いでしょう。私も打倒テュポーンを優先しますが、機会があればイゴール共々滅します」
ミネルヴァにとって、己を信じぬ者は全て敵。例えそれが魔人であっても。
「イゴールを甘く見ねぇ方がいいぞ、てめぇの話に秘匿性はあるんだろうな」
「そこは細心の注意を払っております。信者の口はみな固く、例え命を脅かされようと、口を割ることはありません」
ミネルヴァの目的を聞いたところで、対するマルスの回答は――
「分かった。俺からの答えは――勝手にしろ、だ」
全てを聞いた上で、関わらない姿勢を見せるマルス。しかし魔人に疎い我王からすれば、ミネルヴァには企みこそあれ、その目的は善良に思える。
「いいのか、マルス。ミネルヴァは魔人だが、悪人とは思えない」
「前にも言ったろ、根本的には変わらねぇんだよ。ミネルヴァの信者とやらは奴の言うことに全て良しだ。そういう人間をミネルヴァが求めているのだとしたら、人の感情が残る分、むしろイゴールの方がマシだと言える部分はあるくらいだぜ」
イゴールが求めるのは利益だが、ミネルヴァはそれを度外視した心を求める。そこに合理性はなく、あるのは信仰という名の忠誠心のみ。
「いいか、魔人は信用するな。信じるのは己の力だけにしろ」
それはこの世界を生きる上で正しい心持ちであると言え、正しいのだが、それでは我王はどこまでも孤独だ。信じるべきものは、きっと他にもあるはずだと。
「マルスは――」
「あ?」
「マルスや、ジュエラレイドの皆は、信じたって構わないだろう?」
「あ、あぁ……それはもちろんだが、しかしだな……」
信じてくれても構わない。しかしマルス自身、この戦いを生き残れるかどうかも分からない。頼りにすればするほどに、失った時の代償は――