楽勝と苦笑
通説のワイバーンとは、龍の頭に蝙蝠の羽、鷲の足に蛇の尾を持つ嵌合体。キメラと言った方が馴染み深いかもしれない。火を吹くものもあれば、毒を持ち、沼を好むとも言われている。その由来は神話かと言われれば、その答えは紋章である。紋章の為に生まれた龍の図形、それがワイバーンとされるもの。しかしこの世界に於けるワイバーンは魔物であって、通説とは異なり大蜥蜴に翼が生えたような容姿を持つ。
火は吹かない、その器官もなく、よって体は火龍より二回りは小さい。毒は持たない、その必要がない。毒は身を守る意味合いが強く、上位捕食者のワイバーンならば噛んで砕いた方が話は早い。沼にも住まない、目視で獲物を探す以上、霧のかかる沼地は好むところではない。
鈍重なはずの体は、強靭な翼と、それを補助する魔力によって浮遊する。それがこの世界に於けるワイバーンであり、小細工なしに強力なフィジカルで相手をなぎ倒す。生半可な武装では歯が立たず、空を飛び、その上頑強。故に最強種。
滑空するワイバーンの狙いの矛先はマルスだ。勢いを止めることはせず、眼前で間合いを測るなんてこともしはしない。なぜならワイバーンにとって、これは戦闘ではなく狩りだから。獲物を狙う鳥類が、近付いた後に様子を伺いなどしないだろう。素早く迅速に狩り取るのみ。よって――
ワイバーンはその速さのままに、いや、それ以上の速さと負荷をもって、強烈に地面へと叩きつけられる羽目となった。
「グ…………ガ…………」
岩肌を叩く轟音と共に、山の一角は大きく抉れる。
「あ、相変わらず凄まじいな……」
「言ったろ? 得意なんだよ」
抉れた窪みから這い出そうと、その身をもがくワイバーンだが、しかし平面ならともかくとして、一度嵌まってしまえば流れる力に逆らわねばならず、穴から抜け出すのは困難を極める。
「あとは、皆で攻撃を加えて終わりということか」
「いや、その必要すらねぇ。攻撃するには、重力の一部を解除しなくてはならねぇからな。少し時間は掛かるが、このまま待ってりゃワイバーンは息絶えるよ」
増した自重に苦しんではいるものの、しかし我王の頭には一つの疑問が浮かぶ。
「まさか、そのまま潰し切るというのか? それとも、動けぬワイバーンが餓死するのを待つとでも――」
「さすがに、そこまで待つつもりはねぇよ。だがな、生物の体には血が流れる。その血も当然、重くなる。頭に血が昇らねぇんだよ、怒ってる奴にはいいかもな」
脳には血液が必要で、行き届かなければ失神に至る、いわゆるブラックアウトというものだ。ワイバーンにそれを知るべくもないが、しかし分かったとしても、頭を下向きにしたところで大量の血液が脳に集まり、同じく即座に失神する。横たわれば頭の半分、血液は循環されず、ヒトなら三~四分もすれば脳に深刻なダメージを残す。
魔物には知性の高いものも存在するが、魔力以外は野生動物と変わらないワイバーンに、血液の循環に依る被害など理解することはできない。次第に動きを鈍らせると、遂には体を地面に預け動かなくなる。
マルスは得意といったが、この強さ。対生物のタイマンならば最早敵なし。動きが速い奴は得意だろう、その動きを鈍らせられるのだから。頑強で鈍重なものも得意だろう、自重故に掛かる負荷の強大さは身動き一つ取らせない。そしてあとは待つだけ。硬かろうが、体の内部構造まではどうにもならない。
「これは、いくらなんでも……皆で赴く必要などあったのか? マルス一人で片付いてしまったじゃないか」
長い距離を町を跨いで、山越え谷越え、そして訪れた魔物との対峙。それをたった一人で片付けてしまう。であれば、元より団体で向かう必要性などあったのだろうか? そう我王が疑問に持つのも仕方がない。しかしこれは保険、彼らはあくまで保険の意味合い。マルスという唯一無二を無くさない為の、万一に備えての保険なのだ。そして、その万一が起これば、当然保険は支払われることになる。
「そうだな、我王の言う通りだ。だが必要になった、今まさにな――」
苦い笑みを浮かべる視線の先には、蠢く黒い霧が広がる。しかし次第に近付くそのもやは、明確にこちらを目指しており、意志があれば霧ではない。
「ちっ、一匹だと言っていたのにな。追加料金はかなり高額になるぜ」
訪れる黒霧はワイバーンの群れ、そして我王達を敵と見た。なぜ魔物であるワイバーンが群れを成しているかは、更に北方のシャマル王国の事情に依るもので、それをマルスやバルカンの王は知り得なかったということ。
しかしそんなこと、今はどうでもいい。目の前の事実を前に、一行はマルスの前に走り出る。タイマンでは最強のマルスだが、しかし対複数ではそうもいかない。相手取れるのが一体までなら、その間マルスは無防備だ。
「一、二、三……六体……埋まる個体も含めれば、七体のワイバーンが相手だ。奇しくもこちらと同数か。覚悟しろよ、誰が死んでも、目の前の敵だけに集中しろ!」