夜空の下で
ゴーレムを相手に十万マナ。円にして一千万はかなりの大金に思えるが、一人怪我をし、それをスキル医師に診せようものなら、その金はまま水泡と帰す。手痛い傷は負えない上に、新しい軍備を揃えることもできない。速やかに現場に向かい、滞りなく討伐し、早々に帰還する。戦い慣れている相手とはいえ、一歩間違えれば大赤字。それを引き受けるなど良判断とは言い難く、我王の顔にもそれが如実に表れた。
「不安な顔してるな。確かに報酬は釣り合わねぇし、本来はその十倍は踏んだくりてぇ。だがドニクスには恩がある、実状に合わせるなら十万マナだ。奴らはリヴァーへの魔物襲来後の復興に最も協力してくれた。使えねぇ国なんかよりよほどな」
リヴァーの被害は深刻で、復興は未だなお続いている。団員の中にも死者は出ており、この話題で顔を明るくする者などいない。
「シャマル王国なら、少しは違ったわね……」
「ユリアが言うのも一理あるが、シャマルは金儲けには向かねぇよ。カルネージは論外だな。どちらも国の干渉が酷ぇ、良くも悪くもな。俺みたいな奴はバルカンが一番過ごしやすいんだよ」
シャマル王国は闇代閏の向かった国。リヴァーに訪れた使者といい、割と正義感に溢れる国には違いないが、過剰な干渉はそれはそれで鬱陶しいものがある。カルネージ王国は悪政という言葉を体現したような国で、マルスが論外だと言うのも頷ける。
「お通夜みてぇになっちまったが、俺らは常に前を向かなきゃならねぇ。下を向いて得られるのは卑屈と小銭が精々だ。そんな湿気た生き方は、てめぇらには似合わねぇだろうよ!」
椅子から立ち、両腕を掲げ、マルスは声を大に士気を高める。でかくて煩わしい声だが、こういう時には頼もしい。マルスがいれば大丈夫、マルスがいれば怖くない。恐怖は心の隅へと追いやられ、勇気と安心が心の内を満たしていく。
「出発は明日だ。俺らの足なら一日で辿り着く。派手にぶっ壊して、その後は酒で大団円だ!」
マルスの号令の後、集会は解散した。明日は早い、マルスも本日は酒を飲まずに就寝するという。参加した団員は此度のミッションを他の団員達に伝えに行く。もちろん全員が参加するという訳ではないが、マルスは宮を遠征に連れていくと言っていた。それを伝えるのも我王の役目だと。
宮を探しに表に出ると、陽の落ちた街道には夜空を仰ぐ一つの影があった。
「待ってくれていたのか」
「うん、中に入るのは気が引ける雰囲気だったからね」
月の輝きは肌を青白く照らし出す。焦点を合わせるはずの宮の姿が、何故だが一番おぼろげで、この時の宮の思考は親友の我王をして読むことはできない。
「僕たちはこれから、どうなるんだろうね」
宮の言う”これから”とは、明日のミッションを指すのではない。これからの人生、家族や故郷を離れた、これからの異世界での一生のことを指しているのだろう。
「俺とて、寂しいと思うところはある。父や母に恩返しもできなければ、生きていると伝えることもできない。生死を分かつ戦いを経験した今でさえ、これが夢であって欲しいと願わん時はない」
それが我王の本音で、宮だからこそ語れる弱み。しかし宮からすれば、それは決して弱さではなく、強く尊い、気高い心の在り方だった。
「我王は強いね、それでいて優しいよ」
家族を想い、そして気遣う。大切だが、言ってしまえば誰しもが抱く感情である。しかしそれはあくまで、自身の安全が保障された状況下の話であって、この異世界に於いては到底存在し得ない環境だった。
「そんなことは――」
「あるよッ!」
穏やかな宮が見せる荒々しい表情。それが我王に向けられるのは、出会って当初以来のことであった。
「僕だってこれが夢であって欲しい、でもそれは家族の為を想ってじゃない。僕は、死ぬのが怖いんだ。我王と違って僕は弱い、この世界で生き抜くことはできないよ。きっと近いうちに僕は――」
「そうはさせん! 宮は命に代えても俺が守る、絶対にだ!」
「我王……」
宮の不安は命の不安。それは決して見苦しいものではなく、本能的にあって当然のもの。我王にだってその不安はある。
しかし我王は虎として生まれた。そこは弱肉強食の自然界ではなく、想いの行き交う人間界。であれば強者の使命は食うことではなく、守ることだ。転生後の我王は絶対強者ではなくなったかもしれない、しかし強くなりたいと願っている。そして強くなるということは、身を鍛えることと同時に、守らなければならないということ。
六帝我王は守り続ける。いつ何時も、世界が移り変わろうが、それは強者の絶対条件なのだから。啜り泣く宮の双肩は、我王の両腕に強く、それでいて優しく抱かれて、胸の中で震え続けた。