ドクターセラフィ
先行く男の後を追って、我王は一軒の館に案内される。民家に比べると些か上質な造りに見えるが、しかし総じて医者は儲かるものだと、その時の我王は何ら疑う余地を持ち得なかった。
木製の観音扉を開けば、そこはいわゆる待合室。しかし受付もいなければ患者の姿もまるで見えず、どころか病院特有の薬臭さも感じない。果たして一人で経営しているのであろうかと、そう思いながらに誘導されて、我王は診察台へと腰掛けた。対面する男は医者らしく、患者を思い遣るにこやかな笑みを浮かべている。
「すまんが、この血は返り血でな。俺自身は今は無傷なんだ。だが蓄積したダメージは分からん。そこをあなたに診て欲しい」
「なるほど、通りで見た目に寄らずピンピンしてる訳ですね。まぁ、軽く診察して差し上げましょう。かるぅく、ね」
瞬間、朗らかな笑みが歪んだように感じたが、次には我王の体に触れはじめ、痛みや異常がないかと問診しながら状態を探っていく。
「特に、痛みはないな」
「――そう、ですか。どうやら問題はなさそうですね。あなたの言う瀕死の重傷って、転んで怪我したことを指すんじゃないでしょうね?」
男は我王が今までに受けたダメージがとても信じられないといった様子だ。しかし患者の話は患者のみぞ知るところ。現状に異常がなければ問題ないと、男はそう決断を下したのだった。
「まあどちらにせよ、あれほどの返り血を浴びる戦いをするのであれば、これからもしっかりと体のメンテナンスは行うのですね」
「ああ、恩に着る」
「別に恩に着なくて良いですよ。それが私の仕事で、あなたとの契約なのですから」
穏やかな口調から一変。男の声質は冷ややかな、無機質で単調なものへと豹変する。ゆらりと立ち上がる男の表情、口端は緩んでおきながらに、その実、瞳は笑っていない。
「お身体の診察、支払いは千マナ。一マナたりとも負けないのであしからず」
「千マナ、ということは――」
マナとは、この世界の通貨単位の一つである。我王は以前、閏がまだバルカンにいた頃に通貨の話は聞いていた。閏いわく、凡そだが一マナは百円の価値と同等と。つまり千マナという金額は――
「じゅ、十万円だと!?」
「えん? それに十万ではないですよ、たったの千マナ。さ、お支払いください」
生死を懸けた戦いすら成し遂げた我王だが、ここにきてやにわに焦りを見せはじめる。所持金は凡そ五十マナの五千円相当で、我王の知る初診なら十割負担でも三千円弱。診察だけなら問題ないとタカを括った我王だが、その金額は遥か想像を上回るものだった。
「ちょっと待て、診察をしただけだぞ!? なぜそんな金額になるのだ!」
「あなた、ぼったくりとでも言いたいのですか? 医師にかかる金額なんて、誰でも存じてることでしょう」
これが、この世界の医療の真実。我王からすればぼったくりとも思える金額も、この世界では常識の範囲内。そして、この世界には二つの医師が存在する。
一つは我王も良く知る通常の医者。その者はあらゆる医薬品と知識を用いて医療に励む。ここに掛かれば馬鹿げた治療費にはなりえない。
もう一つはスキル医師。ここに掛かってしまうと、どこぞ継ぎ接ぎの闇医者と同等の金額を毟り取られてしまう。そして男はスキル医師。医療のスキルを用いて患者の治療を行う者。
絶対数が少ない以上、そこには希少性が生まれる。希少性が生まれれば、当然値段は跳ね上がる。先は闇医者に例えたが、むしろこの金額は合法で、知らぬ我王が馬鹿だったという訳だ。
「言っておくが払えんぞ。無理だ、千マナなんて金額は!」
「だとしたら、まずいですねぇ。せっかく健康と診断されたお身体ですが、早速その一部を失うことになりますな」
痩躯で華奢な男だが、圧は実像を超えて強大に見えてならない。それは金銭のしがらみによる精神的な圧というより、もっと原始的で、直接的な圧力であった。
「やるのか? やるというのなら――」
「やってみますか? 無謀な試みと言っておきますがね。私は不死身のドクター・セラフィ。ただの優男じゃないんですよ」
医療を司るスキルの持ち主。その能力は計り知れない。与えたダメージが致命傷でも、即死でなければ回復できる。それほどの治癒能力を有しているのなら、二つ名に恥じぬ不死身の肉体の持ち主ということになる。先には魔物の殺害をやってのけた我王だが、それが人に向けて振るう力ではないことは理解している。加えて騙された感は否めないものの、非があるのは診察を受けて代金を支払わない我王の方だ。
やるのかと問いつつ躊躇う我王に対して、セラフィは俄然やる気に満ちた様子。にじり寄るセラフィを前に後ずさる我王は、体躯に似合わず完全に気圧されてしまっていた。
「やめとけって」
そんな、一触即発に割って入る仲裁の掛け声。扉の先に姿を現したのは――
「マルスではないですか。この男はあなたの知り合いですか? といっても、この男が止めたところで容赦はしませんよ。払えないのなら――」
「だからやめとけって、それはてめぇに言ってんだ、セラフィ」
「なんですって?」
セラフィはジュエラレイドの所属ではない。よって、マルスの命に従う理由はない。しかし付き合いは長く、マルスの実力を知れば人柄だって知っている。そんなマルスがやめろと言えば、セラフィは我王に迫る足をぴたりと止めた。
「不死身のセラフィでも勝ち目はねぇよ。こいつの返り血は魔物のもんだ。てめぇ一人で魔物が倒せるか?」
「そ、それは……ですが、あなた以外に単独で魔物を倒せる人間なんて――」
いる訳がない、というのが常識である。しかし、ここ最近でそれを為し得た者が存在する。それはつい先ほど魔物を倒した我王のことではなく、セラフィも知る、この町リヴァーで起きた悲劇のことを指している。
「いたろ? 襲撃に際して噂になった女がよ。この男はそいつの連れだ。そして転生者でもある」
「て、転生者って、まさかそんな……」
「そのまさかだよ。だから医療の常識も知らねぇし、既知の事実は通らねぇ。つまりてめぇは正式な契約をしてねぇ訳だ。金額の提示も、互いの理解も得てねぇ訳だからな。よって我王は一マナたりとも金を出す必要はねぇし、セラフィは要求する権利を持っちゃいねぇよ」
勝手に行ったことに金銭を支払う義務はない。それはマルスが我王の命を救った際にも述べたことだ。ましてや今回は一刻を争う窮地ではなく、素性を調べる時間的猶予も十分にあった。それを怠ったセラフィに非があると、マルスはそう言っている。
「そうでしたか――」
力なく椅子にもたれかかるセラフィ。金を徴収できずに残念といったところか、それとも無謀な戦いを挑まなくて良かったという安堵からか。否――
「がっくしきたか? そうじゃねぇだろ?」
「えぇ、もちろん。むしろお金を払いたいくらいですよ。伝説の転生者をこの目で見れる日が来るなんてね」
セラフィは、転生者という存在に興味を持っていた。伝説とは言うが、過去に存在した歴史は少ないながらも文献に残っている。そしてセラフィは魔物に恨みを抱く。なぜならば彼の家族は、その圧倒的なる力によって虐殺されたのだから。対抗できるのは、過去にそれを為し遂げた転生者しかありえないのだから。